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2011年12月31日、最後のカタログ。

今年この年の最後を飾るのに相応しいのは、「ラプソディー・イン・ブルー」。

良いお年を、良い日々を。


I'm glad to see you and you are there.

Thank you for your coming. from Greenwich Village



「ラプソディー・イン・ブルー」      ジョージ・ガーシュイン





2012年は1月3日から営業いたします。どうぞ遊びにお越しくださいね。
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by greenwich-village | 2011-12-31 10:58 | Comments(0)
普段の暮らし、
水でも、食べ物でも、電気でも、故郷でも、収入でも、家族でも、友達でも、健康でも、心でも、喜びでも楽しさでも、悲しみでも寂しさでも、
何でも、
それを失うまでは、わかっているつもりでいても、まったく気がつかない。

失ってはじめて、ようやく少しだけ気がつく。
失ってようやく気がついたのだが、何もかも失っているので、何もできない。
失っているときは何もできない。
赤子のとき、熱かったり痛かったりして、それで火というものを覚えたのに、
そうしてまたそれが手に入るようになると、それが当たり前だというように、また少しずつ忘れていく。
今度は、失ってようやく気がついたのもを、失っていく。
普段の暮らし、
水でも、食べ物でも、電気でも、故郷でも、収入でも、家族でも、友達でも、健康でも、心でも、喜びでも楽しさでも、悲しみでも寂しさでも、
何でも、まかなえるようになる。
何でもできるので、わかっているつもりでも、気がつかなくなる。
暦の上で今年が終わり、暦の上だけで来年が始まる。
水の上を油が滑っていくように、終わりの時刻が、まさに始まりの時刻になる。
裏のない表はなく、表のない裏もない。
ものには影があり、影のないものはない。
正義にも汚らしさはあり、悪意にも潔さはある。
反省にも後悔はなく、開き直りにも諦めはない。
行くには近く、留まるには遠い。
隠すには眩しく、明かすには暗い。
瞬きには長すぎて、呼吸するには短い。
夕べは早く、早朝は遅い。
意味は軽すぎ、無意味は重すぎる。
約束は曖昧で、嘘はかたくなだ。
記憶は投獄され、忘却は都合がいい。

普段の暮らし、
水でも、食べ物でも、電気でも、故郷でも、収入でも、家族でも、友達でも、健康でも、心でも、喜びでも楽しさでも、悲しみでも寂しさでも、
何でも、
行方不明のまま、捜索は打ち切られる。
いまここに自分がいることが、自分の形見になる。
八方を塞いでこそ、枝が伸びるか、根が張るか、幹が太る。

終わるのではなく、また始まる。


クロージング・タイム   トム・ウェイツ


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by greenwich-village | 2011-12-31 02:35 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)
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新春ロードショー映画「注文の多いホームベーカリー~ラストダンスをあなたに」、ロングラン大ヒット絶賛アンコール上映中!!!脳内で。

主題歌「ラストダンスは私に」    越路吹雪


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by greenwich-village | 2011-12-30 10:35 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)


何も懐かしくはない。
新しかったはずの日本は、今やすっかり古くなってしまったけれど、
そのころ古かった日本を、今は新しく楽しむ。

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by greenwich-village | 2011-12-28 23:00 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

冬隣 

冬隣    ちあきなおみ


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by greenwich-village | 2011-12-28 10:20 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

冬越え

これ以上ない激動の今年も、いよいよあと5日になりましたね。

グリニッチ・ヴィレッジは年内開いておりますので、お近くの方は、暇つぶしにでも遊びにきてやってください。

寒い寒い季節ですが、どうぞご自愛ください。

この歌を、皆さまへ。


冬越え / ギター弾き語り      細野晴臣


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by greenwich-village | 2011-12-27 10:55 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)
有名な企業家、スポーツ選手、役者、映画監督、ミュージシャン、小説家、偉人など、著名人に対してスゴイ!的な表現はよくあるものですが、彼らにしてみれば、実は別にすごくもなんともない。

