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ぶ厚い音楽

竹馬の友、古くからの同級の友達が来ました。

当世のクラブミュージック、DJモノ、一時期のヒップホップや創成時期のテクノやトランス/エレクトロ、アブストラクトなど、誰よりも感性嗅覚に独特の先見性を持って音楽を聴いている彼なのですが、「教えてもらったフェラ・クティとかのアフロ・ファンクを聴いて以来、あまりピッとくるものがないですね」というのが最近の彼の口癖です。

f0148098_2039892.jpg彼が来店したときちょうど、デイブ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」を流していました。彼が「ジャズのこの4ビートがつまらない」などと言うものですから「それならば」ということで、ノア・ハワードを聴かせました。「フリー・ジャズに耳を傾けたことはある?」「ちゃんと聴いたことはないです」と彼。
しばらくすると「おぉ、これは・・・・」「どう、わりと面白いでしょ」とボク。

メロディを壊し、リズムを壊し、コードを壊し、アンサンブルを壊し、各々が各々として絡みなく演奏し、壊しつくしてもなお全体として渾然一体で、まるで宇宙のような音空間。宇宙からはハミ出しようがありませんものね。ゆえにとてもぶ厚い音楽なのです。
「これは実に新しい、時代はコレだ、素晴らしい」と彼が言うので、「フリージャズはもう半世紀ほど前にとっくに生まれて、昇華しきった音楽だよ」。

TPOといいますね。時と場所と目的・用途。
「もう時代じゃない」とか「時代を意識して」とか「時代を捉えて」とか「時代を追いかけて」とか「今はこんな時代」だとか、ファッション雑誌はもちろんですがビジネス・ハウツー本もメディアもネットもやたらに“時代、時代”とやかましい。
ビジネスであれプライベートであれ、時代を追いかけても手元に残るのは結局「老いて鈍った自分」だけですし、状況・場所や環境に関しても同じことですね。
モノの本質でないからこそいつも一過性な「時代感覚」であって、それはただの「現象」ですから、身を寄せれば寄せるほど時代や場所を気にすればするほど「本質」から離れてしまって、気がつくと「自分自身が単なる時代の現象」になってしまいますね。
逆に言えば、時代や場所・環境に寄っていればいるほど、失敗も無知性もネガティヴな感情も画一的な感性もそのせいに出来ますから、自分自身と向き合う必要も責任もなくてとても気楽でいれるでしょう。

たとえば、いま「珍しい」「高価だ」「美味しい(と雑誌で評価していた)」といわれるような日本酒も焼酎もウィスキーもワインも、ビジネスの売るための策であって、それぞれの「酒造りの本質」にある酒ではありません。つまり「現象」です。人は頭で、目で、誰かの評価で、値段で、酒ではなくて“誰かのビジネス”を飲んでいます。-燗の日本酒を飲まないのですから美味しい燗もつけられない。吟醸・冷や酒ばかりが日本酒ですね-
自分の味覚の、自分の舌で、酒を味わっている人はわりと少ないようです。音楽も然り、ビジネスも然り、エンターテイメント然り。それがきっと「いまの時代」という感覚なんでしょうね。

ボクは時代も状況もあまり気にしないで店を始めましたが、ますますその方向へ向っているようです。「時代」とも「場所」とも無関係なところで、「本質」を届けられればいいなと思っています。決してガンコ者ということではなくて、時代の現象に背伸びするよりも何か親しみやすい本質的な刺激を大切に考えています。
「時代」も「場所」も気にしない人にあるのは「目的」。お互いの本質を豊かにしてより良く楽しい人生を過ごすという「目的」だけが共通・共有できる本質ですね。


彼は飛びつくようにそのCDを購入し、「じゃあまた」と嬉々として足早に帰っていきました。
ボクは壊れてしまったターンテーブルを修理しました。切れてしまった配線をハンダ付けしたのです。レコード針は新しいものに交換しました。修理し終わってレコードに針を落とすと-ちゃんと直ったかどうか、その瞬間-チチッとスクラッチノイズまじりにゆっくりと音楽が流れ出しました。

