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これは時代についていけない年寄りの古い感覚かもしれないが、あるべきすべての表現・意思表示は決して心地よいものではない、と確信している。

それがどのような形であれ、心地よいものだけならば、それらの表現存在理由として、すべての音楽はBGMだろうし、すべての絵や造形はデザインだろうし、すべての物語・文字媒体は美辞麗句だろうし、すべての報道や評論見解は統一するだろうし、すべての芝居や映像やパフォーマンスは暇つぶしの産業だろうし、すべての仕事はべつにその人がやらなくてもいいものだろうし、すべてのコミュニケーションは必要ないものだろうし、人為的・人工的な一切は非人為的な無効性だろうし、人そのものの存在が危ぶまれることになる。
心地よさは、心地よさを優先することで、人を圧迫し表現をないがしろにする。心地よさだけがひとり歩きをする。そこに人がいてもいなくてもどうでもいいことになる。人がいてもいなくてもいいのだから、おのずと人の社会は崩壊する。

誰もいなくなった空間に、心地よいBGMが流れ、心地よいデザインの建築物や品々が溢れ、心地よいストーリーのドラマが映し出され、心地よいいイルミネーションやレーザーが照らされ、心地よい出来事が配信され、心地よいスムーズなシステムやオペレーションが心地よく制御され、ありとあらゆる心地よさが計算され創出される。完璧なまでの心地よさだが、残念ながら誰もいない。誰かがいたとしても、完全な心地よさに囲まれているので、それ以上何も表示する必要がなく、誰がいてもいないのと同じ状態になる。人為が求めた心地よさが完成した姿だ。


自然界・自然現象は極めて不都合で決して居心地がよいものではない。だからこそ、時に人間は畏怖を抱き、極めて美しく感じるものなのだ。
人為・人工でしかない人間の行為・表現・意思表示は、心地よさを求める人の世界に対してもっと不都合で心地よくないものでなければ、結局人を失い、誰にも何も届かないものになる。




Steve Reich - Music for 18 Musicians (1978) [Full Composition]


Steve Reich - Music for 18 Musicians Composed between...


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by greenwich-village | 2015-04-30 09:21 | グリニッチ・ヴィレッジ

断じて経験主義者ではないが、経験は大切なもので、では何が大切かと言えば、その経験を活かせるかどうか、どう活かせるか、ということに尽きる。

かつて20代前半の旅の際、テキサスの名前も忘れた荒野の町のドライブインに入ろうとしたとき、ドアを開けたとたん、中にいた客が全員こちらを振り向いた。地元の白人たちだ。私を見るやいなやのその目つき態度は何やら殺気立った気配だった。明らかに歓迎されていないので、喉が乾いていて何か飲み物が欲しかったが、入るのを辞めにした。こうしていまだに記憶に残っているほど鮮烈な経験だった。

「これが、人種差別というものか!」
経験に新しい引き出しができたので、そこに大切にしまってある。ネガティヴな経験だがネガティヴな記憶ではなく、むしろポジティヴな思考のための体験テキストとして重宝している。


誰もが一度、差別され排斥され虐げられ排除され非難され、打たれるべきだ、とは言わないが、そういう経験に遭遇することで、肉体感覚として差別・被差別を理解できるようになる。
差別・虐げられたものの記憶には、その経験は多かれ少なかれ鮮烈に残るものだ。そこに立っての発言行動になる。否定も肯定も善も悪も正義も不正もなく、拭い去りようもない経験があり、その経験を活かすか殺すかということになる。国だとか民族だとか思想だとかの抽象的な刷り込みや概念ではなく、個々人の肉体感覚なのだ。

良い経験が必ずしも良い思考を導くとは言えない。良くない経験も良い思考を育むテキストになる。いづれにしても、それをどう活かせるか活かせないか、がせっかくの経験の有効性といえる。経験を活かしたほうが賢いのは当然で、人類の叡智はそうやって蓄積してきている。

熱いものを触れば火傷すると経験しているのに、同じ轍を踏むのは愚かとしか言いようがない。
愚かなままでいいのか、愚かなものは賢いものにしていかなければと思うのだが、どうだろうか?



♪~誰もが一度、石で打たれるべきだ    ボブ・ディラン 雨の日の女



ジョン・レノンのカヴァー




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by greenwich-village | 2015-04-30 08:55 | グリニッチ・ヴィレッジ
グリーンピースとシーシェパード!整合的にいまこそ抗議だ!やらなきゃ自分たちのインチキが証明されちゃうよ(^-^)
捕鯨反対の欧州や各国も抗議表明しなきゃインチキで出来上がってる世界を認めることになるよ(^-^)

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遂にアメリカ海軍が認める!イルカやクジラの大量死は米海軍の実験や訓練が原因!これまでに数万頭以上が犠牲に!


