フジROCK?????

フジロックだとかいうけど、J-ポップ歌謡ファンのオーディエンスなり与党で生活しているメディア全般なりが、まったく見当違いな話をしている。ネット文化のせいか、勘違いオーディエンスやマスコミが増殖しすぎている。
聴きたい音楽を聴けばいいし、聴きたくなければ聴かなければいい。それだけ。
どんな音楽か、どんなメッセージかは、あくまでミュージシャンや表現者やメッセンジャーのやり方であって、オーディエンスやマスコミにはまったく関係ないし四の五の言う権利はない。
それが、人気があるかないか、という話だ。
Jポップ歌謡をダウンロードして聴いていればよろし。それも人生だ。


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ネットで大論争 フジロックに「SEALDs」奥田さん出演 「音楽に政治、持ち込むな」???


 「音楽に政治を持ち込むな」「音楽を政治利用するな」。この夏、フジロック・フェスティバルに学生らの団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基さんの出演が発表されると、こんな批判がネット上にわき起こり、大きな論争となった。出演への批判や違和感の背景に何があるのか、いろいろな人の声に耳を傾けてみた。【小国綾子】


 フジロックは7月22〜24日に新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催される。奥田さんが出演するのは、2011年以来、脱原発など社会的なテーマでトークなどを行ってきた「ザ・アトミックカフェ」というステージだ。

 出演が発表されたのは6月17日。すぐさまツイッターで「政治色持ち出すロックフェスとかキモすぎる」「純粋に音楽を楽しみたいのに終わったなフジロック」などの批判が数多く投稿された。

 一方、反論も続々と。フジロックは過去にも数々のアーティストが政治的社会的な発言をしてきたこと。公民権運動とゴスペルやソウルミュージック、ベトナム反戦とロックやフォークなどの歴史に触れ、「ロックは元々反体制」「そもそも音楽と政治を切り離せると考えるほうがおかしい」という意見などが出された。結局、違和感を訴えたツイッターの再反論は盛り上がらず、出演予定は変わることなく収束した。

 この論争、当のアーティストたちはどう見たか。フジロックへの出演経験があり、社会的メッセージを歌うことの多いソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さん(50)は「アーティストの芸術表現に、こと政治だけを『持ち込むな』という主張はおかしい。歌は古今東西、その内容が恋慕であれ、歓喜であれ、祈りであれ、異議申し立てであれ、愚痴であれ、作者の『書きたい』『歌いたい』という欲求が自由に表現されてきたからこそ、太古から人々の口の端で愛されてきた」と語り、「むしろ歌にもっと政治を、もっと恋慕を、もっと歓喜を、もっと愚痴を、もっと怒りを持ち込もうぜ!」と呼びかける。「音楽は自由を目指し続けるんだ」と。

 米国のニューヨークに暮らす音楽家、坂本龍一さん(64)に国際電話したら開口一番、こんな答えが返ってきた。「音楽に政治を持ち込むことの是非? そんなのアーティストの自由です。聴く側は嫌ならフジロックに行かないとか、行ってもそのステージに近寄らなければいい。なぜ問題になるのかが分からないし、問題になる日本社会にむしろ問題を感じます」

背景に、根深い若者の政治アレルギー

 「政治を持ち込むな」の真意はシールズへの反発、と見るのは、前述の中川さんだ。

 「今までもフジロックのアトミックカフェにはミュージシャンではない文化人や著名人が出演してきたけど、今回のような騒動にはなっていない。奥田君は『出るくい』だからたたかれた。ある意味、シールズでの頑張りが『評価』された、とも言える。『政治』に積極的に利用されているEXILEやAKBは、今回騒いだ者たちからは批判されない。結局、『権力にたて突く』行為自体を快く思わない、この国の精神風土がここには大きく横たわっているのです」

 EXILEは、ライブ会場に安倍晋三首相が現れたことで13年、話題となった。AKB48はメンバーが一昨年夏、自衛隊のテレビCMに登場した。

 コラムニストの小田嶋隆さん(59)は、今回の論争で「純粋に音楽を楽しみたいだけなのに」という意見が広く共感を集めたことに注目する。

 「音楽は純粋なもので、政治はあしきもの、忌まわしいもの、場違いな場所で持ち出してはいけないもの、という空気が背景にあるのではないか。皆が楽しんでいるところで政治的な主張をすると、葬式にアロハシャツで来たヤツみたいな扱いを受けてしまう」

 批判が共感を集めた背景に、根深い政治アレルギーがあるってことか。

 「若者と政治をつなぐ」を目標に学校で出前授業などを実施するNPO法人「ユースクリエイト」代表、原田謙介さん(30)は「若い世代にとって政治はとても遠くて、暮らしや音楽などの文化とは違う次元の存在なんです」と説明する。

 「だから僕らが若者に向けて政治に関心を持ってもらおうと活動する時は、中立性を担保した上で対話の場を設けます。演説や強い主義主張を一方的に聞かされたり、党派色が見えたりした途端、若者は嫌がったり怖がったりして離れていくから。奥田さんは野党共闘に奔走した時点で多くの若者にとって党派色の強い『政治の中の人』。身近なイベントに出演することに違和感を覚えた人が多かったのではないでしょうか」

過度に中立性求める風潮は表現狭める

 でも「中立性」って誰がどんなふうに決めるのだろう。坂本さんは電話でこんなふうに危惧していた。

 「音楽と政治という問題に限れば、政治を持ち込むも持ち込まないも自由、というだけの話。ただ『偏っている』と批判された美術館が作品展示を取りやめたり、憲法集会が公的施設を貸してもらえなかったり、日本には『政治的中立を』『党派色を持ち込むな』という言い方で政治的な主張や体制批判を封じ込めようとする風潮が広がっている」

 確かに近年、自治体が「政治的中立」を理由に、市民集会などに対し、自治体の施設利用を許可しなかったり、後援申請が承認されなかったりするケースが相次いでいる。最近も東京の府中市美術館が社会派画家の作品展示について学芸員らに「公立美術館にふさわしい中立的な展示を」と見直しを求めたことがニュースになったばかりだ。

 坂本さんは東京電力福島第1原発事故後、「脱原発」を掲げた音楽フェスティバルを開催してきたが、自分の音楽については「政治的・社会的なメッセージを盛り込みたくない」という。「ナチス・ドイツがワーグナーの楽曲などの音楽を巧妙に大衆扇動に利用したことに強い嫌悪感があるんです」

 だからこそ「完全に純粋な音楽や中立的な音楽など存在しない、というリテラシーは持っておくべきだ。生きている人間の表現は何かしら政治性を帯びるし、ましてメディアに乗ればその作用はさらに強まる」と強調する。何が党派的で何が中立的なのかは、判断する人や社会、時代によって変わるからだ。

 小田嶋さんも「自由や平和や憲法や人権など党派色とは無縁と思われていたものが段々と『政治的』『偏っている』と受け止められる時代になっている」と指摘する。「怒りや異議申し立ての歌より『人生賛歌』が好まれる。人とのあつれきを極度に避けようとし、論争や異議申し立て自体が嫌われる風潮も強まっている。テレビコメンテーターもそう。しかし過度に『中立性』を求め、論争的な話題を避けることは結局、表現の豊かさや意見の多様性を狭めてしまう」と。

 「偏り」の反意語は「中立」より「多様性」であってほしい。多少、違和感を覚えるくらい、音楽も言論も多様で自由な方がいい。
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by greenwich-village | 2016-07-06 10:27 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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