「アビーロード/ビートルズ」「マッド・スライド・スリム/ジェームス・テイラー」「ウォー/ウォー」
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どれも40年ほど前のもので、単なる“音圧”という意味ではないとてもぶ厚い音楽で、唄・演奏されたひとつひとつの音どれもが奥行きのある実に味わい深い響きを持っています。

こんなことを書いているようではビジネス・ハウツー失格者ですね。もう少し商売上手だったらいいのですが、それでも時代時代と追いかけて引き攣るよりも自分の確信ある本質で遊ぶほうが、どうやらボクには性があっているようです。

「時代、時代」と右往左往しているうちに、気持ちが擦り切れて何もよく聞こえなくなってしまったら新しいレコード針に交換すればいいんですし、目まぐるしくて何だかよく分からないままで感情も心の糸も切れてしまったらハンダ付けすればいいんだと思うのです。そして、何か楽器を演奏したり唄をうたったり、それに合わせて踊ったりするのがいいですね。

あ、そうか、そうだった、
当世時代のデジタル/データ/ダウンロードには、針も必要なければハンダ付けも出来ないんですよね。
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by greenwich-village | 2008-04-29 22:18 | 音楽
あぁ、やっぱオリジナルはカッコいいですねぇ。
役者陣の格、存在感をはじめ、何もかもが違すぎますね!

「傷だらけの天使」
http://jp.youtube.com/watch?v=8ti-FKbaKDg

「探偵物語」
http://jp.youtube.com/watch?v=Co17q2iBV_A&feature=related

「探偵物語/ロンリーマン」
http://jp.youtube.com/watch?v=J0KNP_fwRQI&feature=related

「俺たちは天使だ」
http://jp.youtube.com/watch?v=yeHoS_nyWA4
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by greenwich-village | 2008-04-28 15:06 | 映画

オーガニック・サウンズ

オーガニック・サウンズ/オーガニック・ライフ

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by greenwich-village | 2008-04-27 17:25 | グリニッチ・ヴィレッジ

感謝

「コレいいですね」とか「これカワイイですね」とか「役に立ちました」とか、
「これ探していたんです」「先日頂いたアレ、とてもよかったです」などと言われることほど商売冥利に尽きることはありません。

お買い上げいただき感謝するのはコチラの方なのですが、少なからず感謝までいただけるのは、どんな商売・生業でも共通する本質で醍醐味だと思います。
感謝しろよとか感謝されたいがために仕事をしている人はいないと思いますが、自分の役目・出来ることを誠実にこなして思いのほか喜ばれるのは、どのような職業であっても光栄に思え仕事のやり甲斐を感じるものですね。

飲食店ならば、「コレ、とても美味しいですね、ごちそうさま、また食べにきます」
医師ならば、「おかげさまで治りました、最近とても体調がいいです」
教師ならば、「よくわかりました、関心がわきます、もっといろいろ教えてください」
花屋さんなら、「綺麗な花束を作ってくれて、彼女も喜んでいます」
営業職ならば、「お宅の製品役に立っていて、評判いいよ」
ラジオ番組なら、「いつも楽しい番組をありがとう、欠かさずに聴いています」
設計・デザイナーなら、「考えていた以上にステキなレイアウトだね、すばらしいね」
新聞配達なら、「こんな天気が悪い日にでも、いつもごくろうさま」
友達なら、「いつもなにげなくそこにいてくれて、ありがとう」

たとえばそんなふうに、代価にささやかな感謝の気持ちを添えられるような働きが出来たときは、誰でもとても気持ちよく、お互いに優しい気持ちになれると思うのです。

f0148098_16295884.jpgとくにバブル以降でしょうか、「代価=等価交換」だけの感覚が支配的になって、高い安い・やれセレブだの負け組みだのそんな表層だけが主にマスコミ/メディアから垂れ流されて、人の精神を侵食しているような部分もありますね。
昔の「世界まるごとハウ・マッチ」や今の「世界バリバリ・バリュー」などの番組はもちろん、「何でも鑑定団」や品格のないセレブ気取りタレント、とにかくただお金だけに換算して、豪華だとか贅沢だとかに憧れているいる向きは否めませんね。金銭だけの価値基準のせいか、哀れな自分の腹いせでか、みんなが育てた綺麗なチューリップをなぎ倒す凶暴なサラリーマンもいますね。

