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ミニ・オール・スターズ/コンパ

地元いわきの市民会館/文化施設のアリオスでは、クラッシックからポップス、芝居や舞踏などさまざまなものが舞台にかけられていて、興味関心は各々人ですが、それぞれどれもクオリティの高い優れたものばかりです。

個人的には、年に一度くらいは「えぇっ!こんな出し物、こんなのがいわきに来るの!」というプログラムがありまして、前のジプシー・ブラスがそうでした。~いわきでやるんだぁ、と驚きがありました。

Iさんから聞いた話によりますと、9月に今度は「ミニ・オール・スターズ」が来るそうなのです、いわきに。
といっても、おそらくいわきで「えぇっ、いわきにミニ・オール・スターズが来るの!」と驚いているのはIさんとボクくらいかもしれません。

一口にいえばラテン。カリブ海のハイチという国のポップ音楽です。「ハイチの~」ということを「ヘイシャン」といいます。ヘイシャン・ミュージック。
ラテンといってもハイチですから、キューバものやサルサとはニュアンスが違ってきます。こちらも一口にいえば、若干アフロ色が強いシンプルなリズムが持ち味。

ハイチには土地特有の「ララ」や「ガガ」と呼ばれるお祭り音楽・パレード音楽・ダンス音楽がありまして、それと近隣の音楽をベースに作られている「コンパ」というポップ音楽です。


-以下、コピー抜粋-

カリブの国々の中で、最も黒人(アフリカ系)の比率の高い国がどこかご存じでしょうか?
国民のほぼ100%が黒人という特殊な国、それはハイチです。(ハイチは、現地の公用語フランス語では「アイティ」と発音されます。ここでは一般的なハイチでゆきます)意外なことに、このカリブの小さな国は、ラテン・アメリカ最初の独立国であり(1804年独立)、200年もの歴史をもつ国なのです。
 
しかし、第二次世界大戦後に現れたデュバリエ一族による独裁政治によって、国民は苦しい生活に追い込まれ、世界一貧しい国という不名誉なレッテルを貼られてしまいました。しかし、そんな貧しい国ではあっても、そこはやはり南国の島国であり、アフリカからやって来た黒人達の国々です。素敵なダンス音楽が生まれないわけはありません。

<メレンゲからコンパへ>
島の半分を分け合うドミニカからは、カリブを代表するダンス音楽メレンゲが誕生していますが、ハイチでもかつてはメレンゲが音楽の中心だったようです。しかし、ドミニカがスペイン領だったのに対し、フランス領だったハイチでは文化がおのずと異なるため、しだいにメレンゲから新しい音楽へと変化を遂げてゆきました。

特に50年代半ばに現れたサックス奏者であり、バンド・リーダーでもあったヌムール・ジャン・バチスト Nemour Jn-Baptisteは、メレンゲ・バンドの編成のままテンポを落としたゆったりとしたダンス・サウンドを演奏し始めました。

彼らは、そのサウンドをコンパ・ディレクト(「シンプルなリズム」)と名付けました。それは、スピードの速いメレンゲを、より踊りやすくするためにスピードを落としたことから生まれたということです。しかし、あの独特のせわしないリズムを彼らのバンドのコンガ奏者がたたけなかったことが原因という説もあります。(キューバ革命後、ハイチにいたキューバ人がいなくなり優秀なコンガ奏者が不足したのは事実のようです)

<コンパの大西洋トライアングル>

コンパは、メレンゲとすぐ近くの国キューバから来たラテン音楽が組み合わさった音楽でしたが、1950年代にキューバ革命が起きてからは、キューバ音楽の影響が薄れ独自のスタイルが生まれてゆくことになった。

さらにこの頃、ハイチの国民を苦しめていた独裁政権による恐怖政治と貧困から逃れるため、ハイチからの亡命、移民が急増。ニューヨークとフランス(パリ)にハイチの人々が住み着き、そこでその国の音楽の影響を受けながら新しいハイチの音楽を生み出してゆくことになった。そんな海外で活躍するバンドの中から現れた大ヒット作が、タブー・コンボの「ニューヨーク・シティー」(1974年)だった。

彼らは、ニューヨークを拠点としていただけにロックやソウルの影響も受けたよりポップなダンス・バンドだった。そして、このタブー・コンボやスカシャなど、ハイチを代表するダンス・バンドを生んだ60年代ハイチの音楽的革新のことをミニ・ジャズ・ムーブメントと呼びます。

<ミニ・ジャズ・ムーブメント>

さて、ここで「ミニ・ジャズ」とはなんぞや?
アフリカでも、かつてアメリカなど西欧から来た新しい音楽のことを「ジャズ」と呼んでいました。いわば、お洒落な音楽の総称だったわけです。(例えば、ザイール・ポップスの父、フランコのバンドは、T.P.O.K.Jazzと言います)

