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どうでもいい話

どうでもいい話で恐縮なのですが、ふと思ったので忘れないようにメモしておきます。

うちの店の名前「グリニッチ・ヴィレッジ」というのはあまり一般的ではなく、それを承知でつけたのですが、どうもいまいち浸透しづらいというか、馴染んでいないというか、なので前々からもし機会があれば店の名前を変えたいなぁなどと思っていたりするのですが、登録してありますのでその程度で変更するには面倒で、今の商いをやめて商売をたたんで、またいつかもう一度この業態をはじめるときか、はたまた別の仕事、ジャズ喫茶なりロック喫茶なりソウル喫茶なりの音楽カフェをやるときには、こうしようという名前がいくつかあるのです。もしくは、いつかまたはじめたいバンドの名前。

そのひとつ。

「わからず屋」。ワカヤズヤ。わからずやのおっさんでございます。
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by greenwich-village | 2009-03-30 23:53 | どうでもいいもの
横車 押子 (仮名) 外資系IT関連 営業勤務 OL 28歳 

「あぁ、いまでも忘れられないアタシの初恋の人。
あなたはアタシの恋人。“変人”じゃなくて“恋人”。みんなは変人っていうけれどアタシには恋人。
あなたのマンションがあった、一緒に暮らしたナガタ町2310番地、懐かしいわ。
あなたと別れて今は三人目の人とお付き合いさせてもらっているのですけれど、アナタの次の人も、その次の人も、今ではもう名前さえ忘れてしまったわ。
今付き合っている人も、きっと今年中には別かれると思うの。煮え切らないぶっちょう面がもう我慢できないなんていってるんじゃなくて、前の二人みたいに、きっとまた、アタシ捨てられるのよ。
あぁ、忘れられないアナタ、アナタだって同じで、アタシをポイッと捨てたわよね。でも、あぁ、やっぱりアナタが一番、今でも忘れられないの。
そう、確かにアナタは荒唐無稽で、自分勝手で、計画性もなくていつもその場しのぎで、短気で、ちょっと気に入らないことがあるとすぐに大声を出してアタシを脅かしたわ。
でも、あぁ、その男らしさにアタシは惹かれていたのよ。世間ではDVみたいだって言うけれど、きっとDVで痛みを感じてこそ、アナタに愛されているって実感できたの。
アナタはいつも「痛みにこらえて・・・」って言ってたわ。アタシ、本気にして、はじめは痛くてイヤだったけれど、アナタのその無軌道な奔放さに馴染むと、だんだん気持ちよくなってきたの。
それにアナタ、アタシが嫉妬するくらい人気があって、街を歩けば無邪気なオバサンや女子高校生にいつも握手を求められていたわね。
アナタを慕う若い部下たちを沢山引き連れて、肩で風を切ってさっそうと勇ましく歩く姿、カッコよかったわ。
あの部下たち、今はどうしてるのかしらね。
そんなにイケメンなアナタ、アナタの後に付き合った三人ともぜんぜんダメ。
そうそう、アナタって突然アタシんちにあがりこんできて、うちの両親に向かって「古いものをぶち壊して新しいものを!」なんていうものだから、二人とも驚いて、でもアナタのカリスマに魅了されたみたいで、お前の彼はなかなかイイ奴だな、なんていわれたのよ。
お正月でもないのに、よく神社にもお参りに行ったわよね。おみくじ引きたかったけど、あそこの神社には売ってなかった、どうしてなの?もしかして、あの赤い紙がおみくじだったの?
それから、アナタの大親友のアメリカ人、名前忘れたけどケラケラ変な声で笑う人。三人でゲームセンターにいって戦争アクションゲームやったの覚えてる?楽しかったわ。敵がバタバタ死んでくの。あんまり面白いもんだから夢中になって、気がついたらお金がなくなってたわよね。あの人、アナタに出してもらおうとして、アナタも出そうとしたけどもってなくて、結局アタシが出したわよね。いまどうしてるのかしら。
うん、そうね、でもアタシたちの関係、アナタが口で言うほど何も変わらなくて、アナタの言うとおりやっていたら確かに借金が膨らんでしまったけど、それもみんなアナタのためだし、アナタがいうことなら、アタシ、今でも何でも言うこときくわよ。
あぁ、忘れられないアナタ。
アタシってちょっぴりおバカさんだから、アナタ以外の人は名前が思い浮かばないの。
どんなヒドイ仕打ちを受けても過ぎてしまえば熱くないの。今ではその痛みが恋しいくらい。もうアタシの家族がどうなってもいいから、アナタの愛のむちゃぶりでアタシを抱きしめてほしいの。
どっかの年寄りが困ったっていい、病院にいけなくなったって、不便になったってかまわない。
誰がどうなったってかまわない、アナタとアタシだけが良ければ、それでいいの。
お願い、アタシをどうにでもしていいから、戻ってきて。
大丈夫よ、アタシは何度だまされても、痛い目にあっても、すぐに忘れちゃうから。
もうアタシにはアナタしか見えないし、アナタしかいないもの。」