確かに、人の仕事・働きから“感謝”を取ってしまえばそこにあるのは“収入・サラリーの大小”だけで、それだけが大切だという意見も間違っているとは思いません。貨幣経済に生きている限り、お金は最も重要な“道具”ですね。
ですが、ただ単に“道具”が沢山ある人は、各々それに見合う等価交換した高価な道具や豪華な装置だけに囲まれて生活していて、“感謝”という有機的な不等価でも有意義な価値が希薄になりがちなんだろうとも思うのです。

おしなべて、昨今の社会ニュースを賑わす出来事を見ると、高級官僚から少年犯罪までそんな感覚が横たわっているように感じます。病理・病床といった感じもします。

そのせいというわけではありませんが、少なからずも何か感謝されるような働きが必要なのだ、といつも自分に言い聞かせてボクは仕事をしています。

さて、ボクはすべての仕事は誰かに何か“感謝されるもの”として捉えていますが、身近なところでひとつだけ「これは誰にも感謝されていないだろうなぁ」と思う仕事を見かけます。
「駐車禁止パトロール」というご職業をなさっている方々です。
東京のような大都市の六本木のような場所ならいざしらず、このような閑散とした田舎の地方街の、また町外れの交通量も少ない通りを、雨の日だというのにぐるぐると回って時間を浪費している姿があります。
時々仕事用事で止まっている車に、たとえは失礼ですが飢えたハイエナのようにどこからともなくやってくる様は、どう見ても誰にも感謝されないだろう、と感じるのです。
職務を果たしている方々は、ただ単に家族と自身を養う生業のためにそういう職業についただけでしょうから、彼らを責めているわけではありません。そういう不必要な職業を作って幾ばくかの雇用で“より良い社会を”とのたまわっているのは、お国のお偉方やシステム管理者ですから。

ご来店いただいたお客さんならお分かりかと思いますが、うちの前の道はそれほど交通量のない両面通行で、一時的に路肩に止めても何の問題もない通りです。
今先ほども、お隣の店舗前に止めた車に、雨カッパを着た巡視員二名がやってきて四の五のおっしゃっておりましたが、その間、車は一台も通ることはありませんでした。どうしてこんな雨の日に、わざわざやってくるのか不思議でありません。
普段ここ最近この通りは下水工事をしているのですが、工事機器車は当然ですが、工事者たちが乗ってきた車が駐車されていて、時にはうちの前に横づけになっていたりするのですが、そちらのほうが営業妨害に近く、迷惑で取り締まって欲しいと思うのですが、そういうときに限って-工事中という看板のせいでしょう-彼らは回ってこない。まったく馬鹿げた話です。残念ながら、この界隈での「駐車禁止パトロール」だけは“感謝”されようがないものかと思われます。

どんな商売でも利益追求はもちろんなのですが、それで成功しても失敗しても、またライヴドアのように成功したように見えて全く成功していないものも、「ありがとう」と“感謝”されるような働きがなければ、「金銭の豪華」は「金銭の業火」で終わると思うのです。


このような雑文読んでいただいて、感謝します。
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by greenwich-village | 2008-04-24 16:25 | その他

データ/パターン

データ野球とかID野球と呼ばれるスタイルがありますね。
その代表的なプレイヤーで監督といえば現・楽天イーグルスの野村監督で、たとえば引用したこんなエピソードなど、まさにデータ野球そのもの。

