<   2011年 09月 ( 25 )   > この月の画像一覧

アルバム「ニッポン・クレズマー」  フレイレフ・ジャンボリー

トルコ、スペイン、マケドニア、流れ流れてドナウ川、エセ・バルカンの薫りただよう純国産和製ジプシー楽隊、大阪ブラスバンド。
理屈なく、文句なく、楽しい。

f0148098_1013726.jpg
f0148098_1013254.jpg
f0148098_10134837.jpg

フレイレフ・ジャンボリー


[PR]
by greenwich-village | 2011-09-30 10:18 | グリニッチ・ヴィレッジ
f0148098_23573891.jpg
f0148098_23575127.jpg















f0148098_2358349.jpgf0148098_23581544.jpg








f0148098_23583288.jpgf0148098_23584841.jpgf0148098_2359221.jpg

































こころ粉々に砕かれ 失くしてしまった 幻のメリー・ゴー・ラウンド 愛さえ

きっと生まれ変わる 今なら もう一度だけ 動き出せメリー・ゴー・ラウンド 目を覚ませ ユニコーン!






f0148098_23313130.jpg

[PR]
by greenwich-village | 2011-09-29 23:39 | グリニッチ・ヴィレッジ
生田敬太郎&マックス、隠れ名盤「この暗い時期にも」(エレックレコード)からタイトルナンバー。

♪~人生は甘いものにせよ、苦いものにせよ、好ましいものとして 役立てよう

この暗い時期にも   生田敬太郎




♪~おしきせの署名に名前を連ねたら、支配者が折れるとでも言うのかい



[PR]
by greenwich-village | 2011-09-28 09:22 | グリニッチ・ヴィレッジ
前エントリーのユーミン「生まれた街で」へ勝手にアンサーソング、「異国」。
ユーミンがフリーソウルなら、中島みゆきはブルースだ。

復興ライブとか支援イベントだとか応援ソングだとかのビジネスは沢山あるけれど、
どれもストレス発散か癒しか、はしゃげるんだから、みんな深刻じゃないんだろうなぁ。
まぁ、どのみち音楽じゃ世の中は何も変わらないんだから構わないけれど、
みもふたもない、実のところ何だかあやしい郷土愛、なんだから、
個人的には、福島のテーマソング認定、こういうのもライブやラジオで取り上げてほしいと思うなぁ。
パレードや集会でも歌ってほしいなぁ。雇用促進も反風評もアピールしてほしいなぁ。

音圧だけのロックバンドよりもずっとパワフル。お聴きになるなら、心が怪我なさらないようにお気をつけて、どうぞ。



[PR]
by greenwich-village | 2011-09-26 10:24 | グリニッチ・ヴィレッジ

生まれた街で

生まれた街の匂い やっと気づいた もう遠いところへと 魅かれはしない
 


[PR]
by greenwich-village | 2011-09-25 23:34 | グリニッチ・ヴィレッジ
ひどい台風が過ぎてようやく穏やかな日差しの秋晴れ。
まったく!!
今年は地震、津波、原発、台風、洪水、土砂崩れ、日本中とんでもない事続きで、
「がんばれ」なんて唄われたところで余計に疲れるだけで、
それよりもこうして確実に季節が巡っていることを肌で実感したほうが、
どれだけ心穏やかになれることか。
自然界は脅威で猛威で畏怖されるものですが、同時に限りなく優しいものでもあって、
季節が変わるだけで、いつでも鮮やかな新鮮な気持ちにさせてくれます。
人間の形をした神は知りませんが、
自然の加護と叱咤の中で、幸運にも無事につつましく生かされていると実感します。
今年のようにいつどうなるかわからない事態、ここまで人智が及ばない天災続きだと余計に、
“今日”一日一日を鮮やかに生き抜く以外に“未来”は望めない。
自然という神のご加護あれ、あなたはいつも私を鮮やかな気持ちにさせてくれる。
秋晴れの良き一日を!



[PR]
by greenwich-village | 2011-09-24 10:01 | グリニッチ・ヴィレッジ

イコール

思うことを取り留めもなくまとまりもなく書いてみるので、お時間があれば、読み流してください。

タバコ税を上げて一箱700円にするとかしないとか。その是非で国もマスコミも少し騒いで見せているが、ビートたけしがいかにも彼らしいことを言っていた。
700円にするのではなくて、値段はそのままでその分タバコを短くすればいいじゃないか。
この発想はまさにビートたけしの芸風で、理系らしい彼の発想はいつも「イコール」で結ばれている。
2+2=1+3=4-0のイコール部分で、彼が見ている世界はすべてイコールで結ばれている。実際、世界はイコールで出来上がっている。
「風が吹けば桶屋が儲かる」。ドルが下がれば円が上がり、円が上がれば経済が冷え込み、経済が冷え込めばおとうさんの小遣いが減り、小遣いが減れば飲みに出かけることも少なくなり飲食店は売り上げが落ち、仕入れを抑えるから業者の売り上げは落ち、問屋の売り上げは落ち、とイコールにはきりがない。
裏は表で、表は裏、右は左で、左は右、プラスはマイナスで、マイナスはプラス、コロッケは80円で、80円はコロッケ、労働が月20万円で、20万円が労働、ニンジンと玉ねぎと肉がカレーで、カレーがニンジンと玉ねぎと肉。

