ロックとパソコン、革新と過去

かつて、時の若者たちに求められたロック/ポップミュージックとは何だったのかといえば、革新であり希望であり新鮮さでありアンチであり脱・既成概念であり、自由な発想だったわけです。
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ロック/ポップミュージックの持ち味は、音楽的に何にも縛られていないというところ。可能性を体感できるところ。
何がしかの革新性のあるフィーリングを伴っていて、「“音楽を聴く”というよりも“音楽を持っている”」といった感覚。

聴衆は、時の若者たちの革新性・開拓性・可能性のある自由な発想の、アンチで脱・既成概念の音楽を“持つこと”で、あるステイタスを獲得し、新しい存在意義を深めました。

だからこそ、ロック/ポップはルーツ音楽/人種音楽ではなく、地球サイズで多くの地域・人々に共感されたのです。
アメリカやイギリスの英語圏がロック/ポップミュージックというわけではないのです。
どこの人がどんな音楽表現をしようが、アンチで脱・既成概念であればロックだったのです。

なぜ、そうなのかというと、主に60~70年代になりますが、ロック/ポップには“歴史”がなかった。過去がなかった。
縛られる歴史や過去がないので、前に進むだけだったのです。それは自ずと“革新性”ということになります。

自由な発想さえあれば、それをやればそれが初めての“原型”“オリジナル”だったのです。
だから、新鮮で希望に満ちていたのです。

革新的なパソコン/ネット社会を作ってきたアップルのジョブスもロック音楽を聴き、そういったロックの革新性を“持つこと”で新しい概念を想像していったのです。

ただし、原型雛形が確立してしまうと、それらは“産業”“実業”になっていきます。産業は新しさではなく、より多くより沢山よりお金になることが主題です。
それはより売れることが最大のテーマ。付随する“革新性”“独創性”は必要ないものになっていき、また誰も求めなくなっていったのです。

80年代以降は、それ以前のロック/ポップの原型・雛形に、自ら好んでハマり入り込んでいるものばかりになってしまいました。
すでに出来上がったスタイルの“ロックのタイ焼きの型”に流し込んでいるといった具合です。

時代のパソコン/ネット/IT産業でさえ、雛形はとっくの昔に完成していますから、ゲームや検索やSNSなど、それで何をやって生業成功するかといっただけのもの。

音楽は爆発的に売れますが、それを“持つ”ことがなくなったのです。“持つこと”がないロック音楽は、リチャード・クレーダーマンよりも粗悪なBGMとして大いにもてはやされたのです。
主に80年代以降、産業化していき、BGMは今に至ります。

子供の時は誰もが夢や希望がたくさんあったのに、大人になるに従ってそれらがなくなってしまう、というのは、上記したことと同質で、子供には歴史も過去もない、大人は歴史と過去がありそれらに縛られてしまう、ということです。

人を窮屈に不自由にさせるのは、外的要因以上に、自分の歴史や過去なのです。それに縛られて自由な発想ができなくなってしまう。

歴史や過去、といったことは個人に置き換えると、つまり、有限の命の“これまでの時間”と“これからの時間”ということです。

これからの時間>これまでの時間なのか、これからの時間<これまでの時間なのか。

人生80年として、今まで生きてきた時間とこれから生きていける時間の比較。
年をとるということはそういうことで、各個人の考え方・感じ方・捉え方なども、はっきりと理解できなくても潜在的にそこから表出してくるのです。
残りがあとどれだけあるのか、という感覚です。

残りが少なくなると、多くの場合、革新性という不安定さよりも、歴史や過去といった安定性に傾くのです。



曲は、「オールド・フレンド/ブックエンド」 サイモン&ガーファンクル


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by greenwich-village | 2013-11-03 11:00 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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