2011年 11月 30日
業の肯定/今日までそして明日から
落語ではなくても、人にはそれぞれ“業”というものがあって、それをまずまず肯定しているから何とか生きていけるわけで、そんな姿を演芸として客観的に見せてくれるのが落語というもの。
だから与太話、人情もの、悲喜こもごもの噺が出来る。つまらない世の中も何とか面白くできる。
立川談志 語録
「何の職業でもいいのだけれど、そうなれる資格、レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。好きなことをやり、それで食えるようになりたい、だからそこに向かって賢明になるはずが、現代はアルバイトで食えてしまう。それは楽なごまかしになっていくのではないだろうか。」
「己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。人生なんて食って、寝て、やって、終わり。」
「「執着」「執念」というのが、「好きの虫」のすんでるところです。」
「 己に自信の無い奴が常識に従う。」
「天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。」
「尊敬されて、仕事があって、発想も、状況を把握できる頭脳もまだある。それを幸せと言わずして何というか。」
今日までそして明日から 吉田拓郎