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日本を愛することと批判することは何も矛盾しない



ある精神科医が、個人のパーソナリティーに関して、「日本を愛している、ということと、日本を憎悪している、ということは、明らかに矛盾している・・・云々」と述べている。それは自己愛的分裂症だという。

その人の論によれば私は充分に自己愛的分裂症になるが、私は「日本を愛することと日本を憎悪することはまったく矛盾しない」と思っている。
内的矛盾を矛盾として論じるのは論じる必要もないほど紋切り型で、その説のその型にはめ込んでいる論でしかなくべつに論じるまでもない飽き飽きしたものだが、そうやって「二律背反」を煽ることは、どちらかを選べという「原理的・原理主義」になるわけだし、愛するがゆえに批判するのは親子肉親関係ではないが、いたって当たり前な感覚だ。愛していない、興味関心もない物事には批判も賛同も何もない。愛しているから、好きだから、気に入っているからこそ、無関心・無関係な物事ではないからこそ、叱咤指導鞭撻があるものだ。
「どうでもいい、どっちでもいい、どうなってもいい」というのは、何も愛していないからであって、容認とか受諾とか肯定とかではない。


それを分裂症にしてしまうのは、その論を取る方が、よほどのパラノイア/偏執症で、どちらかにしてそれにしたがっていなければならない、という原理思考だからだろう。
矛盾があるのが個人のパーソナリティーであるし、愛情と批判は矛盾するものではなく、同じところから派生しているものだ。同じところから派生しているものを原理的に偏執的に分ける行為・感覚があるから「分裂症」になる。

自己愛も同じで、論ずる必要もなく当然のことだ。自己愛がなければ何があるというのだろう。強かろうが弱かろうが、一般人であろうが専門家であろうが、狂人であろうが覚者であろうが、自己愛・自己保存は至極当たり前だ。

当たり前な「自己愛」と論に満たない「分裂症」をつなげた言葉で、例えとして今流行の「日本を愛している、愛していない」を持ち出すのは例えが粗末すぎる。

私自身は、日本を愛してもいるし、憎悪もしている。その局面局面で軌道修正しているし考え方とらえ方の枠も収縮させていて、それによって矛盾もなければ心の病が生じることもなく、至って冷静に自分を突き放して自分の感覚を見ている。

分裂症だとか偏執症だとかを文章や論で煽るから、その手の心の病が増殖していく。本来は何の問題もないものを問題だ問題だ病気だとその気にさせるから、心が病んで荒んでしまう。そうして「現代はこんなにも精神的に疾病状態にある」ということになっていく。

人間は矛盾もあるし、綺麗でもあり汚くもあり、優しくもあり狡猾でもあり、固執もすれば放棄もし、怒りもすれば笑いもして、まじめな時もだらしない部分も持ち合わせた生き物だと、出来も良く出来も悪い代物だと、身の丈を知り身の丈を認めればいい。

平均的一般的人間の、生き方の、そういう「人間ガイド論」が流布伝搬すること自体が、分裂や偏執の温床になっている、と今日の私は論じてみる。



「21世紀の精神異常者」



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by greenwich-village | 2015-06-25 10:51 | グリニッチ・ヴィレッジ

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