色メガネを外したらエーゲ海は眩しいのだ。

全く読めないし書けないし話すこともできないし、文化や状況の背景もアーティストのキャラクターや立ち位置も知らないけれど、ただ耳から聞こえる“音楽”でなら、何か感じて分かることもある。そういう時、本当の意味で、音楽は国境を越えて世界共通言語だとか言えるだろう。

音楽はただ音楽なだけ、ほかに何も付随しない音楽だからこそ耳を楽しませる。心で聞くのではない。音は耳で聞くのだ。心に耳はない。耳で聞いたものを、経験値としての心が捕捉し拡大し付随して、理解する。付随するものが増えていくと、付随するものばかりが聞こえて、音楽が聞こえなくなってしまう。

たとえば、ゴッホだとかピカソだとかの絵を見て、その有名な作品数点のイメージだけを持って、彼らの名前と作品の取引金額を見て、それらの作品を見ていないようなものだ。「これがピカソの絵で何千万何億もする絵なんだな」と見る。またたとえば、器の作者・名前・値段ばかりを覗き込んで、器そのものを見ていない。見ていないのだから「良いな、気に入ったな」と感じることもない。

目を開いて見れば、ゴッホはもちろん、青の時代のピカソもべつにそれほど上手ではない。ゴッホは不遇の代表格だし、ピカソは大衆のスノビズムをとらえることに長けていた。キュビズムは画商・学芸員がどう理屈をつけても権威的閉鎖画壇への衝撃と反比例して、小学生と変わりない。
上手なのはダ・ヴィンチやフェルメールやダリで、技術を越えた美の巧みさは別格のまさに天才だ。

付随するものを平たい言葉で言えば、「色メガネ」というものになる。色メガネをかけたままだと、心ばかりになって、耳で聞こえなくなり目で見えなくなる。そんなこと当たり前で充分わかっているようで、気づかないほどすっかり色メガネが身についてしまっている。ということを、心の師匠である青山二郎の著書「眼の哲学/利休ノート」は伝える。

耳で聞いて目で見れば、価値は鮮明で、耳で聞いて目で見たときはじめて、100人に100通りの答えが導き出される。
1+1が3にでも5にでも10にでもなる、というたとえが慣用句のように使われるが、1+1は2でしかない。数学や物理の定理を詩的・心的に用いるのは、気が利いているようでも、そう語る者のひとりよがりでしかない。2でしかないものを文学的・芸術的に4とか8とかいうと心ではその気になるが、2でしかないのだから結果的に身も心も疲弊する。疲弊しては本来それぞれの個性・持ち味、魅力も活力も心的感動も薄れ、信奉の度合いが強いほど放棄か狂人の両極に陥ってしまうことになる。1+1は2で、仮に4の成果が出るときは倍の疲労を要するということだ。100人に各々の答えがあれば、社会的にも個人的にも疲労・疲弊はない。

1+1=2の不都合ない身の丈に合った答えに「色メガネ」はない。自信とか自負とかではなくて、ただ色メガネを外せばいいだけのこと。まず目で見て耳で聞いて、心の付随こそ断捨離すれば、スリムに軽快快活になる。音を楽しむからこそ、「音楽」。


つまり、ギリシャ語は全く読めないし書けないし話すこともできないが、エーゲ海は味わい深いところということ。

ハリス・アレクシーウ



Χάρις Αλεξίου - Μάγισσα


Μπορείτε να κατεβάσετε από τα iTunes You can download via iTunes https://itunes.apple.com/gr/album/di-efchon/id157147884 Official Website : http://www.alexio...


f0148098_2502646.jpg




[PR]
by greenwich-village | 2015-03-15 02:51 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