「最後は金目鯛でしょ」

国に関するすべては私たち「国民の責任」、ただそれだけだ。

関心があろうがなかろうが、投票しようが棄権しようが、専門家であろうが素人であろうが、私たち国民の代理人たちを選んでいるのは、他ならぬ「私たち国民」だ。
私たちの代理人を政治家と言い、その集団を党という。江戸時代以前ではないので、私たち民主主義はそれを選べるのだから、そういう人たちを選出しているのは私たち自身で、彼らが政治的に行うことは、「私たちの国民の責任」だ。
責めるべきは彼らではなく、愚かな者たちを代理人として選出し任せた私たち各々自身にある。

国会議員・県会議員・市議会議員、彼ら我々の代理人たちの多くは、「生徒会長」「学級委員長」レベルでしかない。
思い出せばお分かりだろう、生徒会長・学級委員長を選ぶときに、子供たちの私たちは一度たりとも本気で選出したことはなかったことを。
なりたい奴が内申書目当てで手を挙げている程度で、やりたければやればぁ、程度に成立している。それが、そのまま大人になったレベルだ。

彼らには才能はない。金目の取引先である有権者基盤があるだけだ。
「最後は金目でしょ」と言った頭の悪い性格も悪い息子は言い得て妙、「最後は金目」というのは有権者、基盤支持母体は勿論、つまりわれわれ国民全体のことであって、当時に彼ら政治家たち自身のことでもある。
彼らはいつまでたっても稚拙な生徒会レベルで、それが大人になって下らない政治力学だとか永田町理論だとか強欲だとかを身に付けただけで、政治家・政党が悪いのではなくて、その程度を選出しているわれわれ有権者たち自身が責められるべきだ。

こういうことに関しては自分で自分を責めるのは難しいから、民主主義・多数決で自分たちで選出した者たちを責める。それが一番楽だ。
まさに彼らの手口のように、国民も「責任の所在」をすり替えて運動なり抗議なりに精を出せる。

我々年寄りは、子供たちを守るべきだが、現行騒いでいる事柄は、子供たちを守らない年寄りのための年寄りの老い先短い未来のための国作りだ。
放ったらかしの原発放射能・健康問題然り、「集団的自決権」(そういうことだ!)然り、その是非は、育ち盛りもない健康被害もどうでもいい爺婆・戦場に行くこともない爺婆のために論議されている。
つまり、大人たちが子供たちと未来を食い尽くしている。親が、爺婆が、子供や孫の命を喰らって老い先短くも「最後は金目でしょ」と生活している。

哀れな都議たちは無脳症のようにオートマチックな野次でスベりまくるが、少子高齢化どころではない事態で、生産性・経済性はどうしたところで右下がりの現実に、「我が身だけが生き抜ければ、我が子・我が孫がどうなろうとカマワナイ」といった具合に事柄が運ばれる。

所詮、われわれ人間は「お・も・て・な・し」など「お・も・て・だ・け」で、そういう生き物だから、代表者の彼らも選出する我々も、同罪者同舟だ。
その舟で、金目鯛釣りをしている。

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魚じゃないとやってられないよ~


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by greenwich-village | 2014-06-29 10:44 | グリニッチ・ヴィレッジ

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