ツービート時代のたけしの下ネタギャグで、
「道を歩いていたら足元に犬のウンコがあって、あやうく踏みそうになってね、どうもウンコみたいだなぁと思って、手に取って見たらウンコ、匂いをかいでもウンコ、なめてみてもやっぱりウンコ、あぁー、踏まなくてよかったなぁ」
汚いギャグだけれど、これもイコールの発想で、イコールで見えているから逆転の発想が出来る。タバコを短くすればいいじゃないか、と同じだ。

物事はイコールで出来ているけれど、これがなかなかイコールで認識したり理解したり発想したりできないもので、人は大概、一方通行での認識に固まってしまう。
コレとソレはイコールなのに、コレはコレ、ソレはソレ、タバコはあの形がタバコ、700円は700円、といった具合に。
もう一度、イコールで世界を見回すと、もともとそれほど窮屈ではない世界だということに気がつく。気がつくこと=世界。

さて、ここから話は脈絡なく飛ぶようで飛ばない。イコールだ。
「反原発デモ」が盛んに行われている。自分と家族の生命の危機に人生最大の恐怖におびえながら逃避行した私も当然、反原発だけれど、集団性はどうも苦手なほうで気持ちだけは参加するがパレードはしない。
反原発デモ、反原発集会、「反原発」という見出しは注目に値しやすいから使うだろうけれど、「新エネルギー推進デモ」というのは聞かない。
「政府は原子力発電所を止めろ!」というのもわかるけれど「政府はいち早く新エネルギー開発を進めろ!」という掛け声は聞かない。

風力でも地熱でも他の新しいエネルギーでも、そういうものの開発に税金を使って推進する。もっと加速度をつける。いち早く開発する。そういうことを推し進めろ!というデモ。
安全で安定した新しいエネルギーが効率よく営業稼働すれば、原子力発電の役割は終わる。原発を止めろ!と言わなくても、新エネルギーが安定すればどこの発電所も止まる。黒電話からスマートフォンになったように。
膨大な費用がかかっても新エネルギーの開発をもっと進める。そこに新しい雇用も生まれる。原発関係の仕事をしている人たちも移行できる。

ただ原発を止めてしまうだけでは、雇用もなく、失業者も増える。つまりますます経済も冷え込む。いまデモに参加している人たちは、「健康に害がある、命の問題だから、少々電気がない暮らしは我慢しよう」という。原発が止まって少々電気のない生活はできても、それぞれの仕事やサラリーがますます厳しくなり、経済のない生活では健康に害が生まれ、命の問題にもなる。
これもイコールで結ばれている。

よく「秤にかける」「天秤にかける」というが、どっちが重いとかいうことではない。命も生活も、どちらも大切だ。天秤ではなくて、イコールだ。

かつての全共闘のように、反原発デモが反原発だけの一方通行になってしまわないように願う。
反原発=新エネルギーの早急の推進。イコール。
私はここ地元や東京の大小さまざまな一連のデモを見ながら、そう思う。

マスコミやインタヴューは、反原発に関して、
「仮に、原発全面撤廃後の、あなたの社会ビジョン、未来像は?」と聞くべきだ。
原発があっても原発がなくなっても、社会や世界は続くわけだから、どんなビジョンを持ってデモをしているのか聞いてみたい。
論の理性と肉体的苦痛の整合性から言って、原発停止後のあらゆる負の要素を織り込み抱え込まなければ、反原発は成立しないだろうから。

念のため何度も言うが、私は原発推進派・賛成派・いたしかたない派ではない。反原発派といえば反原発派だが、正確に言えば「新エネルギー推進派」だ。

派などというそんなことも、つまりはイコールで、「脱依存」「脱現状」にはかわりがない。
いつも、次の社会をどうしていくべきか、だ。
[PR]
by greenwich-village | 2011-09-20 02:44 | グリニッチ・ヴィレッジ

一杯のコーヒーの奥義

良き豆で、出来れば煎りたて、必ず挽きたて、入れたては言うまでもなく、
なにより、良き椅子に座り、良き器で、良き音楽を聴きながら楽しむべし。
良き人との良き会話も忘れずに。

