時計仕掛けのオレンジ

カミングアウトとか武勇伝ではないが、中学のころ友人たちと、チンピラたちと喧嘩して警察に捕まったことがある。
高校のころ、かつての友達をリーダーにした集団に取り囲まれリンチを受けたことがある。
その後、大人になってのち、チンピラは組合員になり、リーダーは犯罪を犯し収監された。

日本の現法律で少年と定められている子供の凶悪犯罪が恒常化している。おおよそ80年代後半あたりから現在まで、最悪の殺人まで及ぶものは、もはや“猟奇”とは言えない頻度だ。直接手を下さなくとも、ラインだとかネットだとかのいじめで自殺するケースも、いじめている子供たちは殺人ほう助と言えるかもしれない。いじめられた子供が自殺して、いじめた子供たちはそれが自分たちがいじめた結果だということを、見ないふり忘れたつもりになって、何食わぬ顔でオシャレさんになってもサラリーマンになってもOLになっても奥様になっても社長になっても、誰が知らなくても自分自身は知っていて、一生背負っていく。


社会的・国際的な、戦争やテロや人質殺人はその背景が公的な関係も含まれるので見解は異なるが、少年による凶悪犯罪や日常犯罪の殺人の場合、いつも思うことがある。
「もし、自分の心から愛する家族が犠牲になったら、どうだろう?」

自分の家族がそういう殺人に巻き込まれたら、もし機会があれば、私は躊躇なく愛する者の仇を撃つ、と思う。

そもそも現少年法は、現代の生活ではなく、かつての貧しい時代を基本にしている。
「やむにやまれぬ生活からの犯罪」が、少年を保護擁護する少年法の立脚点だ。
時代は変わる。今はなに不自由ない時代だ。

そもそも、少年が20歳までというものも法律でしかなく、国によっては18歳もある。親の同意があれば16歳で結婚もできる。
少年とは、そういう類の法律の範疇の規定でしかない。
十分に成長し、判断でき、殺そうと思えば人殺しもできる体力・能力もある。3歳児には明らかな殺人なり集団的いじめなりはない。
「少年」とはあくまで法律の規定であって、現実の生身の人間の体力と知能・感性を指しているのではない。

昨今で言えば川崎殺人だが、多くの凶悪少年犯罪は、強制や去勢はできても、更生するのは限りなく難しい。表面は更生したように見えるだろうが、16年18年養ってきたものが更生されるには16年18年必要だろう。
原発放射能が消えるのは何十年?タバコをやめても数年では肺は綺麗にならない。

あいまいでぬるい少年の規定ではなくて、ひとりの人間として扱ったほうがいいと考える。
厳罰化ではない。成人化ということだ。大人の犯罪者も更生させられているわけだから。
保護・少年更生する意見は誠に正論かもしれないが、内容によるだろう。

教育とか社会論とかで人殺しの犯罪を少年法的に擁護する側の人は、自分の身の上に火の粉が降りかかったときも、きっとそう言い切るのだろうと思うが、自分の子供が八つ裂きにされて、自分の妻が惨殺されて、それでもなお「少年には更生の余地がある、少年を養った社会が云々」ということは、私には「いいね!」できない。

16歳で法律的に結婚可能なのだから、少年は16歳以下ということにしたほうが整合性はある。
何度も言うが、厳罰化ではない。少年法の成人化が必要なのだ。

時代の少年少女は、時代の大人たちが思っているほど少年少女ではない。自分たちがそうであったように。


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by greenwich-village | 2015-03-04 11:53 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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