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「サインプレーやデータ活用など、かつて球界の先駆者だった巨人が理想のチームである」という。
現役引退後の解説者時代には、従来の結果論でものを言うのではなく、理路整然とデータを元に説明した。
通称「野村スコープ」を駆使し、投手の配球をほぼ100パーセント的中させたのは有名である。
これも打者やバッテリーの情報を把握していればこそと言え、2007年のパ・リーグクライマックスシリーズのテレビ解説でも、あらためてその正確さを示した。

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その野村監督をしても「どうしてそうなるのか、何を考えているのかサッパリわからん」と言わしめたのは、ご存知長嶋さん。現役時代も監督時代も、野村さんは長嶋さんのデータを読めなかったようです。
コレ、どういうことかなと考えてみました。

データというのは対戦成績や肉体的特長とかばかりではなくて、むしろそれ以上に「その人がどう捉え、どう考え、どう行動するか」という何通りかのその人の“癖”のパターンを集積したものでしょう。それで、こういうパターンの時にはこう来るとか読めるわけですね。

長嶋さんの癖のパターンがなぜ読めないのか、三通りほど考えました。

(1)長嶋さんは、ヒジョーに飽きっぽい。だから普段の自分の癖や行動パターンにもすぐに飽きてしまって、同じパターンがやって来ても「あ、なんだか今日はこっちのほうが面白そうかも」と、いつもの癖の反対を選択してしまう。よくいわれる「直観型」というわけでもなく、ただ自分がいつものパターンに陥るのを極度に避けているため、同じ発想同じ行動に出ない。対戦相手に勝つよりも自分が面白ければそれでいい。
ただしこの場合、自分で自分の癖のパターンを客観的に把握していなければ出来ない。

(2)長嶋さんは、ヒジョーに創造力豊か。だから普段の癖や行動パターンだけでは物足りず、自分で自分の癖のパターンを増殖させて「ウーン、コレは刺激的で面白い」と、今までに集積されていない新しい癖で選択する。「芸術家肌」でもないが、自分の中で自分にとって新鮮な新しい癖を創造する。けれど前の今までの癖はなくなったのかというと、それはまた新しいパターンに組み込まれ更なる増殖を続ける。長嶋さんと対戦する限り、常にデータ更新をしなければならないため、「集積データ+1or2」という入力状態に置かれ、出力IDが思うように機能しない。
ただしこの場合、新しい癖のパターンは両刃で、伸るか反るかの危険性が伴う。

(3)長嶋さんは、ヒジョーにストイックな人。だから誰にでもあって知らず知らず出てしまう癖のパターンをその度にひとつひとつ消去して「まだまだ、精進が足りない」と、いつもの癖のパターンが出そうになるとその癖自体と戦っている。「求道者」かもしれないが、癖のパターンをなくされてしまっては、せっかく集積したデータも何の役にも立たなくなる。そこが狙いで、自らを律し克己し、普段の癖のパターンを超越している。直観・行動ではなくて無色・透明、瞬時にして「無我天然の境地」による一手。
ただしこの場合、戦いさえも超越した覚者になってしまうため試合にならない。

と、
野村監督ばかりではなく、データ野球・ID野球と戦うには以下のようにものが集積データ封じになるようです。
(1)逆パターンもしくはまったく違うパターンに動く。
(2)癖パターンを次々と増殖させ、集積できないほど多くの新パターンを生み続ける。
(3)パターンをひとつずつ消去し、全くパターンのない無の境地に至る。


何が言いたいのかといえば、「データ化社会・デジタル化社会」とそれに親しみ身をおいて思考や感性、感覚や環境の中核まで養われている私たちの、「盲点・弱点」と「焦点・論点」、そして「打開・突破」もそこにあるように思えるのです。
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by greenwich-village | 2008-04-23 22:26 | その他

文化の消滅/現象の隆盛

ボードリヤール「シミュラークルとシミュレーション」

現実と虚構の中間に位置する概念で、シミュラークルオリジナルのコピーのこと。
現代ポストモダン社会では、オリジナルとコピーの価値差は希薄で、本質と現象の区別がなされない。むしろ現象が本質を上回っている
シミュラークルは、オリジナルのコピー、そのコピーのコピー、さらにそのコピーを生み、すべてはデータ化され、この要素を組み合わせた"今までかつてどこかに現れたような"シミュラークルだけが生まれる。
もはや人々の“生と営み”オリジナルが消滅したシミュラークルに包囲埋没し、そこでの一般的な認識・共通概念だけが現代社会の文化として隆盛している。
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by greenwich-village | 2008-04-21 18:22 | その他