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f0148098_2257644.jpg【産経FNN世論調査】首相にふさわしい…トップは小泉元首相
2009.3.30 20:04

小泉純一郎元首相 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、「次期首相にふさわしい政治家」のトップは、前回に続き、政界引退を表明している小泉純一郎元首相(11.1%)だった。

 舛添要一厚生労働相(10.4%)が続き、いずれも前回調査(3月7~8日)からポイントを上げた。他の議員との差は広がっており、知名度の高い2人の人気ぶりが目立った。

 小泉氏は昨年11月以降の5回の調査で、すべて自民党議員のトップ(このうち4回は全体でもトップ)を占め、相変わらずの「小泉人気」を見せつけた。舛添氏は前回調査で急伸し、今回は10%台を突破した。

 民主党議員では、前回トップだった岡田克也副代表(6.5%)が、前回比0.4ポイント減となりながらも再び1位となった。続投表明に身内の批判も出た小沢一郎代表(5.8%)の評価はやや上がり、2番手(全体では5位)を守った。

 一方、内閣支持率が微増した麻生太郎首相は4.6%(前回比0.2ポイント増)で、小沢氏を下回った。敵失が首相続投への期待に結びついていないようだ。財務、金融、経済財政を兼務する与謝野馨氏(5.7%)は前回の3位から6位に下がった。

 逆に、期待が高まっているのが石原伸晃幹事長代理(6.2%)だ。昨年9月に党総裁選を争った石破茂農水相(4.6%)、小池百合子元防衛相(4.5%)が前回から微減する中、1.6ポイント増と評価を上げた。党幹部の立場ながら時おり、麻生政権への批判を口にする点が国民に受けているのかもしれない。

【産経FNN世論調査】
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by greenwich-village | 2009-03-30 22:49 | どうでもいいもの
f0148098_1417791.gif民主党の小沢氏の献金の話も、千葉県知事に当選した森田氏の嘘とお金の話も、とかく政治にはお金がかかるもの。
一体誰が、「お金のかからない政治を!」なんて言いだしたんでしょうね。
選挙活動や秘書・スタッフ・事務所とか、やっぱりお金はかかるのは当たり前で、それは政治家先生でなくともどんなことをしてもお金はかかるもの。
お金のかからない政治を、なんてお題目自体が机上の空論で、私腹賄賂でなければ、必要経費として、それも人件費やさまざまな諸費用で、普通一般のわれわれよりもかかるのは当然でしょう。
年収300万程度の一般人と同じ台所事情で、まかりなりにも政治が・機能が・運営がこなせるわけがない。できたとしても、充分な効力を果たしようがない。

献金上等。問題は、その不透明さ。
賄賂以外なら、それぞれの代議士が個々人各自の力量でどんどん献金してもらえばいい。その献金が多かろうが少なかろうが、それが代議士の金集めに関しての力であって、それを元手に、沢山の優秀な秘書やスタッフを雇って、資料集めや分析を行って、それに必要な事務所・利便性のある場所を確保すればいい。それで、政治機能がよりよく働くならば。だから、お金が必要になる。

ただ、今以上に、国会議員から村会議員に至るまでのすべての政治家・それによって献金を受けている人たちのすべての献金と献金した企業・団体を明らかにして、所得番付やスポーツ選手の年俸や移籍金をわざわざいちいち詮索公表しているように、新聞でもニュースでも義務的に報道する。
(マスコミは圧力のないそういう安全パイだけには暴力的で、実のところ世間もスケベで、覗き見趣味が強いわけですから)

あの人は沢山献金されている。あの人は大した献金されていない。あの人が企業ばかりで、あの人は個人献金に強い、とか。あの企業は誰にいくら、誰にはいくら献金している、とか。
自民であろうが、民主であろうが、公明党であろうが共産党であろうが、お金はかかる。
全体主義・軍国主義ではないのだから、何でもかんでもただで行えはしない。お金は必ず必要なわけで、それが少なければ、活動として必要な作業もしっかりと行えない。つまり、国民を支える政治として機能しない。

それに必要なお金は、企業であろうが、個人であろうが、組織や団体からの助成金であろうが、包み隠さず公にする。政治と政治家へのお金に関してはすべて公表する。貧乏政治家と金持ち政治家の格差が広がる。
共産党でさえ、組織のトップとペイペイや一党員の所得には差があるわけで、それに関する公平は存在しない。

