嘘と言い訳と責任の回避の仕方


いつも、どこの政党であれ、叩かれ、擁護されず、批判されるものが「体制・与党」というものだ。もし与党が圧倒的に歓迎され、擁護され、批判されなければ、それは「独裁」というものになる。
「公人には公の場では私語が認められない」のと同じように、与党は与党である限り、世論の批判意見にさらされるのは、民主主義のバランス感覚として当然の「抑止力」だ。
それをもってして一方的とは言わない。なぜなら、一方的な権力を持っているのは当の体制与党側なのだから。

落語の小噺のようだが、


「あなた方は反対していたのですね、じゃあしかたない、反対者じゃろくに働きもしないでしょう、さて、そちらのあなた方は賛成してくださったのですね、ありがとう、賛成してくれたのですからきっとよく働いてくれるでしょう、賛成派のみなさん、賛成してくださったのですから、どうぞ、現地へ行って与党の意向通り働いてください」
ということで、役に立たない反対派は日本に残され、賛成した賛同派はこぞって現地へ行かされ、自ら賛同した後方支援に勤しんだ。

ということが、賛成派にも反対派にも最も公平な展開だと思われる。

ここで反対派を赴かせるのはフェアではなく、民主主義に反する犯罪行為で独裁以外のなにものでもない。

これからの日本と同じように、アフガンで後方支援をした若きドイツ兵たちは、55人が死亡し、多くの兵士たちが帰還後に心的外傷を負って暮らしている。

実際の戦時下、「二次世界大戦」を経験している人たちで今回に「賛成」している人は非常に少ないだろう。切れば血が出る人間であれば至極当たり前の話だ。

今回の問題を、<「国防と戦争の可能性」に関する是非>として捉えると間違えてしまいやすい。いつまでも「賛成派VS反対派」の不毛な論争になる。

なぜなら、それは「論のための論」であり「言葉のための言葉」であり「表現のための表現」でしかなく、「頭を小突かれ横っ面を叩かれた痛み」を経験していない見解に終始するからだ。

「民主主義的自由」が行き着く先は、「全体主義的拘束」にたどり着く。

あくまでも、<現内閣の米国からの要請に対する政治判断の是非であり、違憲解釈による脱法行為の是非>として捉えたほうが、すっきりとわかるはずだ。

法律は衆議院で可決した。参議院がその良識の府の機能を発揮する可能性は、後方支援が戦闘に巻き込まれない可能性よりも低い。

<現内閣の米国からの要請に対する政治判断の是非であり、違憲解釈による脱法行為の是非>の賛否を整えよう。

是非はもういい。
われわれ市民の間で、まったく不毛な溝と感情的遺恨が深まるだけになる。

これからは、あなたの大切な子供たちにも、大人たちの「嘘と言い訳と責任の回避の仕方」を教育しよう。
[PR]
by greenwich-village | 2015-07-21 03:01 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