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音楽マニア/ブルース・ファンには、シカゴの「チェス・レコード」といえば一般的にブルースのレコード会社という認識がありますが、R&B/ソウル/ジャズものも出しています。
こちらはそのシングル/EPコレクション・オムニバスCD。シカゴ・ブルースはもちろん、ジャズR&Bやソウルものも満載。ノーザン・ソウル/ノーザン・ブルース集。まさに、シカゴ・アップタウン・ソウルといったところ。
ブルースはダンス・ミュージックです。

今日は収録EP曲のこのスウィートなソウルなR&Bダンスナンバー。
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                           エンターテイナー/トニー・クラーク



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by greenwich-village | 2012-04-30 09:40 | グリニッチ・ヴィレッジ
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タランティーノの美味しいところ取りのオタクなパロディー・パクリ精神はキライじゃないが、やはり本家があってこそ。

梶芽衣子の美しさときたら、悲しみの影というか妖艶というか、そこさえ通り越してただただ凍りつく。もちろん、アメリカ女性じゃ絶対に出せない。

時代背景が違うから比べる必要もないが、今の女優さんでこの手の芝居が凍りつくようにはまって出来る人はちょっと見当たらないかな。

梶芽衣子もの映画、私はちゃんと見たことがないけど、このクリップを見ただけで、ほら、何だか見たくなるでしょ。

綾瀬さんも黒木さんも他の女優もみんな明るくて、見ていて、とてもやりきれないほどの覆せない悲しみと冷たさを感じないんだよなぁ。

だって梶芽衣子のこの美しさって、ホラーなんかよりもずっとゾッとするほど怖いものね。



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by greenwich-village | 2012-04-27 01:47 | グリニッチ・ヴィレッジ
明日、27日は休業いたします。よろしくお願いいたします。

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何が正義でなにが悪で、何が正しくて何が間違いかなど、まったく意味がないのが現代日本社会です。

お山の大将そこにあり!!
寄らば大樹の陰。
一喜一憂右往左往アタフタする全国会議員の大センセー方の皆様へ、この曲を捧げましょう。

♪ ~ボクは20世紀の少年、ボクはキミのただのオモチャ ♪  必ず大音量で聴きましょう。





沈没寸前のタイタニック号。
われ先に救命ボ-トに乗ろうとする男性客に対し、乗組員が必死に「女性、子供を優先してください」と訴えた。
各国の男性客に対して、乗組員が説き伏せた。


英国人  :  あんたはジエントルマンと尊敬されます。

米国人  :  あなたは、ヒ-ロ-と呼ばれるでしょう。

ドイツ人 :   規則で決まっていることですから。

日本人  :  みなさん、そうされています。


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by greenwich-village | 2012-04-26 10:21 | グリニッチ・ヴィレッジ
「音楽を聴こう」としないほうがいい。

音楽を聴こうとすると、音楽を聴こうとするメンタルが、聴こうとする音楽を聴く前から型にはめてしまう。
「かくありなん」と、聴く前から型にはめた音楽を聴いて、あぁやっぱりね、と聴いてしまう。
それは音楽を聴いているのではなくて、自ら型にはめたメンタルを投影して重ね塗りしている行為になる。
音楽は聴かないで、音楽が流れているところに身を置いている、というスタンスがいい。

川のせせらぎや海鳴り波の音、雨音や風の音、動物の鳴き声や日常の生活音を聴くまでもなく耳にして、こんなものは音じゃない、などとわざわざ言う人はまずいない。
それらの音はただあって、そういう場に自分が居合わせているということ。
音楽が音であるならば、音楽もまた、同じことが言える。音楽が流れている場に身を置いているということ。
聴こうとすると無理が生じる。
日常の雑音が常に聴覚に届いてはいてもまるで聴こえないでいられるように、自らが型にはめた好んだ部分しか聴こうとしない。
逆に言えば、聴く前から型にはめているのだから、聴かなくてもすでに聴こえていて、わざわざ聴く必要はない。