自民党の山本氏は「私は企業献金一口10万で、それを沢山頂いています。小沢さんの一企業3300万はちょっと分からない、何がしかの便宜があってもおかしくないかも・・・・云々」のようなことをおっしゃっておりました。

僕はこう思うのです。
額の大小に関わらず、貰っているわけですから、貰っていない方よりも優位におくのが当たり前じゃないのかなと。
山本氏の理屈で言えば、極端に言えば「10万程度ですから献金していない方と同じです」的。
10万でも10年で100万、そんな額をただで献金してくれる彼を応援する企業や個人を、彼を応援しない献金しない人よりも快く思い優遇・優位に対処するのは、これは自然なことでしょう。
献金という概念で、ただでお金を貰っている、ただでお金をあげている。貰うほうはくれるほうに顔が向くのは当然、くれるほうは貰うほうに何がしかの期待なり見返りなり満足なりを寄せるのは当然。

公明党でも共産党でも、企業献金ではなく、支持母体の会費として集めたものを組織や団体からの頂いている政党も同じで、その母体や構成員を、そうではない非構成員よりも優遇するのは当たり前でしょう。

おかしな話です。
お金の出所がどうしたこうした、よりも、応援献金して頂いた方には快く対応するのは普通でしょう。
それがいくらの額であれ、「お金だけ頂く、あとは知らない」のほうがありえない。そうだったら、それこそ人非人だ。

政治にお金はかかるものです。献金も必要です。
だから、そういうものを全部明らかにして、どこの誰からどれだけ頂いてそれをどう使ったまでを逐一公表しなければ、政治と金の問題は未来永劫何も変らない。
職業・職務・公人であるかぎり、政治家をやっている限りプライベートは一切ないというルールを設けて、それで献金活動をすればいい。あいつは献金活動ばかりでまともに政治の仕事をしていない、と思われれば、落選するだけです。
企業もいいかげんな献金ばかりしていれば、社会的な責任と信用を失って倒産する。困るのは社長や幹部だけではなくて、そこで働く人たちとその家族。失業はイイカゲンな献金によって導かれる。
そうなると、献金は社会問題化していく。

のうような、クダラナイ冗談はさておき。

つまり、しがらみなのです。
献金するほうもされるほうも、長年のしがらみがあるので、政治と金の問題はいっこうに改善しない。
心理学を持ち出すまでもなく、するほうもされるほうも、ちゃんと分かっている。言葉で何を言おうが、人が見ているところでどんな行動をしようが、仏様のような無心の、善意からの献金などない。
3000万でも10万でも、互いに欲目得目がちゃんと成立していて、そういう関係で育ってきているものだから、仮にどちらか片方がやめるといってもやめられないしがらみで出来上がっている。

望むべきは、はじめからそういう献金体質のない人たちが切磋琢磨して育っていくこと。
はじめからそういう献金体質がなければ、はじめからしがらみもなくて、後からもそういう献金体質はない。
憂うべきは、そういう若手の政治家が、はじめからそういう献金体質のしがらみに染まっていくこと。
若いのにこの旧体質にのみこまれれば、これはもう、どの政党の誰であろうと、進歩前進しない旧態老化の政治家になって、未来永劫何一つ変らないものになる。


*今日の要点
1. 献金活動と献金者を完全自由化する。
2. すべての金銭状況を完全公表とし、マスコミが逐一報道する。
3. いかなる組織であれ個人であれ、献金・金銭の授受には必ず何がしかの心理的作用も付随する。
4. 互いの体質改善は初期からはじめなければ不能。
5. 政治と金の問題は法律やシステムの改善ではなく、育まれたしがらみに由来する。

ゆえに、
旧体質のしがらみのない状況から育ってきた若手政治家と企業と個人が多く排出されれば、政治と金の問題はいくらかはスリムになり、法的・システム的な改善点もスムーズに機能する可能性は高い。

それでも有力代議士や企業・フィクサーたちは、もっともっと必要以上にお金がほしくてたまらない。
権力と老成とはそういうことか。

あぁ、どれだけ巨万の富を得て、どれだけ贅沢をして、どれだけ権力欲を満たして、どれだけ見得を切ったところで、誰一人として、それをあの世までは持っていけないのに。
あわれ白骨。

救いといえば唯一、サルのケツの穴の臭さよ!まるで鏡の如く。


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by greenwich-village | 2009-03-30 15:44 | どうでもいいもの
ねぇ、ママ、美しい一日だね!!日々毎日、一日一日が。
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by greenwich-village | 2009-03-30 01:26 | グリニッチ・ヴィレッジ

