藤原敏史さんからの転載

―藤原敏史さんからの転載


福一事故について報道やルポ、映画まで無数に作られながら、そもそもなぜあそこに原発が出来たのかについてすら、双葉郡の人以外にはほとんど知られていないようなので改めて。

福一の敷地は元は陸軍の練習機の飛行場が、戦後に国土開発つまり西武グループに払い下げられ、建設は正力さんと堤さんで決まった話(つまり地元は反対しようがない)である。

当時、幹線道路網鉄道網から外れていて、現金収入のために農閑期には出稼ぎが普通だった浜通りに、「日本の発展のためには東京の電気が」とゴリ押しされ、かつ大規模雇用をちらつかされたのが、そもそもの始まりだ。

さてそんな立場に置かれた地元が、果たしてそう簡単に反対出来たと思いますか?「反対しなかったのだから自業自得だ」などと決めつける前に、考えるべきことのはずだ。

「万が一でも事故が」と言うことすら憚られるのが現実だったろう。それこそ「日本の技術を信用しないのか」と言われかねない(というか、一部では現にそうやって黙らされ、ゴリ押しされたのだ)。

なのに「原発マネーに目がくらんで」的な中傷が未だに(それも大量電力消費地の都会を中心に)まかり通っているのは、知りもしないでそうやって威張るのは、あまりに人として恥ずかしいと言わねばなるまい。

都市部では原発には交付金がついて地元に恩恵が、と単純に思っているが、そうしたお金は自治体に下りるもので、住民の「恩恵」といえばまず雇用があること、つまり建設当時で言えば「これでやっと出稼ぎに行かなくていい、家から通えるし、子どもを大学にやるだけの収入も得られる」が、ほとんどの住民にとっての「恩恵」だった。

なお1960年代前半当時で、双葉郡での国道6号線などの土木工事の日当に比べ、東京で首都高速の建設に出稼ぎにいけば、日当は10倍だったという。そして福一の建設現場の日当は、その東京の8〜9割程度。

確かにこの意味では「恩恵」はあったのかも知れない。とはいえぶっちゃけ「人並みの生活が安心して出来る」程度のことに過ぎず、震災と事故直前でも双葉郡辺りの収入水準は、おおざっぱに言えば月給20万レベルの、およそ贅沢なものではない。

まあ業者として物凄く儲けた人もいたことにはいたが、それですらちゃんと仕事で得た収入であることは忘れてはなるまい。およそ「原発マネーで」と中傷される謂れはない。

交付金関連は確かに自治体の財政にとっては大きな恩恵だろうし、公共サービスやインフラ整備の助けにもなるが、原発がなくたって6号線クラスの国道は作るのが当たり前であって「原発の恩恵を受けたんだ反省しろ」などと、道路整備が行き届いた東京の人間に言われる筋合いはない。

そして自治体だって、そんな原発由来の財源があっても、たとえば双葉町は財政破綻しかけていた。

だからと言って、そうした地元自治会は選挙からして「原発マネー」で電力会社の言いなり、反対したら村八分になるに違いない、等というのも都市伝説デマと言い切っていいだろう。東電の放射線漏れ隠しもあって浜通りの人たちの反発は根強く、双葉町は7、8号炉建設にはかなり長く反対もしていた。

東京のジャーナリズムがなんの関心も持たず、我々が知らなかっただけだ。いや無意識かつ無自覚にせよ、知りたくもなかったのではないか?

そして結局は押し切られたのが、事故発生当時の町長の井戸川さんなのだが、その井戸川さんが「推進派」だのマネー云々、それが事故後反省して反対派、とか言うのもまた、都会人の勝手な誤解でしかない。

井戸川さんはどちらかと言えば、東京の圧力に坑しきれなかっただけであり、財政赤字の重荷もあり(双葉町は一時、第二の夕張とまで揶揄されていた)、しかも2004年に国が原子炉の耐用年数を勝手に延長した後では、老朽化した原子炉と新しい原子炉どっちがいいか、を国と東電に迫られれば…新しい原子炉の方がまだ安全に決まっているではないか。

それを「井戸川さんは推進派だった」と言い張ること自体、実はなにも分かっていないことになる。

だが井戸川さんも双葉町の人たちも、こういう真相は滅多に東京から来た取材者などには言わない。どうせ話が通じないという諦めもあるだろうし、「分かってない」と気づかせて我々の機嫌を損ねることが、自分たちに不利にしかならないのでは、と恐れるからでもある。

どうせ聞いてもらえないなら、まだ「鼻血が脱毛が」と話を合わせた方が聞いてもらえると思ったとしても、なんの不思議もない(だがたとえば家族が鬱病に、等というのは滅多に他人に言えることではない)。

東京に住んでいると気づかないことだが、日本は本当に東京など一部の大都市だけで日常のほとんどが廻っている国だ。東京でちょっと雪が降ればテレビのトップニュースになるが、それは全国ネットなのだ。それこそ東北や北陸の豪雪地帯でその全国ニュースを見れば、そうとうに不条理で滑稽な話にしか見えないだろう。そんなことにすら、我々は鈍感過ぎて来たのだ。

だがそんな大都会に無自覚に胡座をかいてふんぞり返って来た我々がいかに不機嫌になろうが、事実ははっきりさせるべきでがないか----福島第一原子力発電所の事故とという浜通りと飯舘村に起きた悲劇の元になったすべては、自然現象である津波以外は、なにもかも東京が電力不足にならないためだったのだ。

