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グリニッチ村への地図

“毎日がガレージ・セール”のグリニッチ・ヴィレッジ・ロフト・ショップは、街外れの大通りを曲がった路地にあって、まわりには目印になるようなものも見当たらず、言葉で説明しづらい場所なので、詳細地図をUPします。
何か見つかるかもしれませんので、どうぞ、一度お立ち寄りくださいね。

画像クリックで拡大。
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by greenwich-village | 2007-08-30 18:57 | グリニッチ・ヴィレッジ

皆既月食のタンゴ

8月28日、今夜は皆既月食なんだそうですね。
ここ地元の今現在の天気を見ると曇天で、今夜までには晴れて月が見えるかどうか。
国立天文台のページによると、

f0148098_15285693.jpg「8月28日、全国で皆既月食が見られます。地球の影の中に月がすっぽりと入ってしまうこの現象が全国で見られるのは、2001年1月以来6年ぶりのことです。また今回の月食は、夕刻から夜という多くの人にとって観察しやすい時間帯に起こるのもひとつの特徴です。
皆既月食中の月は、一般的に真っ黒にはならず、赤銅色とよく表現される赤黒い色で見られることが多いです。しかしこの色は、皆既月食ごとに変化することが知られています。」


f0148098_15384539.jpgなるほど真っ黒にはならず、赤銅色なんですね。ますます怪しげで、そそられますね。もの影や辺りも少し赤色っぽくなって見えるんでしょうか。科学的にいえば、太陽の光を受けた地球の影が月に当たって皆既月食になるわけですが、とはいえ、先日のペルセウス流星群の流れ星といい、天体が繰り広げるショーは人知を越えた神秘さに満ちていますね。狼男だとか、ロマンチックな恋だとか、天変地異だとか、奇跡的な出来事だとか、猥雑さだとか神聖さだとか、何か起こりそうな気配もなきにしもあらず。ムリもない、なんといっても皆既月食で赤銅色の月ですからね。(地球儀ブックエンド/1000円)

今夜は、庭でもベランダでも、縁側でもどこか野外でも、ゆっくり寛いだ気分で好きな椅子に腰掛けて、浮世を忘れてつかの間の皆既月食・天体ショーを楽しみましょうか。
(椅子類、チェアー/ソファなど各種、ほかにも多数取り揃えております。)

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f0148098_15585255.jpgそんな月夜に似合うのは、タンゴ。タンゴ音楽の説明は省きますが、若い人たちには古臭く感じる方もいらっしゃるかもしれませんので、ここでご紹介するのは、タンゴ音楽をクラブ・テイストに再構築した「supervielle」
深く情熱的で、妖艶で怪しげなタンゴを、ブレイクビーツやハウスで現代的に仕上げたものです。タンゴの持ち味と余韻を損なうことなく、アンビエンス深く練り上げた作品です。
これなら、クラブ音楽世代の耳にもすんなりと馴染むのではないでしょうか。

f0148098_16281392.jpgそしてなにより、タンゴといえばアストル・ピアソラ。これ以上に皆既月食の夜にぴったりの音楽はないんじゃないでしょうか。ピアソラのタンゴは皆既月食のタンゴといっても過言ではないでしょう。
遺作であり、最高傑作の「ラ・カモーラ/情熱的挑発の孤独」には、人が持っているすべての感情が、静かに静かに強く染み込んでいます。怪しく、切なく、おおらかに、悲しく、豊かに、繊細に、優しく、荒々しく、タンゴ音楽とバンドネオン(アコーディオン)の音色が皆既月食の月夜を一層スピリチュアルに、ロマンチックに彩ります。
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by greenwich-village | 2007-08-28 16:26 | その他

リチャード・バック

「彼のただひとつの悲しみは、孤独ではなく、輝かしい飛行への道が目前にひろがっているのに、そのことを仲間たちが信じようとしないことだった。」   
                        
                   ―小説<カモメのジョナサン>より/リチャード・バック

「いつも君は白い紙を持っている。
それはほとんどの場合、計算のための用紙として使用される。
しかし、もし君が望むなら そこに現実を書き込むことが可能だ。
意味のないこと。嘘。 何でも書き込むことができる。
そして、もちろん、 破り捨てるのも自由だ。」
                        
                   ―小説<イリュージョン>より/リチャード・バック


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by greenwich-village | 2007-08-28 11:57 |