愛と客観と創造

創作、創意、創造というものには必ず“客観性”が含まれています。客観性がなければ、何かを作るという作業はできません。

創作作業そのものが評論的なのです
創作者の創意・創作活動が現状に対して客観的・評論的でなければ、何もわざわざ新しい何かを作る必要はありませんし、また、創作者自身が誰よりも自分自身に対して客観的な目を向けなければ、それ以上の創意は生れず作品も過去をなぞっただけの陳腐なものになってしまいます。“かつてあったもの”をわざわざ表出させて、まかりなりにも生業として、他者に披露する必要はないでしょう。

ですから、こと創作的な分野・一般的にアート・芸術方面での、評論家という生業による評論というのは、実際は成立しないわけです。
作品創作に限って、評論家以上に、創作者と創作行為が何よりも“評論的”ですから、それらに従事する所謂ライター稼業の方々は、そのあたりを踏まえて、論で評するよりも“読み物として面白いもの”を心がけなければ、単なる感想文になってしまうわけです。
ようするに、生業としてもしくはギャラを頂いて書いているのですから、とどのつまり“私はこれが好きで、これが嫌いだ”と感じさせるだけの話には、あなたはそう思うのですか、あぁそうですか、だからどうしたのですか、あなたが好きでなくとも私は好きですから、となってしまう。
実際、たとえば音楽雑誌などはその程度のものが多くて、それで僕はそれらを一切買わなくなってしまったわけです。

少し昔なら、小説家同士が、各々の作品とは別に設けた何がしかのまとまった文章で、評しあったでしょう。もしくは、小説作品そのもので作品を評し世界を論じ宣言し創造したでしょう。
思考も行為も主観ではありますが、同時に客観的創造性の発露でもあります

そもそも創作者自身の創作行為が様々な音楽と自身に客観的・評論的であるのに、職業評論家が評論するのはちょっと間の抜けた話ですし、その文章が読み物としてのレベルが低ければますますつまらない。
そういうことで、“評論家による評論”は、まったく成立しないわけです。せいぜい、広告代理店のように、レコード会社や売れている芸人さんの後押しをして商業的に自身の生業を成立させるだけなのです。

さて、それを踏まえた上で、優れた創造的な音楽、創作者というものは、こぞって客観的・評論的で、客観的であるがゆえに独特な創作を表出する。
客観性というのは、憧れや敬意、愛情があってこそ成立するものです。無関心やまったく関係性がないものに対しては、客観性は生じえないのは当たり前なことですね。ぜんぜん知らない物事に対しては客観的・評論的にはなりようがない。

イギリス人はアメリカの音楽に憧れ、アメリカ人もアメリカの音楽を愛し、カナダ人もアメリカ音楽を愛好し、それらの逆もありますし、アフリカ音楽を好むアメリカ黒人もいれば、アメリカ音楽を取り込むアフリカ黒人もいる。そんなふうに、憧れや敬意や愛情があって、その上で自身の創作行為を行うときに、憧れの対象と憧れる自身とに対して、おのずと客観性・評論性が生じる。それらがオリジナリティある作品になっていく。

ロックで言えば、ビートルズやストーンズ、ディランやザ・バンド、ザッパやビーチボーイズ、ライ・クーダーやコステロ、他いちいち挙げる必要もなく、大多数のミュージシャン、たとえば音楽を作るという行為自体が、それ以前にあった音楽に対しての愛情と愛情からの客観的な評論作業なわけですが、今日ご案内するリトル・フィートというアメリカのロック・グループの中心メンバーであるローウェル・ジョージもその一人です。

ウェストコーストのグループなのですが、アメリカ南部音楽や黒人ブルーズの粘りっこいギターのスライド奏法を駆使して、実に泥臭い音楽を創造しています。表面上はいわゆるアメリカン・ロックとして楽しむことができます。
ただこの泥臭さは、延々と書いてきたように、あくまで客観的なものであって、彼ら自身が南部の田舎人なわけではないところに、このグループとローウェル・ジョージの音楽の面白さがあります。
彼らの音楽は、アメリカ南部の音楽ではなく、もっと極端に言えば、アメリカの音楽でもないのです。ちょっとおかしな話ですが、アメリカ人が奏でたからといってアメリカの音楽なわけではありません。そこに“創造の客観性”があるのです。
南部ローカルでもてはやされていた音楽を愛情深くモチーフにして、南部では決して生れない音楽を作ったのです。アメリカ人でありながら、アメリカとアメリカ音楽に一定の距離を置く。イギリス人やカナダ人なら当たり前ですが、それがアメリカ人というところにネジレがあって、それがどっぷりとルーツにつながらないところに彼と彼らのオリジナリティ/アイデンティティが確立する。

粘っこい音楽と書きましたが、とはいうものの、ウェストコーストですからそこはやはりすっきり音抜けもよくて、ルーズに聴こえてそういうアレンジで装ってはいますが、しっかりタイトにキープした演奏です。
こちらはライブ、当然いくぶんラフですが。エミリー・ハリス、ボニー・レイット、そしてジェシ・ウィンチェスター!まで。若かりし頃のエミリー・ハリス、かわいい!




