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非アメリカ的、非映画的、デヴィッド・リンチ

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昨日発売の女の人の雑誌「JJ」で表紙と特集が東方神起。

発売前日から昨日も大変な騒ぎで即売り切れ、近所の古い本屋さんのおじさんも少々ゲンナリ顔でぼやいていた。
この雑誌が全部ファンの子供たちの手に届いていればいいのだけれど、コンサートチケットのダフ屋とか株式投資マネーゲームよろしく、ちゃんとブローカーのおじさん・おばさんや業者がいて、発売即ネットオークションで、値段は十倍以上、8000円前後らしい。

ユーモラスで滑稽なのは、いつも、そういういかにも現代的な“現象”であり、出版社もタレントもスポンサーも古本業者も素人ネットブローカーも大喜びするシステムだ。


デヴィッド・リンチ監督が撮れば、たとえば、アイドルのウンコを競売にかけるシーンを描くかもしれない。
誰か他の人のウンコと交換したものをネットオークションに出して、本物は主人公が食べてしまうとか。

(松本人志監督は、リンチ的かもしれないよ)


本が売れない時代にいかにもネット万歳な話だが、うちで4500円出せばデヴィッド・リンチのレアな画集・写真集が買える。リンチのコアなファンを自称するなら、これはマストなテキストだ。
なぜなら、各作品に共通するリンチワールドが明快に理解できるからだ。


ここでデヴィッド・リンチ映画各作品に関して長々とは書かないけれど、ボクが思うに、リンチ映画はあまりストーリーを追いかけても意味がない。
一見突飛に思えるシーンとかユーモアセンスだとか解釈されるけれど、ボクには全編シリアスに映る。
ユーモラスなのは、監督自身がアメリカという国に暮らすアメリカ人、自身と作品とを含めたアメリカ的という部分で、それを彼がデフォルメするところにおかしな滑稽なシーンが出来上がる。

ストーリーやユーモア、それよりはむしろ、デヴィッド・リンチ映画は全編がもともと絵画的・写真的であって、それを積み重ねて逆にストーリーらしきものが生れる。
そういう部分を、この書籍は伝えているように思える。

絵もうまいし写真も上手で、もちろんそれぞれ独自の視点・世界観がある。それが彼の映画になる。
ワケが分からなくて当然だから、余計な文学的な解説は必要ない。彼の映画は、あのシーンそれぞれの“絵”なのだ。

多分野と統合、そういう意味で、デヴィッド・リンチはダ・ヴィンチやジャン・コクトーなどの系列にいる。
また、彼がTVシリーズや分かりやすい商業映画を手がけたのは、ちょうど、岡本太郎が大阪万博で太陽の塔を作ったようなもの。“大メジャーという道具”を使って逆手にとる。
また、最近の彼の作品は“映画の都・ハリウッド”をモチーフにしたものが多い。

この画集・写真集からは、一般の人が思い描くいわゆるアメリカは感じられない。
ヨーロッパ白人の血脈にある暗部の抽象であり、また、被写体化されたアメリカだ。日本人である我々には太陽がひっくり返っても読み取り不可能である。
唯一の理解は、それが“文脈”ではなく“絵”であること。“断片”。

断片の連なりとしての映画。映画としての断片の連なり。
彼の頭の中と視点が楽しめる。

アメリカでありながら非・アメリカ的。映画でありながら非・映画的。そういうリンチ作品をより一層感じるのにはもってこいの書籍だ。インタヴューROM二枚付属。4500円。

東方神起の「JJ」誌は、今ごろネットオークションでいくらになっているだろうか。


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アート・オブ・デヴィッド・リンチ


by greenwich-village | 2010-01-24 14:16 | 映画

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