天高く

天高く、うろこ雲をご馳走します。
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by greenwich-village | 2007-08-24 21:42 | その他

つるべおとし

f0148098_20561825.jpg秋の気配、「秋の日はつるべおとし」といいますが、日の暮れが日々早くなっていますね。夏の日々よりも早く日が暮れるようになるから、「秋の夜長」になるわけですね。

釣瓶は、井戸水をくみ上げる道具で、手を離すと水桶が井戸に落下するような仕組みになっていて、それで「つるべおとし(釣瓶落とし)」で、ものが急に落下する様を形容していますね。
秋の夕暮れ、陽が沈みはじめてから日没までの間が短いことを例えて「つるべおとし」というのは、何だかとても情緒深い表現ですね。

さて、秋の夜長は間接照明、お好きな灯りを点してお過ごしください。灯り各種。

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by greenwich-village | 2007-08-23 21:00 | もの・モノ

きみの友だち

いまでは誰もが作詞や作曲をして、自作自演のシンガー・ソングライターですが、初めてそう言われて登場してきたのが、キャロル・キングやジェームス・テイラーという人たちでした。キャロル・キングはもともと職業作曲家でヒット曲を作っていましたが、次第に自分の思いのたけを自ら歌うようになりました。まさにシンガー・ソングライターの元祖です。

時代は70年代初頭、ベトナム戦争からの混沌とした流れと、また行き詰まりの空虚感が漂い、若者たちは享楽的に逃避し、刹那的に自暴自棄になっているようでした。何かに熱狂すればするほど、各々の心の中にはポッカリと空白が広がり、埋めようがありませんでした。
一過性のムーブメントの一体感とは裏腹に、各々にある孤独感は深まっていき、決して拭い去れないものでした。明日への不安、世界は信頼できるものが何一つないというような敗北感・虚脱感。何も変わらず、誰もがシラフに戻り、さびし気に家に帰っていくのです。

そんな時、この歌がラジオから流れ、聴く者の心へ静かにすべり込んで行きました。
当たり前のような至ってシンプルな歌なのですが、多くの人たちが、壮大などこか遠くを見ようとすることから、身近な身の回りの手が届くものへと意識を変えていったのでした。

決してナツメロではなくて、状況や環境や、もちろん時代も場所も違いますが、むしろこういう時代だからこそ、この歌は現在にも通じ、聴かれている歌のひとつだ思うのです。


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「きみの友だち」   キャロル・キング/ジェームス・テイラー

君がしょげて悩んでいるとき  そして手助けが必要なとき
そしてすべてがうまく行かないとき  目を閉じてボクのことを考えるんだ
そうしたらすぐに君のところへ行くよ  真っ暗な夜でも明るくするために

ただボクの名前を呼べばいい  そうすればどこにボクがいようと  君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう  また君に会うために
冬、春、夏、秋  ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっと君のところにボクは行く  そうだよ 君には友達がいるんだ


仮に頭の上の空が  暗くなって雲だらけになっても
そしてあの北風が吹き始めても  心からボクの名前を大声で呼ぶんだ
そうしたら君の部屋のドアをノックしに行くよ

ただボクの名前を呼べばいい  そうすればどこにボクがいようと  君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう  また君に会うために
冬、春、夏、秋  ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっと  君のところにボクは行く


友達がいるのがわかるっていいことさ
人は冷たくあたるかもしれない  君を傷つけて見捨てるかもしれない
もし君が許せば  人は君の魂を奪ってしまうかもしれない
そうさ  でも君はそんなことさせないだろう

ただボクの名前を呼べばいい  そうすればどこにボクがいようと 君はわかるはず
ボクは走って君の元に行こう  また君に会うために
冬、春、夏、秋  ただ君はボクの名前を呼べばいい
そうすればきっと  君のところにボクは行く  そうさ 君には友達がいるんだ

友達がいるのがわかるっていいことさ  友達がいるのがわかるっていいことじゃないか
そうだよ  君には友達がいる
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by greenwich-village | 2007-08-22 21:27 | 音楽

ステンドグラス

一足お先に秋気分で、ステンドグラスのペンダントライトを用意しました。この造作で、それだけでも十分に美しいのですが、当然ながら灯りを点すとさらに素敵です。

ステンドグラスはもちろん洋間系ですが、和室にもしっくりきて、寛いだレトロ感を醸し出しますね。明治・大正の和洋折衷といったところです。
家具類でいうと籐モノと同じで、その存在感はあっても、場所を選ばずどんな空間でも合わせやすいですね。なにより、柔らかく穏やかで、やはり美しいです。

