2015年 09月 17日
国会外はノンフィクション、国会内はフィクション
為政者権力者が、為政者権力者として「尊敬」されるような人物は非常に稀有である。
古今東西、歴史上ほとんどいない。
総理大臣・各大臣・委員長は、あくまで代表者であって、単なる役職にすぎない。
偉いわけでも何でもない。むしろ、国民が監視しなければならない最重要な危険人物たちである。
彼ら自身も多くの国民も誤解しているが、専制君主の王様も殿様もいない。
それが民主主義国家である。
国会の前は真摯なノンフィクションだが、国会の中は無責任なフィクションでしかない。
ドイツのヒットラーの最後は、追い詰められて自室で自決したと言われる。いまだに、遺骸は替え玉だったという説もある。
イタリアのムッソリ-二の最後は、国民に捕らえられ国民の前で国民によって処刑された。
フランス革命などで王族を公開処刑したヨーロッパ市民らしい激しい行動だ。
日本の東條は、自決するなら頭や心臓を撃てばいいところを、怖気づいて急所ではない脇胸を撃って生き延びた。
裁判期間を経て処刑され、死んでもなお多くの犠牲兵隊の上に鎮座し祀られている。
この世界の出来事はすべてノンフィクションだが、この世界の構造の多くは陳腐なフィクションでしかない。