しかし、ビッグ・バンドに近い大人数で演奏されていたジャズが、60年代のロックン・ロール、エレキ・ギターのブームにより、エレキ・ギターを中心とする少人数のロック・バンド・スタイルへと変わってゆきました。すなわち人数の「ミニ化」です。そして、もうひとつ60年代のツイギーを代表とするミニ・スカート・ブーム、ここから「ミニ」という流行語が生まれ、「ミニ・ジャズ」という合成語が生まれたということのようです。

<ミニ・オール・スターズ>

その名前は、そのままタブー・コンボやスカシャが所属するレーベルの名前にもなりました。そして、そのレーベルに所属するミュージシャンたちが、バンドの枠を越えて集合したのが、「ミニ・オール・スターズ Mini All Stars」だったわけです。(コンパ界のファニア・オール・スターズといったところでしょう)どうやら、このバンドは、あくまでもプロモーション用のセッションのために集まったバンドだったようで、バンドとしての継続的な活動はほとんどしていませんでした。それだけに、彼らの残した数少ないアルバムの価値は高く、ミニ・ジャズ・ムーブメント、そしてコンパという音楽スタイルが到達したひとつのピークとも言える存在なのです。

彼らは少ないながらも、1977年の"Le Peche"、1980年の"We Gotta Move On"とアルバムを発表し、ゆったりとしたリズムとゴージャスな雰囲気をもつコンパをより完成へと近づけていったのです。

<ハイチが生んだ金字塔>

そして、まさにその集大成として発表されたのが、彼らのサード・アルバム「ピュア・ゴールド Pure Gold」(1982年)でした。
このアルバムは、コンパの父と言われるヌムール・ジャン・バチスタの名曲を15曲取り上げ、彼に捧げるアルバムとして作られました。ハイチの音楽史でも珍しい3枚組みという大作で、サルサにおけるファニア・オール・スターズの「ライブ・アット・チーター」、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」に匹敵する作品かもしれません。
50~60年代に作られた作品を80年代のオール・スターが、より新しい感覚で分厚い音づくりで復活させたダンス・サウンドは、実にゴージャスで味わいのある音に仕上がっています。

特にアコーディオンの活躍が、実にフレンチ・カリビアンらしいゴージャスでのどかな雰囲気をかもし出し、ゆったりとしたダンス・サウンドを生み出しています。
録音は、当時最先端のスタジオだったニューヨークのパワー・ステーション・スタジオで行われました。プロデューサーは、ミニ・レーベルの社長でもあるフレッド・ポールが自ら担当しています。

<植民地支配が生んだ光と影>
 
元フランス領カリブ諸国ならではのゆったりしたグルーブ感は、レゲエやカリプソ、メレンゲ、サルサなどの熱いダンス音楽とは、ちょっと異なるゴージャスな癒し系ダンス音楽と言えるでしょう。その意味では、同じフランス領の島国マルチニークで生まれたマラボアあたりにかなり似ています。さらには、同じフランス領だった国、アフリカのザイールに生まれたポップス、リンガラ・ポップの前半部のゆったり感ともかなり似ています。
 
遙かに離れていても、同質の言語文化圏には同質の音楽が発達する場合が多いようです。ひとつながりの大地や隣り合う島々を定規で引いた線一本で分けてしまった植民地支配の歴史は、数多くの悲劇を生み出すとともに各地にバラエティーに富んだ文化を発達させたわけです。
 そんなことを心の片隅に置きながら、ミニ・オール・スターズが奏でる南の島のリラックス&ゴージャスなサウンドに是非浸ってみてください。



まぁ、といったような予備知識もありますが、そこはラテン音楽、小難しいことなく実にのびのびと楽しい音楽なのです。
同じヘイシャン音楽にはかつて来日を果たしたタブー・コンボというバンドがありますが、ミニ・オール・スターズとしては初来日だそうです。

初来日で、いわきで初のヘイシャン音楽ライヴ、そして初めて見聴きする方が大多数、初ものづくしで楽しい刺激になること間違いなし、オススメのライヴですので是非足をお運びくださいね。

普段TVやラジオやコンビニ有線では決してオンエアーされない音楽、TUTAYAでは借りることが出来ない音楽、クラブやDJがスピンしない音楽に耳を傾けるのも、ステレオタイプではない感性を豊かにしてくれて楽しいものですよ。

ジプシー・ブラス、ヘイシャン、ときましたから、次回はチーフタンズあたりのアイリッシュ・トラッド/ケルト音楽の来郷アリオス・ライヴがあったりすれば、驚き面白いだろうなと思います。

ミニ・オール・スターズ / from ハイチ


by greenwich-village | 2009-06-20 15:07 | 音楽

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