袴田巌/国家的な密室殺人

かつてアメリカではボクサーのハリケーン・カーターが冤罪になった。映画化もされた。ボブ・ディランは「ハリケーン」という支援曲を作り、弾劾した。


塀の中に閉じ込められた「秘密」の闇

文 保坂展人         2013年11月19日  朝日新聞
 


衆議院で特定秘密保護法案の審議が大詰めを迎えている中、現在の社会の中でどのような情報が隠され、また取捨選択されているのかを考えさせるニュースがあります。

 獄中で無実・冤罪(えんざい)を訴える元プロボクサー袴田巌さんの新証拠が明らかになりました。1966年6月に静岡県のみそ工場の専務宅に侵入し家族4人を殺害した後で放火した事件の容疑者として逮捕され、静岡地裁で死刑判決を...受け、高裁をへて、最高裁で死刑が確定しています。現在、第2次再審請求のやりとりの中で検察側が開示した当時の捜査記録の中には次のような記載がありました。

<同僚が事件当時、「(現場近くの)寮から消火活動に向かったところ、袴田(死刑囚)が後ろからついてきた」と証言していたことがわかった。確定判決は、事件直後に袴田死刑囚を見た者はいないとしていた。静岡地検が今年7月に開示した証拠130点の中に含まれていた>

 この同僚の証言は、「出火当時は寮で寝ていて、火事を知って消化活動に向かった」という事件当初の袴田さんの供述と一致します。これまでの確定判決では、「当日夜から鎮火まで袴田さんの姿を見た者はいない」としてきました。

 袴田さんは、逮捕されてから47年間、多くの時間を極限の緊張を強いられる確定死刑囚として東京拘置所で過ごしてきました。私は、1990年代後半に国会議員として法務委員会に所属していたことから、袴田さんの存在を知りました。そして、東京拘置所にいるはずの袴田さんを姉の秀子さんが訪ねても、面会できない状態が3年半も続いていることを知りました。法務省に袴田さんの状況を尋ねると、刑務官が面会者の来訪を告げても、「袴田巌はいない」と言って面会室に出ていかないことが続いていたといいます。

 当時、何度も法務省矯正局とやりとりをしました。「精神状態が悪いということも聞いている。一度、どうにかして袴田さんと会わせてもらえないか」と要望し、異例のことですが、2003年3月10日に東京拘置所で面会が実現しました。その日は袴田巌さんの67歳の誕生日でした。

 姉の秀子さんと弁護士と一緒に面会室で待っていると、ふっと扉が開いて、袴田さんらしき人が入ってきました。がっしりした体格で、元プロボクサーの面影がありました。ただ、眼光は時に鋭く、警戒も解いていないようです。私はこう話しかけました。

 保坂「元気ですか」
 袴田「元気ですよ」
 保坂「今日はあなたの誕生日ですが、分かります? 67歳ですね」
 袴田「そんなことを言われても困るんだよ。もういないんだから、ムゲンサイサイネンゲツ(無限歳歳年月?)歳はない。地球がないときに生まれてきた。地球を作った人……(意味不明)」
 保坂「ご両親についてお話したい」 
 袴田「困るんだなー。全てに勝利したんだから。」
 「無罪で勝利した。袴田巌の名において……」
 「神の国の儀式があって、袴田巌は勝った。日本国家に対して5億円の損害賠償を取って……」
 保坂「5億円はどうしたんですか」 
 袴田「神の国で使っている」
 保坂「袴田巌さんはどこに行ったのですか?」
 袴田「袴田巌は、智恵の一つ。私が中心になった。昨年儀式があった」

 (詳細な記録はこちらへ)

 私は袴田さんの「妄想」の世界に向き合っていました。深い孤独と絶望によって、袴田さんは、「袴田巌死刑囚は全能の神に統合され地上から姿を消した。従って、もう死刑執行の心配はない。袴田巌はそうして日本国家に勝ち、5億円の損害賠償請求をしている」という物語の中にいました。そう考えてみるというのではなく、そのように思い込んで面会にも出てこないのだと感じました。強い拘禁症状のあらわれで、すぐにでも治療が必要な状態でした。

 10年間、袴田さんへの治療は行なわれませんでした。2007年2月には、死刑判決を出した静岡地裁の裁判官だった熊本典道元裁判官が、「捜査手法に疑問を持ち、無罪の心証を持ちながら先輩裁判官の合議で死刑判決へ押し切られてしまい申し訳ない」と異例の告白をする出来事もありました。ボクシング界にも支援の声が広がり、世界中に「袴田巌死刑囚」の名は知られるようになりました。

 私が袴田さんと面会した10年前、受刑者が塀の向こう側でどういう状態になっているのかが国会で問題となりました。刑務所内では、受刑者の「変死」が多く、医療的なケアが十分でないと聞き、私は何度か法務委員会で指摘したこともありました。

 当初、法務省は「各行刑施設で誰がいつ亡くなったかという一括した記録はなく、受刑者の記録を綴(と)じ込んである身分帳を刑務所の倉庫に行って、端から端までハタキとホコリを払いながら調べなければならない。数カ月はかかる作業で、すぐには困難です」と答えていました。

 ところが、大正時代の刑務所には、受刑中に死亡した受刑者の記録を「死亡帳」として綴じ込んだ記録があると記述されているのを見つけ、担当者に聞いてみると「現在も使用しています」との返答が返ってきたのです。

 衆議院法務委員会理事会でこの事実があらわになると、自民党の筆頭理事が激怒して、「あれは嘘(うそ)だったのか。全部記録を出してこい」と命令しました。国政調査権の事実上の発動で、私の事務所には刑務所内の受刑者の死亡にいたる一切の記録が段ボール10箱近く運ばれてきました。

 受刑者の死亡情報とは、故人の尊厳にも関わるセンシティブな情報だけに、個人名などは黒くマスキングされていました。

 それでも、その分厚いデータを精査すると、多くの受刑者が病院に移送されると24時間以内に死亡していることや、精神障害を抱える受刑者に対して治療的なアプローチができずに「懲罰房」の常連となっていることなどが分かってきました。

 この時、衆議院法務委員会では「刑務所・行刑施設問題」を集中討議し、明治時代の監獄法の運用を根底から改める論点を示しました。その結果、監獄法は廃止されて新しい法律(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律)ができました。

 明治以来続いてきた監獄法の密室の世界を国会が検証し、改善を求めたひとつの事例です。行政の判断だけで、すべてを隠してしまい、国会議員から尋ねられても平然と事実を語らず表層のみを伝える手法を続けていたのでは、百年経過しても何の変化も進歩もないことになります。

 「何が秘密なのか。それが秘密なのだ」とする官僚の判断のもとに、開示を求めても法的根拠をもって拒否できるという社会は、秘密保護という名の誤謬(ごびゅう)保護社会にならないでしょうか。特定秘密保護法の制定過程自体も「秘密」とされる今、自分がどのような「秘密事項」に抵触するとして刑事罰を受けるのか、捜査はもとより公判過程でも見ることができないという懸念もあります。憲法に連綿と記されている「被告人の防御権」の例外はありえないはずです。

 袴田巌さんの無実につながる新事実が、捜査機関の恣意的判断で半世紀あまり伏せられる社会に私たちは生きています。そのことを踏まえた国会での徹底した検証と議論が必要です。
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by greenwich-village | 2013-11-21 12:17 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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