蚊取り線香は燃えている

グリニッチ・ヴィレッジは、

たとえば、デジタルライクなシステムにスポイルされ、ややもすると感性や発想や人間関係まで知らずと侵食され、殺伐とした超合理主義に傾きがちな暮らしに、少しだけ煙たい蚊取り線香を焚いてやろうという試みなのです。

風情や情緒というものは、古今東西世界中の至る所にごくごく当たり前にあるものでして、ただそれが現代社会の普段の生活では、デジタルやデータや即効性によって合理的に覆われてしまって見つけづらくなっているわけですね。

つい最近まで、学問が好きな者は学者馬鹿や医者馬鹿になり、苦手な者は職人馬鹿になり、芸事が好きな者は役者馬鹿になり、絵が好きな者は絵描き馬鹿になり、大自然にいたい者は農業馬鹿や漁師馬鹿になり、商売が好きな者は商人馬鹿になり、それぞれが各々の頑固で愚直なまでの目線をもって、向こう三軒両隣互いに成立する環境でした。

(いまや社会は頭でっかちと欲たかりで小賢しく成熟しきったようです。
伸びきったゴムもバネも元には戻りませんから、修理ではなく交換するしかありませんね。もし世の中とそこに暮らす人の心が有機的な“植物のようなもの”ならば、修理交換する必要はなく、自然に治癒し再生し、再び成長し始めるわけです。)

生れて間もなくから勉強や成績に追い掛け回されて、大人になってもそのままで我関せず、それだけで生涯を終えるような社会ではありませんでしたし、子供は子供らしい居場所、年寄りは年寄りなりの役目がありましたね。暑い日には簾や打ち水や扇風機や行水がありましたね。

いまはなくなってしまった、のではなくて、そういう“美”と“美意識”が見つけられず見つけづらくなっているだけなように思えます。
老若かかわらず、人の暮らしぶりとそれによる心は明らかに変貌しましたが、目が二つ耳が二つ口がひとつに頭がひとつの“人そのもの”はなんら変わっていないのですから。

煙たい蚊取り線香を焚いてやろうという試みですが、グルグルの渦巻きも二時間ほどで燃え尽きて火種も灰になってしまうわけですから、燃え尽きてしまえば薮蚊にブチブチさされてしまいます。それでも蚊取り線香の匂いは尽きた後もしばし残ります。

鼻がひとつに鼻の穴が二つの人間にとって、匂いはそのまま記憶に直結しますね。しかも穏やかに蘇りますね。この記憶はデジタルやデータとはまったく異なるものですね。

パソコンが壊れて本体内の以前のデータは失われてしまいましたが、グリニッチ・ヴィレッジ店内の蚊取り線香は今夜も煙たい煙を吐いています。
こうしてまた再び、デジタル機器のキーボードを叩いてネット/ブログを更新し始めているわけです。

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by greenwich-village | 2008-06-20 21:17 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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