彼らは、彼らにできることをしているだけです。私たちも、私たちにできることをすればいい。
そのあたりを知らず知らずに「比較」しているから、「スゴイ!」なんて表現になる。初めから、それぞれがいる土俵が違うのにスゴイなんて褒め合いは、実は言葉のあや以外にない。
虎の皮をかぶったタヌキか、評論家は自分が認めたと権威づけしたがり、人々は権威づけを欲しがる。

他人の芝生はみどりに見える云々、いまならさしずめ、他人の芝生にはセシウムがいっぱい、といったところでしょうか。

そういう有名人彼らは、誰に言われることなく、誰に強制させられているわけではなく、ただ好きだからやっていてその結果がそうなったというもの。
毎日素振りもしていないのに記録に残るようなヒットなど打てるわけがないし、ダンスや楽器を練習しないのに踊ったり弾けるわけがない。なのに、スゴイ!と思うのは、実は、それに関して何の努力もしていない自分が、まるで彼らと同じ土俵にいるつもりで言っているわけです。

山登りの人は、誰かに賞賛されたくて登っているわけではないでしょう。登りたい、登ってそこから風景を望みたいからどれだけ高い山でも登ろうとする。
素潜りの人も潜りたいから潜る。
お笑いの人は、笑いが大好きだからボケまくる。
賞賛を受けたいからやっているのではなくて、結果的に他人に賞賛されただけのことで(何よりもまず賞賛だけを得たがるのは政治家・権力者です)、誰がいようといまいとそれを続けている。
各個人それぞれ違う土俵なのに、いつまでも他人の芝生はみどりの賞賛が気になるのなら、原子炉の中にいても凍え死ぬことでしょう。

自分には自分の間尺の努力があって、そういう生活があって暮らしがあって日々があって、そこが自分にとって一番高い場所、一番深い場所、一番温かい場所です。
だから、あなたにとって、いまいるそこが一番素敵な場所なのです。

もし、いまいるそこが、自分にとって世界で一番温かくない場所なら、それは自分の土俵で素振りも練習も努力も意欲もなく過ごしているからでしょう。
他人の芝生はみどりに見える、とどこかほかの場所にそれを求めたところで、場所が変わるだけで、自分はまったく変わらないのですから、どこに行っても寒い場所のままです。

どこかのお金持ち大王セレブが特別背任で50億円もギャンブルにつぎ込んだところで、決して温かくはなれなかった。
手作りケーキやローストチキンの美味しい作り方を努力したほうが、豊かです。ギターやピアノを覚えるほうが、どんな音楽家よりも音楽的です。親子でキャッチボールをしたほうがファインプレーです。家族に手紙を書いた方が名作です。

そこが世界で一番高くて、深くて、温かい場所になる。その場所から見える風景は、その場所にいる人だけの楽しみ喜び、ごく普通の最高にスゴイ!ことです。


知ってましたか?

実は、旦那様も奥様も、お父さんもお母さんも、子供たちも、みんなお互いにサンタクロースなんですよ!!


グリニッチ・ヴィレッジのクリスマス・ソング、メリー・クリスマス!!



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by greenwich-village | 2011-12-24 10:55 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(2)