最近は世界中でイルカの大量死やクジラの大量座礁が発生していますが、この件についてアメリカ海軍が正式に「自分たちの訓練や実験が原因」と認めました。
アメリカ海軍によると、「軍の使用している高感度ソナーなどの影響で、多数のクジラやイルカたちが方向感覚を失い、体に傷を負い、脳内出血が起こる」とのことで、発表されている犠牲となったイルカやクジラの総数は1万1000頭を超えています。

確かに近年発生したイルカやクジラの大量死を調べてみると、チリやペルーなどアメリカ海軍が自由に動ける場所で発生している傾向が多いです。
もちろん、全ての大量死にアメリカ軍が関係しているとまでは思いませんが、世界中で発生しているイルカやクジラの大量死の半分くらいは、「アメリカ海軍が引き起こしている」と言っても過言ではないでしょう。

現に、アメリカ海軍も「重症を負ったものは、11267頭」と認めているわけで、この数はあまりにも多すぎます。そういえば、日本の捕鯨活動に抗議をしていたシー・シェパードは、アメリカ海軍には抗議をしないのでしょうか?
1万頭を超える犠牲が出ているとか、日本の捕鯨数を遥かに超えていますよ(苦笑)。


☆イルカやクジラの大量座礁や大量死。米海軍がその関与を認める。訓練や実験による海中の爆音によるもの。
URL http://karapaia.livedoor.biz/archives/52141185.html
引用:
クジラやイルカが集団で海岸に大量座礁するというニュースが定期的に世間をにぎわしている。この原因は、米軍の潜水艦から発せられる大音響のソナー音にあるのではとかねてから指摘されていたが、ついに米海軍はこの事実を認めたそうだ。

米海軍の訓練や実験によって、器官に気泡が生じたりするほどの大音響が海に響き渡る。多数のクジラやイルカたちが、方向感覚を失い、体に傷を負い、脳内出血が起こる。

米海軍は近頃、環境影響研究報告を発表し、軍の訓練や実験がアメリカの東海岸、メキシコ湾、ハワイ、南カリフォルニアに生息する海の哺乳動物に壊滅的な影響を及ぼしている可能性を認めた。

海軍はこれらの海域で、アメリカ海洋大気圏局のプログラム準備のために実験を行ってきた。海軍の推定によると、模擬実験のせいで、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭のクジラやイルカが死んだ可能性があるという。さらに重症を負ったものは、11267頭にものぼり、方向感覚を失うなどの異常行動も多数確認されているという。

こうした海軍の見積もりに疑問を呈する者もいる。天然資源保護協議会(NRDC)の政策アナリスト、マイケル・ジャスニーは、それほど頻繁でない騒音でさえ、ヒゲクジラの採餌パターンを混乱させ、その個体数に悪い影響を与えることがあると指摘し、ソナー(音波探知機)訓練の後、ハワイ沖でおびただしい数のクジラが座礁した例をあげた。

いわゆる、人工地震の実験による犠牲もこの中には含まれていると推測されます。アメリカ軍というのは、第二次大戦時から人工地震の研究開発をしており、ニュージーランド近海で実際に「津波爆弾」の実験調査をしていました。

この実験で核兵器がなくとも、爆弾の数と設置場所次第では数メートルの津波を引き起こす事が出来ると判明しており、現代では強力な電気エネルギー照射システムなどを利用したシステムの研究開発が行われています。

電気エネルギー照射システムの1つには有名なHAARPシステムもありますが、ハッキリ言って、HAARPというのは世界中に何百とある電気エネルギー照射システムの1つに過ぎないため、HAARPが潰れようが世界には大きな影響はありません。

そして、一番の問題は、このような実験がイルカやクジラなどの生き物を数多く苦しめていることです。福島原発事故もそうですが、人間たちはあまりにも自然を傷付け過ぎています。
いずれは、人間すらも海に入ることが出来ないような状態になってしまうことでしょう。
そうならないようにするためにも、今の権力構造や社会システムを見なおさなければいけません。それこそ、社会全体を江戸時代に戻すことも考えるべきだと私は思います。
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by greenwich-village | 2015-04-30 08:51 | グリニッチ・ヴィレッジ

祭神輿と「祭の幻想」

本日は晴天なり。
平の街の神様のお祭りでお神輿が練り歩いています。只今、平城跡の本丸にて神輿モミ終わり、坂を下って街へ出ていきました。平城からの街の眺めとお神輿と晴天、とても気持ちのいい春のお祭りの日曜の朝です。
これから街内の辻辻を回って、2時半頃には駅前大通りで2つの神輿がモミ合います。お時間がある方は是非。

曲は、日本のアート・ブレイキーといえるモダンジャズの草分け、オリジナーターの白木秀雄の「祭の幻想」。





レア中のレア、激レアなオリジナルLPあります。



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by greenwich-village | 2015-04-26 10:54 | グリニッチ・ヴィレッジ
先日


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by greenwich-village | 2015-04-26 00:45 | グリニッチ・ヴィレッジ

メッセージ

メッセージ

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by greenwich-village | 2015-04-20 01:02 | グリニッチ・ヴィレッジ
くだらなすぎて、ステキだ。

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by greenwich-village | 2015-04-18 22:47 | グリニッチ・ヴィレッジ
「現在のビジネスはアートの領域に近づいている」(中嶋よしふみ)なんてトピックがあがっている。
「グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?儲かってる企業が人材やオフィスにお金をかけているという事ではない。ビジネスの仕組みが変わってしまったと見るべきだ。」なんて内容だ。