名前のない動物

f0148098_23242135.jpg70年代に“アメリカ”という名前の3人組のフォークグループがおりまして、イギリス人たちなのですが、アメリカのカルフォルニアを拠点に活動し数多くのヒットを飛ばして人気がありました。
アコースティックギターと美しいコーラス、カラっと親しみやすくそれでいてどこか寂しげなメロディー、所謂ウェストコースト系で、ボクも昔から好きなグループです。
このグループの代表曲に「名前のない馬」という曲があります。コレは意訳ではなくて原題そのまま直訳で、ホース・ハブ・ノー・ネーム。当時のアメリカの若者のスラングでドラッグを意味しているんだそうです。
かなり遅ればせながら、昨今の日本の若者たちも-ボクが想像するよりもわりと多くの人たちが-ナチュラル/ケミカル/睡眠薬といろんなタイプの“名前のない馬”にまたがっているようですね。
♪~名前のない馬に乗って、どこか遠いところへトリップしよう、とでもいったところでしょうか。

中国では「名前のない馬」よろしく、本当に「名前のない動物」が捕獲されて飼育されているとのこと。あんな巨大な国ですから、奥地のほうには得体の知れない幻の怪獣がいてもおかしくないだろう、とは思いますが、実際に目の当たりにするとなんとも不思議な感覚になります。ファンタジー映画やアニメで妄想するよりも、ドラッグやカルトでトリップするよりも、ボクにとってはずっと興味深く好奇心を刺激されます。ラリってトリップするよりも、珍獣を捕まえに本当の旅に出たくなります。
科学や宇宙空間や天体や惑星などの研究・新発見もそうで、実際、事実は、小説よりもハリポタよりもアニメよりもドラッグよりもカルトよりも、奇なり!!

ブタとウサギとキツネが混ざったような珍獣、どういうものなのかまったく分からない名前のない動物。手前味噌ですが、なんだか当店グリニッチ・ヴィレッジのようで多少のシンパシーを感じる次第。お客さんが来店して店内を一通り見回った後、よく「なに屋さんなんですか?」と尋ねられますから。ちゃんと名前はあります、グリニッチ・ヴィレッジ・ロフト・ショップ、珍店ですが・・・。

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<ニュースから>

f0148098_23205718.jpg2008年4月18日、「人民図片網」は広西省宜春市の動物園で7年間飼われている正体不明の動物を「怪物」と称して紹介。

宜春市動物園の片隅で飼育されている謎の動物は、今から7年前に地元農民が捕獲し、同市林業局野生動物保護ステーションに届けたもの。同局の専門家にはこの動物が一体何であるか識別できなかったため、同省林業局の専門家に鑑定を依頼。そこでも正体がわからず、この動物の映像を国家林業局に送ったのだが、正体は不明との返事が。

問題の動物は、全身を黄色い毛で覆われており、長い尾を持ち、姿は狐に似ている。顔には小さく突き出た口があり、形も色も子豚にそっくり。鼻はひしゃげて丸く、目はピンク色で兎の目に似ている。耳は楕円形で、白くて長い鼻ひげが生えている。

同園の飼育係は、この動物が何でも食べる雑食で、どんどん大きくなる一方だと説明。あとどれくらい大きくなるのか、あと何年ぐらい生きるのかがわからないため不安だと話している。
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by greenwich-village | 2008-04-19 23:21 | グリニッチ・ヴィレッジ

雨は好きですか?

