公衆トイレTV / ジョー・パス ジミー・ロウルズ 

ネイティブバーチャリアンの現代の新しいことわざ

■「死んだ馬にまたがっていることに気づいたら、最新の謀略は「この馬は死んでいない、寝ているだけだ」と言い張り続けて、誰かの生きたロバと交換することだ。」 【詠み人知らず】



あり得ないことだけれど、TVがなくなったとしたら、つまりTVを見る人がラジオ短波放送を聴く人くらい激減したら、視聴者以上にTVというシステムに100%依存している制作・スタッフ・関係者・事務所はもちろん、何もない実に多くの9割方のTVタレント・自称お笑い芸人・歌手・俳優女優などの人たちは失業・転職するしかないだろう。
そういうTVやタレントが変わらず現状のまま維持できるのは、視聴者の感性がそれで満足できるからで、覗き見趣味・露出狂でしかないTVは「“無芸こそ身を助く”システム」になっているようだ。
タレント・芸人というアイコンは別に誰でもよくて、関係者一同がシステムを回していれば、あとはそれ以下の視聴者が喜んで見てくれるのでスポンサーからお金が取れる。その仕組みをただ見せられている。
NHKと衛星放送を除けば、TVは公衆トイレのように無料なのだから、汚れや落書き・不管理など不衛生で汚いままでもかまわないものみたいだ。
要約すると、我々視聴者は「不衛生な汚い公衆トイレ」をお茶の間食卓で見ている。

...すべてのジャンルで、人前で何かを表現する人たちを、私は敬意をもって「芸人」と呼んでいる。
TVでの芸人の人たちは、人前で何かを表現することを愛していない人たちが多く感じられる。
芸を愛している芸人の死に場所は板の上、舞台であり生であり寄席でありライヴで、見ず知らずの客前で顔がある場所であり、呼吸や反応が瞬時に伝わる場所であり、そこで何ができるのかということに尽きる。

当世時代の感覚は、いたるところで我々素人参加型の模擬店や学園祭や宴会や持ち寄りパーティーだけれど、我々素人は趣味範囲なので何の文句も生まれない。
まかりなりにも生業としているのなら、その程度のプロならそれらは汚れたままの公衆トイレの垂れ流しに変わりない。
仕事もプライベートも、我々の「生活そのものが娯楽」なのだが、他者に娯楽を提供するエンターテイメント生業のプロと享受者の関係が、一般に言われる“文化度”というものに他ならない。




老練。
古典落語の名人の語りを聴いているような気分。

ジョー・パス ジミー・ロウルズ



Joe Pass & Jimmy Rowles - 'Tis AutumnCheckmate (1981) - Track 5 Joe teams up with pianist Jimmy Rowles for a set of gentle standards... Rowles sets the mood, so this features a more subtle Joe. ...youtube.com

f0148098_1142552.jpg

[PR]
by greenwich-village | 2014-09-29 11:44 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