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嘆きの淵にある時も / 善き人のためのソナタ

資本主義でも共産主義でも、民主主義でも全体主義でも、共通した構造悪がある。

「悪=善くないも」のは、各々の主義体制/イデオロギーでも粗悪で低レベルな政治家でもない。
官僚養成のための教育機関とさらに卑しさを養う官僚システムそのもの、だ。

官僚凡夫には一国を創造刷新する才能がないように、また罪もない。
もともとの凡夫たちは、卑しさを養う官僚システムにさらされた結果として、官僚人になるからだ。
そういう意味で、システムにのみ込まれてしまう哀れで純朴な生業官僚凡夫には罪はない。
記憶力凡夫を卑しい官僚に仕立てあげてしまうシステムが、すべての主義体制に共通した構造悪なのだ。

親に叩かれ記憶力を反復訓練した凡夫の出所は、帝王学もなく侍でもなく誇りも一分も希薄なわれわれ平民の寝床なのだ。
民主主義であるからこそ、われわれ平民凡夫でも記憶力だけを修練すれば、官僚に成り上がることが可能なのだ。他に一切何も必要はない。

政治家というよりも単に議員バッヂをつけた人たちは問題外だが、官僚もまた悪人呼ばわりされるのは哀れであって、悪は構造的に生成されるものだから、あくまでそれらのシステム悪の障害を取り除くべきだ。

誇りと意気地を叩きこまれた侍でもない凡夫に、使い方もわからない刃物を持たせるから、自らの出所寝床の平民を斬ってしまう。斬った凡夫官僚も斬られたわれわれ平民も、お互いに不幸で哀れだ。

金勘定はできるが、金がどこからどうやってどんな経緯と思いで集まってくるのか全く知らないのだから、使い方もわからなければ、自ら使って足らなくなれば税を増すことしか策は浮かばない。平民自分が積み立てたはずの名ばかりの年金も蓋を開ければ税になる。

もともとの凡夫をますますの凡夫に養成しているシステムが社会悪、ということだ。

たとえば映画<善き人のためのソナタ>のように。興味と時間とTUTAYAあたりまで行ければ、秋の夜長にオススメする一本。



われわれ平民のためのソナタ。今夜の一曲は、ギャヴィン・ブライヤーズ。

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たとえすべてに見はなされ、嘆きの淵にある時も、イエスの血は決して私を見捨てたことはない


「イエスの血は決して私を見捨てたことはない」  ギャヴィン・ブライヤーズ 



by greenwich-village | 2011-10-14 02:05 | グリニッチ・ヴィレッジ

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