「志」ということである。
今なら葬式の香典返しくらいにしか用いられなくなったようだが、辞書によると、「志とは、心に決めた目標・目的。信念。志操。相手を思う気持ち。人に対する 厚意。謝意・好意などの気持ちを表す。」とある。
「志す」という動詞、士は、進み行く足の歩みの形の変形で、心が前進していく、目的に向かって進んでいく様を表している。

日本人は欧米人に比べて、容姿的にも精神的にも幼い。10代でも欧米人の同い年は充分に大人な老け顔老け型で、考え方も捉え方も年相応に熟している。
かつて日本も16歳で元服立派な大人として扱われていたが、それは社会的なものばかりではなくて、精神的にも元服で、本人の心持、「志」が重要に扱われた。


18歳までの高校就学率はほほ100%といえる。そこから先の大学というのは専門的な勉強をする機関だから、本人の意向や家庭の経済事情などで求めない人たちもいるが、これもまた世界的には進学率は高いほうだと言える。

さて、本人も親御さんも、大学という専門課程で何のために学ぶのか。
答えは簡単で、大方が、大卒学歴欲しさ、より厚遇な就職求人があるからということに尽きる。
フランス文学、哲学、文学部などで学んでも、音楽や絵画を教えてもらっても、それを必要とする就職先など皆無に等しい。
経済学、商科、法科、その他新設科に学んでも、就職先や就職後には無関係なもののほうが多いし、何を学んできたのか数年もしないうちに忘れてしまうのが実状だろう。

つまり、大学卒業の証書が重要なのであって、何を学びたくて何を学んだかなど、実際どうでもいい割合が多いのだ。

医学や特殊な学問、専門分野は別だが、もしフツ-の大学で経済や商科や経営を学ぶのなら、ちゃんと勉強している商業高校出身者のほうが呑み込みが早いだろうし、工科・理系も工業高校出のほうが実践的にも親しんでいるだろう。
普通高校出が受験勉強をして入学しても、3年間遅れて始まるわけだ。

お分かりかと思うが、中学・高校と「志」を教えていない。
試験勉強で点数がこのくらいだから成績がこのくらいだからこの学校だね、という風潮常識になっている。
中学高校でも塾でも「何をしたい?何になりたい?何を学びたい?どう進みたい?」といったことは教えない。試験用の暗記だけで、暗記の仕方や出題の傾向と対策ばかりだ。

学ぶべきことは「志」であって、そこから進むべき方向が生まれ見出せるのが当たり前の整合摂理なのに、順番が前後しているどころか、志の方向性もなく、ただ大学に進むか就職するかのようなものになっている。
大学に行って卒業すれば、それに見合った就職先がある、といっただけで、どこで何を学ぶかなどどうでもいいもので、偏差値に見合う大学に行けばいいと、本人も親も関係者も思っているのが、実際のところだろう。

ゆえに、幼いのである。志なきまま確かな方向性もなく押し上げられてしまうので、精神的に幼い大人が作られてしまう。
実際、大学で学んだことは大学卒業の仕方だけで、ほかに何も覚えていない、その後何も学ぼうとしない若い大人たちが増えているだろう。

「志」を学んでいないので、お金になれば何でもいいといった社会環境が生まれる。有利であればそちらに流れ、お金になればこちらへ流れ、儲かるとなれば何でもやり、優位に立つことにやっきになる。

志とは、心に決めた目標・目的。信念。志操。相手を思う気持ち。人に対する 厚意。謝意・好意などの気持ちを表す。
「志す」という動詞、士は、進み行く足の歩みの形の変形で、心が前進していく、目的に向かって進んでいく様を表している。

それで学び、何かの仕事をして、生きていく。志があるから、いつも学び幾つになっても道をたがわず進んでいける。

そういうものを学ぶのが中学高校であり、経営だから就職あっせんも仕事の一つだが、大学という機関のはずだ。

学校、学び、勉強、教育、親、大人たちに、「志」がなくなってしまったところに、いまの社会環境が生成されているといえる。
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by greenwich-village | 2015-09-08 12:50 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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