これは音楽じゃない、なんだか意味が分からない、難しい、というのも型にはめているから生じる感覚で、音楽に意味などないのだから難しくなることはない。
意味があるものが、理解しなければならない、理解できない、だから難しい、という展開になる。
意味がないものに難しいということは、論理的にありえない。

理解できない、難解というものは、とてつもなく意味があるものか、それとも受け手が型にはめているかのどちらかになる。

音楽は、ただそこに居合わせて身を任せてしまえば、それだけのこと。
人は誰でも、あらかじめ混沌や不条理や無秩序や衝動を内包しているが、ちょうど鏡のように身を置けば、なんてことはない音楽という音の流れがあるだけだ。

音楽には意味がない。
聴き手・受け取り手個人各々に意味があって、意味を見出して、意味を創造して、イマジネーションを膨らませ、幻影幻視をし、音楽を楽しんでいるのだ。
音楽はそういうインタラクティヴな娯楽なのだ。

ミュージシャン・音楽家が自ら意味を持たせてしまうと、音楽は聴き手受け取り手に届く前から、“意味”という型にはまってしまう。

本来的に「意味」を持たない音楽というものにあるのは、感覚だ。

赤ん坊がなぜ泣いているのか、お腹がすいているのか、オムツなのか、どこかが痛いのか、そういうものを瞬時に聴き分けられる母親たちのそれと同じものだ。

感覚を発達させたところに、音楽はある。
聴こうとすると、自分がはめた型・知識や経験だけが立ちあらわれて、まったく何も聴こえなくなってしまう。

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by greenwich-village | 2012-04-22 02:12 | グリニッチ・ヴィレッジ
アコースティック・シリーズでお届けしています。
良質な音楽、ギターの上手さは勿論のこと、無駄な電気は使っておりません。
電気仕掛けで音楽は生まれません。
生まれた音楽を電気仕掛けに増幅しシーケンスするだけのこと。

脱原発な音楽。再稼働しなくても問題ありません。

スコットランドの至宝、バート・ヤンシュ。

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by greenwich-village | 2012-04-21 09:57 | グリニッチ・ヴィレッジ
国宝:世界遺産/ドク・ワトソン

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by greenwich-village | 2012-04-21 09:27 | グリニッチ・ヴィレッジ
まっ黒くろケのけ。ビッグ・ビル・ブルーンジー。

これ以上何も足し引きいらない、素晴らしい唄、素晴らしいギター。

白人は白人の音楽、日本人は日本人の音楽。

リズムでもアレンジやコードでもなく、フェイクするボーカルでもない。

黒人がやるからブラック・ミュージック/ソウル・ミュージック。

歴史と生活と血から響き出た音、唄。

とても真似できないけれど、血の真似をするほど、恥ずかしいほどとても遠くなる。

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by greenwich-village | 2012-04-20 09:55 | グリニッチ・ヴィレッジ
オリジナル・ジャズギタリストのひとり、エディ・ラング。

フランス/ジプシー・スウィング/マヌーシュのジャンゴ・ラインハルトを思わせる音ですが、ジャンゴよりも先の人で、一説には、ジャンゴがエディ・ラングのスタイルを聴きこんでいた、と言われているようです。

ジャンゴはエディに関して言及していないようですが、音・スタイルを聴けば一聴瞭然。

私としては、ジャンゴはエディたちのスタイルにかなり影響を受けていたんではないのかな、と思っています。

そんなことはともかく、とても小粋で良い音楽です。

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by greenwich-village | 2012-04-19 21:58 | グリニッチ・ヴィレッジ
ドブロといわれるギターの音色です。

TUTは素晴らしいプレイヤーでドブロの名手です。

ブルーグラスといわれる音楽のひとつです。

日本では一般的ではありませんが、リアル・アメリカ音楽/ルートミュージックは多種多様で実に豊かです。

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by greenwich-village | 2012-04-19 12:32 | グリニッチ・ヴィレッジ
映画「宮廷画家ゴヤは見た/ゴヤズ・ゴースツ」。