ヴィトゲンシュタインという哲学・言語学・論理学者が導き出した有名な言葉に、

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

というものがあります。

つまり、ほぼ99%は「語りえるもの」であって、語りえるものは、それらの内容は各々に、受け取り手に何らかのひとつの「娯楽」を提示するものです。

AKB48から歌舞伎まで、漫画ワンピースからポストモダン構造主義まで、ラドン温泉から世界一周船旅まで、ドリフのコントからオペラまで、親たちが読む子供たちの作文から大文学者の作品まで、パチンコから株式まで、お茶漬けから北京ダッグまで、アマゾンの原住民からジョン・レノンまで、バッタものコピー商品から国宝芸術まで、指相撲からK1まで、目玉焼きから宇宙ステーションまで、能からフリー・ジャズまで、宴会芸から社会運動まで、麻薬から無農薬健康食品まで、ラーメンからワイン収集まで、ラブレターから公文書まで、ゴシップから政治ニュースまで、回覧板から学会レポートまで、町内の公園の砂場からディズニーランドまで、世捨て人から権力者まで、病院の待合室から帝国ホテルのスウィートルームまで、よさこいソーランからベートーヴェンまで、迷信俗説から世界宗教まで、ニンテンドーゲームから量子力学まで、幽霊からサクラダファミリアまで、ユニクロからイヴサンローランまで、鼻で絵をかく象からダ・ヴィンチまで、クリスマスからお葬式まで、この世の99%は語りえるもの。

1%は沈黙せざるをえないのですが、99%は語りえられる。

語りえられる限りのもの、言葉の限界まであるおよそすべてのものは、それらに共鳴する者に何らかの「娯楽性」を提示する。

簡単な事象を楽しむ者もいれば、難しい苦悩する事象で喜ぶ者もいる。

「事象に付随している言語性の限界」が「娯楽性」であり、沈黙せざるを得ない1%を除けば、すべては「娯楽」として言語性的に還元される。

たとえどんな雨にぬれても、この世の99%はエンターテイメント。
喜怒哀楽、日々悲喜こもごも、運不運、こうやって呼吸して生きていること自体が、おおむね、大いなる娯楽だといえるでしょう。








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by greenwich-village | 2011-12-23 11:16 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)
3月11日震災~事故から今クリスマス~年末まで、

私的に、この生涯の中で2011年・今年という日々・時間をあらわすのはこの音楽。

そして、誰の作品なのかは知らないが、エレミア哀歌を探してそれに付けられていた、まさにその通りのこの絵画。


この響きとこの絵が象徴しそこから感じるものが、私が生きた今年の抽象的印象、心像風景。

この命で見て体験したのだから、おそらくこの先も、この深層にある印象は変わることはないだろう。

私は言葉を尽くすことを厭わないが、それは一線のこちら側の範疇内での有用な道具としてであって、

そこから先へ行くほど、その概念の道具は尽きてしまうように感じる。

直観は、

思いつきだとか勘ぐりだとか、超常現象だとか心理試験だとか、反射神経だとか洞察だとかではなくて、

文字の如く、ただ直接に観る、ことだ。

直接に観る“直観”という体験が、深層核心にある抽象的印象になる、ということを生命体として心得た。

哀歌は、

悲しんでいる者が自ら唄う歌なのか、それとも、悲しんでいる者へ向けて他者が唄いかける歌なのか。

おそらく、そのどちらでもあるだろう、ということになる。

両者は、

打ちひしがれる者が天使を求めるのか、天使が打ちひしがれる者を探して舞い降りるのか。

おそらく、そのどちらでもないだろう、ということになる。

善意と悪意は補色しあい、理解と誤解は擁護しあい、安心と不安は裏切り合い、理想と現実は騙し合う。

無事が人をして怠惰に後退させ、恐怖が人をして真摯に進化させる、という不条理、矛盾。

晴れた日に雨傘をさす者は嘲笑し、雨の日に新しい靴を履く者は憤慨する。

土地を耕したが種を失い、薪を拾い集めたが釜戸がない。

構造が部品を作り、部品が構造を作り、日々は、空腹を誤魔化すための新しい香を焚きながら、古くなるために前進している。

瓦礫と汚泥の中を手探りで、確かかもしれないと直接に観えるものは、ただ生の存在に帰結する、瞬時に。

目では見えなかった。


エレミアの哀歌 (1)



エレミアの哀歌 (2)


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by greenwich-village | 2011-12-22 00:58 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(4)



不確実なこの世界と曖昧な自己を否定せず、ありのまま“受諾”するという輝き。

ウェルカム “受諾”という音と光

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by greenwich-village | 2011-12-21 01:58 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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