f0148098_22523291.jpg
f0148098_22524568.jpg


バート・バカラック  スウィート・メロディーズ

f0148098_2253250.jpg

バカラックのナンバーから「WAVES and LOVERS」



こちらはマッド・プロフェッサーのアリワ・レーベルから、コフィの「black pride」



コルトレーンのナンバーからダグ・カーンで「NAIMA」


[PR]
by greenwich-village | 2011-09-18 23:07 | グリニッチ・ヴィレッジ
「ペンは剣よりも怪しい」「信じるものは救われない」
偏差値教育で育てられて就職として選んだ社員にジャーナリズムなどない。
マスコミに大切なのは一般的な娯楽性と官僚のように自身の経済に都合のいい扇動。
選別され編集され公表される記事は多分に総会屋のようなもの。
玉なし玉石混合、情報化社会の“情報”には経済性以外にさほどの意味はない。
新聞やテレビ報道の何を見るのか、といえば、
あぁこのマスコミ会社はどこの系列で、どことつながっていて、どうしたいのか、ということ。
報道やジャーナリズムの印籠で何をどう誘導したがっているのか、ということ
ただそれだけ。
未だに民衆の代弁者か善人面を装っているマスコミ自体を見ていると「あ~、笑えてくる」。
新聞は新聞を賛美し、テレビはテレビを褒めたたえ、コメンテーターは無知をひけらかす。
哀れ純朴な読者視聴者は、鵜飼の鵜。
大本営発表、ガダルカナルの我が軍は連戦連勝に次ぐ連勝、といったところ。
身入りにあったクールなチョイスのセンスがグルーヴィーにオシャレなマスコミだ。
新聞は人を殺す、テレビは人を殺す、マスコミは人を殺す、信じているかぎり。
純朴は決して罪ではないが、つけ入られ利用され搾取され、自由意思をはく奪される。
自由意思なきまま、明日も再びテレビをつけ新聞に目を通す。
パブロフの犬の如く、その反復の中で、無意思は生成され、通念化し文化になる。
その文化の中で育ち、偏差値点を取り、排出された者がまた、マスコミ生業に就職する。
ただそれだけ。
そこに善意や悪意やジャーナリズムや報道を求めてもしかたない。
不都合な真実は、ない。都合のいい現実なら、解説入りで、ドリフのコントのように繰り返される。


~僕らは君の 泣き声と 君の 笑い声には もう飽きた

    ~僕らは 君の魔法には もう夢など 持っちゃいない


さようなら世界夫人よ    頭脳警察    詩:ヘルマン・ヘッセ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「放射能つけちゃうぞ」にマスコミのねつ造疑惑

鉢呂元経産大臣はなにも言ってない?

記者に向かって「放射能をつけちゃうぞ」と語ったとして辞任した鉢呂大臣だが、問題の発言にマスコミのねつ造疑惑がある、と現代ビジネスが報じた。

鉢呂大臣はこの翌日、経産省が主催する『総合資源エネルギー調査会』の人選を発表する予定だった。

現代ビジネスは鉢呂大臣を辞任に追い込んだ報道は、これを阻止するためだったのではないか、と見ている。
原発反対派を増やす予定だった
当初、原発賛成派12人、反対派3人で構成されていた調査会のメンバーを鉢呂大臣は同数にするよう指示。

これを受けて選ばれたメンバー、賛成12人、反対12人が発表される予定だった。

もし原発継続に反対する意見が大勢を占めた場合、原発およびその広告収入でうるおうマスコミもダメージを受ける可能性があった


なぜかマスコミによって違う「発言」

新聞、テレビなどが相次いで報道し、大きな騒ぎとなった「鉢呂発言」だが、奇妙なことに各社が記載した言葉はそれぞれ異なる。

「放射能をつけちゃうぞ(朝日新聞)」、「放射能をうつしてやる(東京新聞)」、「放射能を分けてやるよ(FNN)」となっている。

また「放射能つけちゃうぞ」発言の第一報を流したのはフジテレビだった。フジテレビの記者は現場にいなかったため、伝聞でニュースを流したことになるという。

鉢呂元経産大臣本人も、現代ビジネスの取材に対して、「そういう発言をした覚えは一切ないのだが……」と語っている。


専門家もねつ造の可能性を示唆

マスコミのねつ造問題では、2007年にTBSが引き起こした不二家ねつ造報道問題が記憶に新しい。

全く事実関係を確認しないまま、不二家が賞味期限切れのチョコレートを溶かして再利用している、などとTBSが報じたもの。

この問題に際し、事実関係の調査にあたった弁護士の郷原信郎氏は、今回の鉢呂発言の報道についても、「事実関係や意図、動機等はほとんど明らかにならないまま、あっという間に辞任会見が行われた。全く不可解と言うほかない」と述べている。
[PR]
by greenwich-village | 2011-09-16 01:42 | グリニッチ・ヴィレッジ

いつの日か、私たちが故郷の“日本”に帰りつくまでには、あの日からずっと、遠く長い旅路が残されている。

たとえ旅路の半ばで私たちが息絶えても、子供たちだけは必ず、故郷“日本”へ帰り着かせなければならない。

子供たちが健やかに故郷に帰り着けたとき、この長い旅路は果て、重い荷物を降ろして心安らかに笑える。

種が詰まったその荷物は、いつかその日、子供たちによって解かれ、あたり一面に鮮やかな花々を咲かせる。

故郷の家を花で飾り、子供たちは知る、自分たちがいままで、どうしてこんなに長い旅を続けてきたのかを。


f0148098_2215379.jpg



[PR]
by greenwich-village | 2011-09-15 02:59 | グリニッチ・ヴィレッジ

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