やはりこれも温暖化・異常気象の兆しかと思ってしまうほど、ここのところなんだか雨風が多いように思えます。
週末だというのに昨日今日などコレでもかというほど降っていますね。この辺りだと予報によるとこの雨は日曜まで続くようで、これでは店に並んだ新しい商品も見ていただけないわけで、商売柄客足を含め「忌々しい雨め、厄介な風め」と恨めしい気分になります。
自然現象・天変地異に腹を立てて文句を言ったところで意味はなく、とどのつまり人間様の無力さ加減を知らしめられるだけなのですが、ともかく雨・風・寒さはとかく非活動的・非生産的になりがちで、アウトドアの肉体だけではなくインドアの精神的にも虚ろな気分になられる方も少なくないかと思われます。

激しくてもそぼ降る雨でも、雨の日が好きでも嫌いでも、窓の外の雨に何がしかのフィーリングを覚え、それに見合う音楽を聴いたりしますね。
まったりとしたボサ・ノヴァであったり儚げなバラードであったり、ゆったりとしたロックステディやラヴァーズ・レゲエであったりミディアム・テンポのソウルだったり。

f0148098_13442651.jpg古今東西、「雨」とか「レイン」とかのタイトルが付いた雨の情景情感を描いた音楽は多々ありますが、雨が降るたびにボクが思い出す楽曲はアメリカン・ニュー・シネマの代表作のひとつ、映画「明日に向って撃て」の主題歌「雨にぬれても」

西部劇の体裁ではありますが所謂“正義の味方”が主人公の、後のスター・ウォーズへと繋がる勧善懲悪な活劇ではなく(アメリカン・カントリー音楽がアメリカン・ハードロックへ移行したように、西部劇がスター・ウォーズやハリウッド・アクションものになったのです)、新しい時代の悪漢ヒーローを描いた映画のハシリに位置する作品です。

音楽も他の西部劇の楽曲のように、勇ましかったり雄大であったり重々しいものではなくて、実に軽妙なポップでさりげなくウキウキさせてくれるものです。作者はアメリカの大ポップ音楽家・作曲家の一人バート・バカラック。バカラックはこれ以外にも数え上げればキリがないほど沢山の親しみやすいポップ音楽を作っていますから、はっきりと憶えていなくとも、誰でも一度は必ず彼が綴ったメロディーを耳にしていると思います。あなたが鼻歌でなんとなく口ずさんでいるのは、数多あるバカラック・メロディの一つだったりしますよ。

f0148098_13583015.jpg♪レインドロップス・フォーリング・オン・マイ・ヘッド~・・・・
「雨にぬれても」も説明不要なほど誰もがどこかで耳にしたことがある有名曲で、間違いなく彼の代表曲で名曲の一つです。
ポップでステップを踏みたくなるようなリズム、淡い明るさを湛えた優しいメロディ、「雨が頭に降り落ちて濡れてしまっても、まぁいいじゃないか、そんなことは気にもならない」と唄う内容、これが“忌々しく厄介な雨”の気分を少し和らげて、コーヒーでも入れて時を過ごすかと感じさせてくれたりします。

「好きか?」と問われれば、ボクは雨の日はあまり好きではありませんが、好きではないものでも少しは過ごしやすくするために工夫して、それに見合う彩を添えて何か見つけて楽しんでしまうのがいいと思うほうなので、そんな意味でも、音楽は日常的に欠かせない付加価値がとても低いものとして大切にしています。
“衣・食・住・音”。非日常性や特別な空間や時間ではなくて、ちょうど雨の日の雨音のように、普段の暮らしの中で当たり前に音楽が流れていればステキだなと思うのです。
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by greenwich-village | 2008-04-18 14:14 | 映画

宝島#3

古い器類
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古い器類
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レコード
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レコード
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定番CD
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限定紙ジャケCD
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by greenwich-village | 2008-04-17 16:16 | グリニッチ・ヴィレッジ

宝島#2

あまざけ飴
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焼きせんべい/揚げせんべい
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ポパイ・ポテト
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ローズソルトin琉球ガラス
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フルーツ・ビスケット
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オフィス・チェア/赤&黒
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by greenwich-village | 2008-04-17 15:49 | グリニッチ・ヴィレッジ

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