誰もが一度、石で打たれるべきだ


断じて経験主義者ではないが、経験は大切なもので、では何が大切かと言えば、その経験を活かせるかどうか、どう活かせるか、ということに尽きる。

かつて20代前半の旅の際、テキサスの名前も忘れた荒野の町のドライブインに入ろうとしたとき、ドアを開けたとたん、中にいた客が全員こちらを振り向いた。地元の白人たちだ。私を見るやいなやのその目つき態度は何やら殺気立った気配だった。明らかに歓迎されていないので、喉が乾いていて何か飲み物が欲しかったが、入るのを辞めにした。こうしていまだに記憶に残っているほど鮮烈な経験だった。

「これが、人種差別というものか!」
経験に新しい引き出しができたので、そこに大切にしまってある。ネガティヴな経験だがネガティヴな記憶ではなく、むしろポジティヴな思考のための体験テキストとして重宝している。


誰もが一度、差別され排斥され虐げられ排除され非難され、打たれるべきだ、とは言わないが、そういう経験に遭遇することで、肉体感覚として差別・被差別を理解できるようになる。
差別・虐げられたものの記憶には、その経験は多かれ少なかれ鮮烈に残るものだ。そこに立っての発言行動になる。否定も肯定も善も悪も正義も不正もなく、拭い去りようもない経験があり、その経験を活かすか殺すかということになる。国だとか民族だとか思想だとかの抽象的な刷り込みや概念ではなく、個々人の肉体感覚なのだ。

良い経験が必ずしも良い思考を導くとは言えない。良くない経験も良い思考を育むテキストになる。いづれにしても、それをどう活かせるか活かせないか、がせっかくの経験の有効性といえる。経験を活かしたほうが賢いのは当然で、人類の叡智はそうやって蓄積してきている。

熱いものを触れば火傷すると経験しているのに、同じ轍を踏むのは愚かとしか言いようがない。
愚かなままでいいのか、愚かなものは賢いものにしていかなければと思うのだが、どうだろうか?



♪~誰もが一度、石で打たれるべきだ    ボブ・ディラン 雨の日の女



ジョン・レノンのカヴァー




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by greenwich-village | 2015-04-30 08:55 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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