このリトル・フィートとは別に、ローウェル・ジョージの遺作となってしまった唯一のソロ・アルバムは、バンドよりもずっとウェストコースト的で、音の肌触り・フィーリングとして一般のPOPSリスナーでも楽しめるようなコンテンポラリーな作品になっています。
ただし、要所要所はちゃんとおさえていて、のっけから南部ニューオリンズの名ミュージシャン/アラン・トゥーサンのカヴァーに始まり、サザン・ソウル/ハイ・レコードの歌姫アン・ピープルズのヒット曲“アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン”、愛弟子リッキー・リー・ジョーンズの曲をピックアップしたり、POP天才奇人ヴァン・ダイク・パークスとの共作があったり、メキシカン・スタイルや南部ファンクやカントリーとバラエティに富んでいて、つっこんだ音楽ファンも納得できる内容です。

“音楽”という時、音楽というのなら、音楽で気持ちよくなるためには、四つ打ちのまったく同じビートをつなげて二時間も首を振る必要はない、と感じさせてくれるでしょう。僕が年のせいなのか、それなら電気マッサージ・ソファを強にして首から肩の辺りをブルブルとやっていたほうがハイになります。つまりそれらは“現象”と言えるかもしれません。

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イギリスのデザイン・チームのヒプノシスが手がけた数多くのアート・ワークは面白く、たとえばピンク・フロイドなどで有名ですが、リトル・フイートの一連のジャケットも非常にユニークなものばかりで、こちらはネオン・パークというチームの作品郡。もちろんローウェルのこのソロもネオン・パークのもので、これがまた彼の音楽・アルバムの内容同様にさりげなくユーモアを盛り込んでいてイイ感じです。
ローウェルが佇む森の奥、傍らに座っている三人は?
資本主義アメリカのユダヤ人・ボブ・ディラン、キューバ共産革命指導者・カストロ、ユダヤ虐殺ドイツ軍国ヒットラー政権下の大女優・マレーネ・デートリッヒ。
仲良く車座になって寛ぐ三人の前に、なにやら沢山のお宝の山。そしてその後ろでは三人を見守るように舞う天使。ローウェルはバスローブのような着物のようなものを羽織って、髭も落としてさっぱりとクールに微笑んでいて、ここからは深読みでそう考えると、髭はないのでキリストではなく、ちょっとふっくらした感じがブッダのようにも思えて、そうなるとこの森はブッダが過ごした鹿野苑(ろくやおん)?ロックや音?
アルバム・タイトルは「サンキュー・アイル・イート・イット・ヒア」、訳すと「ここで食せることに感謝!」ということで、「この世界で生かさせてもらってありがとね」といった感じでしょうか。悟りのニュアンス?

そんなふうに、POP音楽のジャケットには、昔から様々なステキで面白いデザインやユーモア溢れるメッセージが隠されていたりしますが、そういう楽しみ方も昨今の音楽データ配信/ダウンロード/アイ・ポットが主流な時代になると、ジャケットは要らないわけですから、なかなか成立しづらくなりますね。

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それはともかく、というわけで、このアルバムもまた、様々な音楽の多くの名作・名盤がそうであるように、とても客観性の高い傑作なのです。
創作者が客観性を失うと、主観的閉鎖性ばかりが高まって、創造性に関して袋小路にはまり込んでいってしまい何ら前に進まなくなる。
外界や他者に対する愛情、興味、関心、アクセスを拒むようになる。
そうなると創造性は枯渇するのはもちろん、主観の主観による主観のための創作になって、「そもそもこの世界に対する愛ある客観・評論作業である創作」の表出の必要がなくなってしまう。
言い換えれば、どんな些細なことでも何かを創作、創作に準ずる行為をしていれば、自分を育んでいる自身を含めたこの世界への関心は失われず、その愛情からの客観性は保たせられる。

物語を作り、神を作り、兵器を作り、絵を描き、音楽を奏で、機械を作り、未来を作る。
お腹が空くから狩りに出かけ、食べ物を求め、料理を作り、食べる。
まさに、「サンキュー・アイル・イート・イット・ヒア」
人は、現状に満ち足りているならわざわざことを起こそうとは思いません。事足りなさを感じるから諸般の行動・創作行為が起こる。