評論ライターの生業としての狙いは分かるがね、いや、ビジネスの仕組みは日々変わっていくのは当然だし、そんな難しい話じゃなくて、やっぱり儲かってお金があるから払えるんだよ、なかったらどうしたって払えないって。お金や生活に困っていない人だから「想像してごらん、所有物はないって」なんて歌えるのと同じだよ。
クリックして論調レポートの突っ込んだ内容を読むと、昨今はアート=ヒット商品なんだって、あぁそれで、自分は、巷で至る所で乱発されて、この文脈でもこうして使われている「アート」って言葉が苦手なんだなってよく分かった。
昨今の感覚は、ビジネス的ヒット/商業的成功がアートね、カップのふちこさんとかアンパンマングッツとかタニタの弁当とかAKBとかね。
ただ「アートの領域」ってのは意味がよく分からないけど。アートの領域ってどういうことだ??言葉のために言葉をつなげると、絵具をぶちまいた抽象絵画やアクションペインティングみたいに意味なし意図なしってことになるんだなぁ。
つまりはそれも、ヒットしてからの後付けってことなんだね。
そうかそうか、時代は「意志より後付け、商業ヒットしたものが基準定義、多数が正義」ってことか。

おかげさまで良く理解できたし、ようやっとわかったよ、自民党がアートだってことが。
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by greenwich-village | 2015-04-17 02:15 | グリニッチ・ヴィレッジ


今朝、情報番組で「家族という病」という本の紹介をしていた。いかにも幻冬舎出版らしいタイトルと内容で、なんだか売れまくっているという。
著者は元NHKか何かのアナウンサーで今は評論家か何かやっている女性で、売れて話題ということでご本人も出演して語っていた。
「家族などもともと病理でその関係性は許しあえないもの云々」といったネガティヴなことをまことしやかに語っていたが、ようするに著者の彼女自身の生い立ちの話で、父親との関係が悪く死に際にも行かず許していないということを、現代の家族関係はそういうものだと解釈しているだけのものだった。なんだ、つまりは愛されなかったから愛せない、幼児虐待の連鎖とかわりがない。何かの「論」ではなくて個人的「自伝的エッセイ」を社会論に曲解したものだ。
そんなものがベストセラーになっているなんて、日本はそんなに殺伐としているのか、それとも流行りなら何でも乗っかってということか。誰が何の本を書いて、誰が何の本を買って、誰が商売して誰が誰に共感しても勝手だが、それらは終始一貫利己の話で、どーでもいい本とどーでもいいトピックスだった。


私の経験から、私に言わせれば、「“家族という病“”という本が売れるという病」といったところだ。
先日、家族らとバカ話をしていて、母親と兄の奥さんと私の妻が話しているところを見ていて「家族」を見た。
3人共もともと赤の他人だ。赤の他人に何かの「縁」があって「家族」になった。
「家」とはそれそのものには何もない。赤の他人が「縁」を互いに温めあって「家」になり「家族」になる。孤児院の子供たちも先生も、血のつながりはないがそこは「家」だし「家族」だ。
商業性と時代性といったところだが、著者と読者たちの利己的現代病に憐れみを感じた。
「家族ではなくて利己優先という病」という本でも書こうか。バカらしいのでやめておく。



「系図」  高田渡  



系図 - 鉱夫の祈り by 高田 渡




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by greenwich-village | 2015-04-17 00:01 | グリニッチ・ヴィレッジ

天ぷら、シャボン、噴水の、本物のインスタレーション。

昨日は、いわきアリオスのパークフェスでした。天気も良く多くの人出で賑わっていました。飲食・物販・音楽・スポーツ・ダンス・クラシックカーからプロレスまでとても楽しい内容でした。
何より最も素敵だったのが、それらの総電力を賄っていたいわばパークフェスの心臓と言える、島村さんの電源車。お馴染みのソーラー車もありますが、今回は天ぷら廃油発電車。発生機のシャボン玉の雨もミニパネル発電のソーラー噴水も大人気。
先進国消費社会の申し子余興の産物に“空間芸術”インスタレーションなんてものがありますが、あのソーラー・廃油発電車こそ本物のインスタレーションで、心から感動しました。


震災があり原発が吹っ飛んでから四年目の温かい晴れた空。電力は飲食街界隈から出た生活油・天ぷら廃油。クルクル回るソーラー噴水やキラキラと光に輝くシャボン玉の雨に、子供たちも親御さんも大人たちもみんな笑顔がこぼれる。場と時間がアイロニカルでもありポジティヴでもある。
アートという言葉はとても苦手だし、意図せず島村さんも微塵もアートのつもりはないのですが、場と時間のアート・インスタレーションといえばこれこそインスタレーション。意図狙いのない良きものには、人は自然に集うものなのでした。

月1パークフェスにお出かけの際は、飲食・物販・イベントのほか、島村電源車が作り出している空間をぜひ体験してみてください。
ご本人はいたって照れ屋な方です。


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by greenwich-village | 2015-04-13 10:22 | グリニッチ・ヴィレッジ

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