2015年 04月 17日
“家族という病“”という本が売れるという病
今朝、情報番組で「家族という病」という本の紹介をしていた。いかにも幻冬舎出版らしいタイトルと内容で、なんだか売れまくっているという。
著者は元NHKか何かのアナウンサーで今は評論家か何かやっている女性で、売れて話題ということでご本人も出演して語っていた。
「家族などもともと病理でその関係性は許しあえないもの云々」といったネガティヴなことをまことしやかに語っていたが、ようするに著者の彼女自身の生い立ちの話で、父親との関係が悪く死に際にも行かず許していないということを、現代の家族関係はそういうものだと解釈しているだけのものだった。なんだ、つまりは愛されなかったから愛せない、幼児虐待の連鎖とかわりがない。何かの「論」ではなくて個人的「自伝的エッセイ」を社会論に曲解したものだ。
そんなものがベストセラーになっているなんて、日本はそんなに殺伐としているのか、それとも流行りなら何でも乗っかってということか。誰が何の本を書いて、誰が何の本を買って、誰が商売して誰が誰に共感しても勝手だが、それらは終始一貫利己の話で、どーでもいい本とどーでもいいトピックスだった。
私の経験から、私に言わせれば、「“家族という病“”という本が売れるという病」といったところだ。
先日、家族らとバカ話をしていて、母親と兄の奥さんと私の妻が話しているところを見ていて「家族」を見た。
3人共もともと赤の他人だ。赤の他人に何かの「縁」があって「家族」になった。
「家」とはそれそのものには何もない。赤の他人が「縁」を互いに温めあって「家」になり「家族」になる。孤児院の子供たちも先生も、血のつながりはないがそこは「家」だし「家族」だ。
商業性と時代性といったところだが、著者と読者たちの利己的現代病に憐れみを感じた。
「家族ではなくて利己優先という病」という本でも書こうか。バカらしいのでやめておく。
「系図」 高田渡
系図 - 鉱夫の祈り by 高田 渡
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