「表現の自由」なんて言うけれど・・・・・

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つまり、人の世の中、人の社会、人の世界は、こういうトリックのこと。



「表現の自由」なんて言われているけれど、あれはそれを生業にしている人たちにとってのことで、そうではない多くの人たちにとってはさほど問題ではない。
表現の自由・言論の自由は確保されている。つまり、別に公にする必要はないということ。何かを作っても何かを発言しても、ただ内内にしておけばいいこと。いちいち誰かに世界に多くの人の目に触れさせる必要もなく、宣言する必要もなく、自分の中で強く思っていられれば、それこそが自由。

生業にする人したい人は、生業だからいちいち公にしなければお金にならないし飯が食えない。そういうところでの表現・言論の自由騒ぎ。
表現・言論の自由、とは、生業社会で方や商売、方や娯楽ということ。...
肝心なこと、おかしいなと思うことは、わざわざいう必要もなく「信念」として黙って持っていればいい。

テロや弾圧を受けたら素直に「はい、そうです」と従って生きても、血と腹の中で譲らない強さがあれば、かならず自由は確保される。
自由であれば、世界も社会も個人も、やがて自ずと変わっていく。

表現の自由、なんて言って、アートだとかニュースだとか宗教だとかネットだとか、ただただ「これぞ正論」なんて思わせる。人間自体が正論でもなんでもなくて間違ってばかりの不自由な生き物なのに、生業仕事ということを省いて「表現の自由」至上主義に陥る。
アートなんて、ある意味ふつう生活での悪戯テロかドッキリカメラ。
人の迷惑顧みず標識にステッカーベタベタ張ってアートだし、裸で歩いてもアートだし、生活ゴミを展示してもアートだし、性器をコピーしてもアートだし、もうなんだって「自己申告型アート」。昨今の自己申告型アイドルと同じ。
そのわりには表現の自由じゃなく、自由な表現もなくて、ボードリヤールが提唱したコピーのコピーのコピーでしかない。
情報を共有している間に、原型が消滅して、オリジナルのつもりのコピーアート。カードゲームのジョーカーのように都合のいい表現がアート。でもまったく自由じゃない。

どれだけ情報化社会でも、本当に肝心なことなんて共有していない。出しもしないし入ってくるわけもない。
情報は、実際、根幹的ではないどうでもいいことが共有されるし、国家や生活にかかわる事項などはないし、最も大切な部分のプライベートを露出する必要もない。
つまり、めまぐるしい情報がなくとも生きていける。いちいち不特定多数に報告しなくても問題ない。

ちなみに、私がこういう文章を載せていたり、おかしな歌を載せたり、おかしな絵を載せたりしているのは、やっぱり生業で、自己満足な娯楽だったり、あわよくばこれで仕事にでもなればというスケベ根性から。
「表現の自由」で生業にしたいから。

犯罪者やテロリストがいちいち動画アップしているのも、つまりは自己満足の娯楽、武器兵器を売り買いしている者たちの生業。

「表現の自由」も「情報」も「アート」も、根幹に至らない表層の生業。

お金で武器を売り買いするけれど、実は戦争やテロは、各々がお金さえあれば起こらない。
お金があって、自分たちだけで完結できれば起きないが、お金がないから他所のせいにして他所に圧力をかけて他所から奪う。

暴力は連鎖する。
表現の自由という暴力、アートという暴力、情報という暴力、は連鎖する。
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by greenwich-village | 2015-01-15 12:36 | グリニッチ・ヴィレッジ

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