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f0148098_1835972.jpgこの空気感に合う音楽は何かな、と考えるとずばりジャンゴ・ラインハルト

ベルギーに生まれ、母親はダンサー、父親はヴァイオリンとギターの奏者、ベルギーやフランスを放浪しながらヴァイオリンやバンジョー、ギターを弾いた典型的なジプシーの家系。

20年代からパリのカフェやクラブなどで、アコーディオンやヴァイオリンの伴奏として、ミュゼットやワルツ、タンゴ、ジプシー音楽などを演奏していました。

f0148098_18162528.jpg火事で左半身に重傷を負い、以後左手の薬指と小指が不自由になりましたが、それを克服し、やがて独自の奏法と音楽を編み出しました。
彼の音楽は、ジプシーの伝統音楽とアメリカのスウィング・ジャズをもとにしたもので、一般にはジプシー・スウィングと呼ばれています。

映画がお好きなら見た方もいらっしゃると思いますが、ウディ・アレン監督/ショーン・ペン主演の映画「ギター弾きの恋」での音楽がジプシー・スウィングです。

f0148098_19195199.jpgホロ苦く切ないラヴ・ストーリー映画も、ジプシー・スウィングの調べに耳を傾けるのも、お気に入りの本を読んだりするのも、ロマンチックで涼しい秋の夜長には欠かせませんね。

そんな宵には、柔らかいステンドグラスの灯りの下で、のんびりとお寛ぎください。

ステンドグラス・ペンダントライト 16000円
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by greenwich-village | 2007-08-20 19:15 | もの・モノ

ビートニク

かつてアメリカに「ビートニク」「ビート・ジェネレーション」と呼ばれる人たちがいました。代表格は、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ。

彼らや彼らの精神に共鳴した若者たちは、アメリカ主義や「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」な価値、体制や物質文化に異を唱え、散文を唄い、放浪し、それぞれに生のリアリティを追い求めました。

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エピソードや詳しい説明は検索ノートにお任せして、ここで特筆したいのは、彼らそれぞれがあくまでも「個人」であったことです。
上の三人以外にも、各ジャンルでたくさんの個性的なアーティストがいましたが、それぞれが盟友ではあっても決して必要以上にツルむことはありませんでした。むしろ「集団」になることを拒んでいました。
体制に対して反体制になることで、そこでまたひとつの「集団」が生成されますね。とくにケルアックは、ビートの影響下に生まれた後の「ヒッピー文化」をまったく歓迎していませんでした。
ヒッピー文化は現在でもレイブカルチャーとして、その集団性が受け継がれていますね。

「体制集団VS反体制集団」、「既成概念VS反社会」ではなく、ビートニクは終始「集団性VS個人」のもとに文化と精神性を開放していったのです。

なぜ個人かというと、どのようなものであれ、集団には「生のリアリティ」はないからです。リアリティは個人にしかありませんね。集団にあるのは、群集心理や集団催眠、流布や体裁や共有・共同体幻想です。私の感じ方がアナタの感じ方にはなりませんし、あなたが喜んでもわたしは嬉しくない、誰かが痛くても誰かは痛くないのは当たり前ですね。また、大自然も、現代人がどう理屈を付けても、乱痴奇集団を歓迎していないでしょう。

個人がどう感じ、どう考え、どう行動するか。そういう個人たちが各々ひとりひとり増えていくことで、退屈で閉鎖的で、豊かなのに行き詰った社会や通念が塗り替えられていきますね。集団は集団であるがゆえ、個人を埋没させるシステムが内在機能していますね。

いろいろな角度で、いろいろな解釈がありますが、ビートニクという行動と価値が社会に叩きつけたのは「個人という存在」であり、すべての集団にある盲目性を拒絶することだったように思われます。きっと、受け入れ認め合うべきは、互いの「個人」ですね。

読書の秋ですね。多くはありませんが、そのような本もいくつか取り揃えております。


ビート・ジェネレーション/ビートニク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

http://www.eiga-kawaraban.com/00/00120501.html

http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/beatnik.htm
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by greenwich-village | 2007-08-18 17:55 |

