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小林という“男”

“球世主”だった小林氏 トレード拒否なら球界分裂も 球界に衝撃を与えた、57歳の小林繁氏(現日本ハム投手コーチ)の急死。波瀾万丈の野球人生だった。
巨人連覇の立役者になりながら、「空白の一日」を突いた江川事件のために阪神へ電撃トレードされた。が、アンチ巨人ファンのスーパーヒーローになっただけでなく、日本プロ野球界の救世主になった。

見かけはやさおとこだが、裸になるとムダな贅肉のない全身筋肉の小林氏は、反骨心の男でもあった。
巨人のドラフト破りの江川卓氏獲りの犠牲者として同情されることを何よりも嫌った。
1976年、18勝をあげ、長嶋茂雄監督下での初優勝に貢献。翌77年も18勝を記録してリーグ連覇の立役者になった。それなのに、前代未聞の阪神・江川卓氏との電撃トレードだ。その際に、こう胸中を明かしている。

「相手はいくら才能のある投手かもしれないが、プロでは1勝もしていない投手だ。オレを出して失敗だったということを巨人に思い知らせてやる。勝負の世界だから、変な同情はいらない」と。

こう誓った小林氏は有言実行。阪神に移籍した79年、巨人の前に仁王立ち、22勝をあげ、最多勝のタイトルと2度目の沢村賞を獲得している。
アンチ巨人ファンが拍手喝采したのは当然だが、江川事件で離れていった元巨人ファンからも熱烈な声援を送られた。世間から大バッシングされた悪役・江川氏と対照的に、善玉・小林氏は国民的なヒーローになった。

もしも、小林氏が阪神へのトレードを拒否していたら、今の日本プロ野球界の姿はなかった。分裂していたのだから。
12球団了解の上で事務的な手続きのために「空白の一日」になっていたドラフト前日を利用して、江川氏と電撃契約した巨人は、セ・リーグ連盟から契約無効とされるとドラフトボイコット。さらには新リーグ結成画策まで突っ走ったのだ。

「全く新しいプロ野球組織を作る」という巨人に対し、情けないことに我先にと各球団のオーナーたちが東京・大手町の読売新聞社詣でを始めたのだった。

金子鋭コミッショナーは「このままではプロ野球界は本当に完全に分裂してしまう」と危機感を強め、苦渋の決断。「ドラフトで阪神に指名された江川は一度阪神入りして、交換トレードで巨人入りの決着案しかない」という、コミッショナーの強い要望を出したのだ。が、小林氏があくまで阪神入りを拒否していたら、コミッショナーの収拾案も実現しなかった。小林氏が球界の救世主と言われるゆえんだ。

(夕刊フジ編集委員・江尻良文)

2010年1月18日 16時19分 夕刊フジ
by greenwich-village | 2010-01-19 12:18 | その他

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