人間は、もともとから創造的な生き物ですね。
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by greenwich-village | 2009-03-28 19:24 | 音楽
人間の言葉や諸般の表現以上に、なにげない風景や動物・植物たちの営みが、思いがけず何かを伝え教えてくれることがありますね。
「心ここにあらずば・・・・」の通り、心眼を見開けば、この世界の普段の普通の生活から、実に様々な多くの真相を学ぶことができるものですね。

人間に一番近い動物のお猿さん、チンパンジーが、私たちが生きているということは・人生とはいかなるものなのか、という真実を教えてくれることもあります。
ヒジョーに含蓄のある、奥深い、詩的な、感動的ですらある、まるでこの国のあり様を要約体現したようなチンパンジーのひとコマ。
興味深いこと、創造的なこと、学ぶことはまだまだ沢山ありますね。


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by greenwich-village | 2009-03-27 15:35 | その他

意地、強引な

意地を張りすぎて強引になってしまっても、それは疲れるだけですし、世の中何かとスムーズに事が運ばなくなって、人間関係もギスギス、よろしくないことのほうが増えていってしまいますね。

<日本人というサムライの誇りにかけて、お国のため国民のために戦う>なんて全体主義なお言葉は、僕は眩暈がするほど苦手な思考で好きではない領域です。負けてたらどんな論調・世論・感想の伝染だったのかな、野球と日本人。

まぁ、そんなツマラナイことは政治家先生や評論家先生やマスコミ各位様にお任せして、僕たちはわずかながらも気楽にやろうじゃありませんか。
そりゃ確かに不景気で、リストラで、世間も店も厳しいわけですが、だからといって良くないことばかりじゃないですからね。

全体主義な「意地、強引な」ではなくて、個人主義な「イージー・ゴーイング・ナウ」で。
唄うは、ゴスペラーズのライバル・グループ、<エンペラーズ>。「偉くなくとも正しく生きる!」


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by greenwich-village | 2009-03-27 01:26 | ビデオ/動画
チャールズ・イナンジーがオーストラリアから来日したのには何の理由も目的もなかった。

なんとなく、日本に行けば何か面白おかしく過ごせるかもしれない程度の動機しかなかった。どこからか、英語圏の英語がネイティヴな人間ならば、日本に行けばテキトーに英語の先生として迎えられると聞いていた。
容姿がアングロサクソン系であれば無条件で日本人は歓迎するが、チャールズの場合は日系四世で、彼の一族親類はみな日系同士だったので、外見は日本人と何一つ変わりなく、そのせいでずいぶんと損をしているな、と感じていた。

源氏名、通称カリーノと出会ったのは、初めて行ったスポーツ・バーで大相撲千秋楽の中継録画を見ていた夜だった。
カリーノはそこそこの常連らしかったが、詳しいところまでは店員もあまり知らない様子だった。その言動やファッション、化粧や来店する時間帯から、おそらく夜の仕事をしているのは伺えたがそれ以上は知る者もなく、東洋人的などこか謎めいていた佇まいにチャールズは興味を持った。

「外見は変わりないじゃない、アンタも」とカリーノは屈託なく笑った。
「アー、サイフノナカナラ、アナタトハズイブンチガイマス」とチャールズはカタコトの日本語で話した。
「アンタさ、ねぇ、チャーリー、どうせ日本人の外見で損して、英語の先生もそんなに稼げないなら、アタシがもっといい仕事を紹介してあげるわ」
「ソレハ、ナンデショウカ」
「チャーリー、アンタさ、ガイジンよね、だったらキリスト人でしょ?」
「キリストジン?」チャールズは少し戸惑った。
「キリストの人なんだから、神父さんだか牧師さんだか、あれやりなさいよ、知り合いの結婚式場で募集してるから」
「ハァ、アー、ヨクワカリマセンガ」

ということで、チャールズはアルバイトの牧師をやることになった。
もちろんインチキ牧師なので当然聖書の言葉など知っているはずもなく、とりあえず日本で聞き覚えのあるなんだか意味ありげな文句をテキトーに並べて、さも神聖であるかのごとく振舞うわけだが、大概の場合、幸いなことに新郎も新婦も親族も緊張のあまりさして深く考えることもないので、各クダリと式の最後に「幸あれ」と付け足しておけば問題なかった。