なお国がいきなり原子炉の耐用年数延長を勝手に決めた(東京の電気のために福一は止められないから)のは2004年小泉内閣だ。その小泉が前回都知事選で動いた時、彼は自分の政権時の判断を間違っていたとはっきり認めていたが、なぜかそのことは大きく報道されなかった。

報道されなかった理由を「原発推進派である安倍政権の圧力」と断ずるのも、残念ながら無責任な短絡でしかない。

そもそもその2004年当時、原子炉耐用年数の延長決定は、五大紙すべて一面トップになり、TV朝日だとかはかなり詳細に問題を(津波想定の誤りの可能性も含め)報道した。

ところが世論の反応があまりに鈍く、報道は続けられなかった。我々自身が、無関心だった(あるいは考えたくなかった)のだ。

それからわずか8年後に原発事故が起きたとき、その事実すら忘れて大手マスコミを原発推進派呼ばわりし、「今まで原発について真実を報道して来なかった」という人たちは、自分達が8年前に大きく報道されていたことを見過ごしていたに過ぎないのだ。

だがその東京の人たちの機嫌を損ねプライドを傷つけることを恐れるなら、2004年に小泉政権が原発の耐用年数延長を決めた事実自体を隠そうとするのが、普通に賢い選択になる。

僕だってSNSだから言えるわけで、公言するには相当に勇気がいることになる。

無論べつに大手メディアを擁護したいわけでもない。新聞もテレビも、原発事故報道も震災報道もたいがいは酷い内容だったし、政府も恐るべき無責任と不正直さに終始した。誰もがまずなによりも、自分が無能であり無責任であることについて、恐ろしく不正直だったと言わざるを得ない。

だがそうなってしまった理由も、決して多くのフリーのジャーナリストの人たちなどがいいわけのように言い張っていることではない。政府もジャーナリズム(大手だけでなくフリーランスも含め)も、状況を把握も理解も出来ないままパニックになって自分のプライドに固執しながら、懸命に東京の世論に奉仕しようとしただけだった、というのが実態に近い。

だから本当は、僕などの立場にある者が、もっと勇気を持って言わなければならないのだろう。福島県で原発事故に直面している人たちは、そんなリスクを負っている余裕もないのだから。

実際に2011年3月に、福島県浜通りで起こっていたのはどういうことだったのか?東京の世論の顔色ばかりをうかがう政府の拙速な避難命令や杜撰な対応、情報の出し方の自己保身にかまけた稚拙さに、マスコミ報道の拙劣さの相乗効果で風評被害まで巻き起こり、無理な避難でなかなか動きが取れないのに(当然ながら双葉郡内の幹線道路はあっというまに大渋滞になった)、情報収集のため見ていたツイッターで都会のネットユーザーに罵倒された人まで無数にいる。

そんな無責任なパニックに振り回された結果、高齢者を中心に相当数死者まで出てしまい、津波被災地では救援が充分に可能だった人たちが見殺しにされたのだ。

なのに東京で“活躍”しているジャーナリスト達は気にもしない。なかには有名人でございとふんぞり返って福島県内で威張り散らして講演などやる人までいながら、きちんと真相を聞きに廻る人、それを伝える人はほとんどいない。

そして三年も経った今になって、どこぞの漫画が「鼻血が」とか書きでもした時だけ、やっと「どう思いますか」とか東京から記者がやって来るのである。こんなふざけた話があろだろうか?そんなことどうだっていい、もっときちんと報道すべきことは幾らでもあるのに、無視され続けている。

そんな目に遭わされ続けている双葉郡の人たちが「何重にも被害者」でなくて、誰が被害者なのだろうか?津波という天災の被災者?東電の被害者?もはやそれだけでは決してない。

しかもその人たちはめったに、自分達を「被害者だ」と言いはったりはしない。多くの人はただ黙って、じっと耐えている。そこで「声をあげるべきだ」というのも、安易過ぎる都会の身勝手になってしまうだろう。

言ったところで誰が耳を貸すのか?あなたはきちんと耳を貸すのですか?いや逆に「鼻血だって不安な人がいるのだし」とか自己弁護に終始したりはしませんか?

我々の「世論」がこういう態度をとり続けて来たのは、なにも震災と原発事故に始まったことではない。あそこに原子力発電所が出来てから、ずっとそうだったのだ。

そうでなくても自分を「被害者だ」と強弁することは、本来なら日本人の礼節や倫理観に必ずしも沿った話ではない。そんな「はしたない」真似は出来ればしたくないだろう。田舎の人たちだと愚弄するものではない。謙虚な、慎ましい土地柄だが、だからこそ性根の部分ではとても誇り高くもある。

僕の場合は作っているのはあくまで純粋に映画作品であり、社会告発のための映画作り等ではまったくない。ドキュメンタリーの場合でも、どんなに悲惨さや不公平さが背景にはあっても、撮るのはまず人間とその生活の美しさと貴重さ、その存在の複雑さだ。慎ましいが、だからこそ美しい人たちの姿をきちんと撮る、それを表現するのがまず僕の仕事であって、こういう告発は本当はよりルポルタージュの映画を作る人や、ジャーナリストの皆さんが、もっと丁寧にやるべきことだろうと思う。だがここまで現状がそうしたことを無視しているとなると、やはり言わねばなるまいと思い、あえて書かせて頂きました。
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by greenwich-village | 2014-06-10 08:57 | グリニッチ・ヴィレッジ

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