夏の巷/秋の風

きょうは全国的に記録的な夏日で、暑い一日でしたね。やはり地球温暖化の足音は急速に早まっているのでしょうか。
それでも夕刻、陽が沈んで夜になれば、幾分か和らいで時には涼しくなりますね。

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お盆が過ぎてしまうと、祭りや海とか夏らしい行事はだいたい終わって、ふと見上げると、今日ほどの猛暑でも一日が終わる頃の空は、もう秋の気配が漂い始めています。
自然界ではもう秋仕度ですが、街中のこの界隈・巷の人たちもそれぞれの家や職場や学校に戻っていきますね。懐かしい再会も新たな出会いも、秋へ向かっていきますね。

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ちまた=“巷”を正確に書くと、“衢”と書くそうです。
「道の分かれるところ」という意味で、道股(ちまた)。それで、人が大勢集まるにぎやかな通りや界隈、世間を“巷”というんだそうです。「巷(ちまた)のうわさ」とか言いますね。
人は来て、人は帰る。再会や出会い。巷には、たくさんの分かれ道があるものです。

お盆を過ぎて今日あたりから以降は、さしずめ「夏の巷」ですね。夏から秋へのわかれ道、といったところです。これからの暑さは、猛暑というよりも残暑といったほうがいいかもしれませんね。残暑お見舞い申し上げます、夏バテに気をつけてご自愛ください。


f0148098_21204532.jpgそんな今日の音楽は、ちょっとだけ一足早い秋の気分で、ニール・ヤングの「ハーヴェスト・ムーン」
この人は激しさと優しさが同居している人で、その間を自由奔放に行き来するところがロック的で、このアルバムはリリカルなアコーステック・ギターと、爽やかなコーラス、時に涼しげで時に寂しげな楽曲が満載の柔らかい作品です。
タイトルは「収穫期の月」ですから、中秋の名月というか、秋の宵にはぴったりで、とても寛げる内容です。

暑い巷を通り抜けていくと、街のはずれで、クーラーではない自然な風が吹いています。
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by greenwich-village | 2007-08-16 21:36 | 音楽

じゃんがら

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福島県のいわき地方に伝わる伝統芸能で、太鼓と鐘のリズムに合わせて若者が念仏を唱えながら踊ります。8月の旧暦のお盆のとき、この1年間に亡くなった方新盆の家庭を廻り、鐘や太鼓でにぎやかに仏さんを供養し家族を慰めるものとして、いわき地方のお盆の風物詩となっています。

「じゃんがら念仏踊り」
江戸時代にいわき四倉出身の名僧祐天上人(ゆうてんしょうにん)が、信仰心の薄いこの地方の庶民に誰でもわかりやすく念仏を唱えさせようと「南無阿弥陀仏」の言葉を歌の節にあわせて唱えさせたのが始まりといわれてます。

現在いわき市内には100を越える団体でじゃんがら念仏踊りが受け継がれています。それぞれの地域、団体によって太鼓のリズム、鐘のたたき方、歌の節回しなどが少しずつ違っています。毎年お盆の時期になると、夕方各地の集会所などでじゃんがらの練習をする音が聞こえてきます。

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福島県いわき市の代表的な伝統芸能として知られ、夏の風物詩となっています。江戸を中心に盛んに行われていた踊り念仏が江戸時代初め、いわきにも伝えられました。小川江筋の開削者の沢村勘兵衛の霊を慰めるため、農民が踊ったのが始まりという記録があります。

8月の旧盆を中心に新盆の家の庭先や寺の境内、薬師堂、不動堂、観音堂などで踊りを繰り広げます。踊りはひと流れ約20分で、3人の太鼓を中心に10人前後の鉦(かね)を打つ者が周りを囲み、歌を歌い、鉦と太鼓のダイナミックなリズムに合わせて踊ります。

平成4年、市無形民俗文化財に指定されました。現在、市内には約90の団体があり、それぞれの地域に根ざして活動しています。基本的な動きは共通ですが、細部についてはそれぞれ違いがあります゜市内平の塩屋埼灯台下にある「雲雀乃苑(ひばりのその)」でも毎年8月14日に故空ひばりさんをしのんで踊りを披露しており、にぎわいを見せます。
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by greenwich-village | 2007-08-15 18:07

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by グリニッチ・ヴィレッジ