カリーノは外見や様相、その雰囲気やまわりの噂、実際ルーズな生活態度とは違い、ことロマンスに関しては奥手なようで古風なところがあった。事実、牧師仕事の紹介顔合わせや会食、その後チャールズと数回デートらしきものはしたものの、それ以上進むような気配はまったくなかった。
やがてそうこうするうち一年が過ぎ、互いに仕事が忙しいせいか、デートや顔を会わすこともなくなっていった。
「もしもし、チャーリー、アタシよ、アタシ・・・・、わからない?」そんなある日、チャールズのもとにカリーノから電話が入る。
「ずいぶんね!ちょっとチャーリー、ちゃんと聞いてるの?」
懐かしい声に、その話を聞くと、どうやらお金に困っているらしい。カリーノのおかげで今の仕事に就いたのだから出来れば力になりたい、チャールズは、会う約束をした。

「おひさ~、元気そうね」二人はしばらくたわいもない話を続けた。
「そういえば、君が電話で言っていた“バカ女”なんだけど・・・」
「あぁ、アンタの知り合いのね、あのバカ女」
「といっても、もともとは君の友達で、僕に紹介したんじゃないか」
「モチローちゃんとノリタツくんね、キーッ!アタシを結婚式にも呼んでくれないの!」
「僕が牧師をやったんだけれど、二人ともとても幸せそうだったよ、でも最近思うんだけど、あそこの式場はどうも・・・その・・・あの・・・・・それ専門というか・・・・」
「アンタ、気がつくのが遅すぎ!だからアンタはヒトの話を聞いていないって言うの!」
「やっぱりそうなの?」
「じゃあ、久しぶりに会ったんだし、アタシたちの関係もそれなりに時間が経ったし、お金も貸してもらわなきゃだし、ねぇ、チャーリー、言うね」
「何を?」首をかしげるチャーリーにカリーノは微笑む。
「アタシね、こう見えても男なのよ、わかる?チャーリー、びっくりした?騙してるつもりはなかったの、ただ言い出すタイミングがなくてね」
驚くどころか、チャーリーはハニカミ王子のように微笑んでいた。
「それにしても、アンタ、ちょっとチャーリー、日本語がずいぶん巧くなったわねぇ、やっはり日系だからかしらね」
「いや、違うんだよ、カリーノ」カリーノはどうしたのと首をかしげた。
「僕も言うよ、実はね、僕はオーストラリアの日系四世じゃなくて、れっきとした日本人で朝尾田朗っていうんだ」
「アサオタ・ロウ?うっわ、カッコわりぃ~」とカリーノは噴出した。
「いや、あの、僕の場合は騙していた、ガイジンだったらモテるかなって、そしたら君と出会った・・・・」
「わかってたわよ、チャーリー、だってアンタ、カタコト日本語ばかりで一度だって英語話したことないもん」
「えぇぇ~、そうだったの?あー、最近あのしゃべり方がめんどくなっちゃって・・・・・」
「お互い、自然体でありのままが一番よね、楽、楽、それが楽よ」
二人は見つめあっては目をそらし、そして笑った。
「ところで、カリーノ、あの電話でのことなんだけど・・・・、僕も君を・・・・・」
「えぇぇぇ、ちょっとまってよ、チャーリー、アタシがアンタを愛してるって話?あれは冗談よ、本気にしないでよ」
「いや、カリーノ、僕も・・・・、僕は君に会えない間ずっと考えていたんだよ、君のことを・・・・・」
「ちょっとやめてよね、チャーリー、そりゃ確かに、アンタにアタシら専門のあの結婚式場を紹介したのはアタシだけど、そこで牧師役やってて、目覚めちゃったわけ?ブスのモチローちゃんとノリタツさんのラブラブ・カップルにあてられちゃったの?、あ、わかった、アンタ、四十近くなって寂しくなってもう誰でもいいって・・・」
「ちがう、ちがう、僕は君が男であろうと女であろうと・・・・・・、年のせいでもない、君じゃなきゃダメなんだ、ね、カリーノ、結婚しよう」
「アタシはイヤなものは絶対に嫌、しかたないわ、生理的に無理だもの、女ってそういう生き物なのよ、分かるでしょ、チャーリー」
「いや、分からないよ、だって君は・・・・・・・、女じゃないだろ?」
「失礼ねぇ、そりゃ確かに物理的には女じゃないけど・・・・・、本名・権玉原藤五郎!」
「うっわ・・・・・・・・・、」
「何よ、本名めったに明かさないのに、ホントに失礼ね、KYよ、チャーリー、アンタ、KY!」
「ちゃうがな、まぁ、もうどうでもエエから、な、一緒になろや」
「あら、アンタ、ホントは関西人だったのね、怪しいわぁ、きっとまだ他にも隠してることがあるわね、アタシはアンタとは絶対結婚しませんから、チャールズ・イナンジーさん」
「なんですのぉ、なんぎやわぁ、ほんまカンニンしてなぁ、カリーノ、いや、藤ちゃん」
「イヤですよーだ、だって結婚しなけりゃ離婚することもないもん!」
「なんでやねん!」
「もうやめましょうよ、チャーリー、人生難しく考えれば何だって難しくなっちゃうし、シリアスにとらえればどこまでもシリアスになっちゃう泥沼みたいなものよ、でもね、アタシたちは泥沼に咲く蓮の花よ、ウフッ」
「まぁ、たしかにそないなこともありよるなぁ」
「それよりも、ね、借金、どうする?ウフフッ」
「あんな、自分な、おのれの借金やろ、なんやうれしそうにせんで自分でなんとかせんかい」
「あれ、助けてくれるんじゃなかったの?愛してるわぁ、チャーリー」