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私たちの昨今の事情となんら変わりがない。

古今東西、いつの世も今も、人と人の世は同じで、まったく進化しない。


悲しむのは、いつも名もなき民衆。

愚かなものほど、高いところに登りたがり、降りることもできない。


政治家ほど国を愛していない者はいない。


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感情的・経済的にではなくて、論理的・整合性的・合理的に。


原発再稼働。

賛成推進派、与党・野党・官僚・経団連・学者・評論家・電力会社各位、誰一人として無責任で一切責任をとらない。
「責任は私がとります」などといくら言葉で言っても、それで辞職しようとも、問題は何一つまったく解決しない。

「あれは地震と津波があったからで、そうでなければほぼ安全です」と相も変わらず繰り返すが、今後地震がおきない津波が来ないということではない。

放射能汚染は、家のまわり程度の値を下げるだけの除染で、飛び広がった広大な山川海生態系を確実に侵食している。
こうなってしまうと100%まったく不可能だ。

こうなってしまった現実を棚の上にあげての再稼働。

再稼働派の諸氏は、弁論大会のようにくだらない口での四の五のではなく、誓約公文書書面に「責任は私がとる」と書くべきだ。
その責任はとうぜん期間限定ではなく、再稼働派の孫子はもちろん、末代まで有効になるようなものを作る。

本人たちは40年もないうちにボケて死んでしまう。日本人がお得意のやり逃げの典型。
だから一族郎党末代まで、その責任を負わせる。

それで推進だ再稼働だ、というのなら、それらの議論決定は有効なものになるだろう。

それがないのに「政治判断」もへったくれもあるわけがない。プロも専門家もあったものではない。
それらの言葉はカス以下のものだ。

主義主張・利権権力、そんなものは政治家だろうが東大出だろうがイワシの頭だろうが何でも構わない。

お金が欲しいだけで政治家になり、東大に入り官僚になり、お抱え学者になっただけだ。

そこに「責任」は一切ないというのが、問題が一向に進まない理由だ。

政治家も官僚も学者も経団連も、数年程度で変わっていく。自分がいるときだけ「ことなかれ」であればいいわけだから、責任などどこにも生まれない。

だから公文書で末代までの責任のうえで判断させるのが、合理的だ。

未来将来、規模の大小にかかわらず同じことが起きた時、彼らの一族郎党は責任を負う。責任を負って差別される。
事が起きなければ、たんまり稼いで成り上がった血筋でこの世の春を謳歌すればいい。

その前提に立って「再稼働」を決断すればいい。

けれど、そんなことは一切しない。
責任を負いたくない。無責任でいたい。無責任のまま、稼ぎたいし権力を振り回したい。
ベンツに乗りたいし、ビフテキを食べてワインを飲みたいし、ゴルフもしたいしブランド服も着たい。

ただそれだけのことだ。無駄に言葉と税金と時間をこねくり回して、責任など一切どこにもない。

職業としてではなく、人間として、自分が責任をとらなくていいことを知っているから、政治家も官僚も電力会社も、脳内メーカー表示の「金」しかない頭で、再稼働かどうか、などと真面目な間抜けな雁首で議論している。


野山動物・自然は壊れた。残念ながら除染など生活範囲だけで事で、まったく意味がない。もとに戻らない。

そうなった現実を目の当たりにしてもなお、再稼働というのなら、しかたない。

それも我々国民の責任だ。

原発を止めて電力供給が減り、電気不足・節電しなければならなくなれば、それも国民の責任だ。


決して頭のよくない政治家、お金が欲しくてなった政治家、何かのはずみで神輿に乗った政治家、それに集る後援者、バカボケでしかない官僚、欲ボケ電力会社。

彼らの無責任が、われわれの責任になる。なんとも矛盾した皮肉な民主主義・資本主義・貨幣経済という構造・システムだ。


無責任のテーマソングはコチラ↓

http://www.youtube.com/watch?v=nHXVDVuVbXU
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by greenwich-village | 2012-04-15 10:55 | グリニッチ・ヴィレッジ

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