とやりあいながら、話は借金返済をどうするかということになり、高校時代ボクシング部だったカリーノこと藤五郎にトレーナーをしてもらい、チャールズこと朗は牧師をやめ最年長のプロ・ボクサーに転進、元手なくして一攫千金を狙おうという計画を実行に移すのですが・・・・・・・・・・、


ちょうど時間となりましたぁ~、またの会う日を楽しみにぃ~、それでは皆さん、サ・ヨ・お・な・らぁ~。
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by greenwich-village | 2009-03-25 23:45 | どうでもいいもの
オペラか歌舞伎か、ミュージカルか紙芝居か!!
ショート・ストーリー仕立ての、音楽でつづるチャーリーという男の物語。

ストーリーと音楽がより楽しめるように、映像はイメージだけで動きはありません。
二部構成で、第一部は「チャーリーの唄」、第二部は「ワン・ツー・パンチ」。

物語ですので文脈的にも配役的にも一部と二部はちゃんとつながっているのですが、一聴ではちょっと分からないかもしれませんが、どんな物語なのか想像して勝手に再構築してくださいね。
つまりは、チャーリーの仕事とプライベートとそれらの人間関係です。

(次回のエントリーで、チャーリーの物語がどういうものなのか概要をお伝えします、笑、まぁどうでもいい話ですが。)

唄と演奏は、高村光太郎:通称“TK”率いる、<TK&スクラップ・シンフォニー・スマイル・バンド>。


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by greenwich-village | 2009-03-23 02:31 | ビデオ/動画
脈絡なし。

1969年は60年代ロック/ヒッピー/ユース・カルチャーの終焉を象徴する「愛と平和の3日間・ウッドストック・フェスティヴァル」があった年ですが、同時に、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては巨大な一歩だ」のコメントで有名な「アポロ11号月面着陸」があった年でもあります。時間の経過、経験と洞察を重ねるたびますます、どちらかといえば、個人的には前者よりも後者のほうのインパクトに再認識を深めて惹かれていきます。
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独ヒンデンブルグ大統領は当時、与党第一党であっても危険人物と見抜いていたヒットラーを絶対に首相には任命しないとしていたのですが、貴族・財閥・経済界の圧力から権力を与えてしまいました。同じように、ケネディを暗殺したのも政治イデオロギーを異にする者の仕業ではなく、彼を後援し利用した財閥家・経済界からの要請だったと伝えられています。「政治的な」というのはまったく表層的で裏には決して表立って登場しない「経済的な」力が存在していて、それらが描いたシナリオで「政治的な」混乱や動乱が先導され、一部の巨大経済者に利がもたらされるという図式です。
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ビーチボーイズは単なる夏と海辺のイメージばかりが先行しますが、名盤「ペット・サウンズ」・中期以降の作品など、ブライアン・ウィルソンという天才奇人とグループのハーモニーでその後の多くの良質なポップ・クリエイターたちに多大な影響とインスピレーションを与えました。同世代の、ビートルズ・ポールのフェイヴァリット・ソングはペット・サウンズ収録の「神のみぞ知る」。さて、侍J軍はWBCで連覇できるでしょうか、神のみぞ知る。
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このビーチボーイズ・サイケデリアにも通ずるロイ・ウッドの名作2NDやモノクローム・セット、キング・オブルクセンブルグまたはサイモン・フィッシャー・ターナー、マーデン・ヒルなど、エル・レコードもの入荷。知名度やヒット曲はありませんが聴けばミラクルな変態ポップを楽しめること請け合い。80年代ポスト・ニューウェーヴ/インディというよりも、正統的英国版ソフトロック継承者といった面持ち。キーワードはまさに「POP」。
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ビーチボーイズ/英雄と悪漢(スマイリー・スマイル/67年)



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by greenwich-village | 2009-03-21 13:44 | 音楽

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