広島から遠く離れて、福島/雑感

「広島から遠く離れて、福島」

マゾヒズム=虐げられる快楽。

まったくしかたないことだけれど、地理的に島国根性の日本人にとっては、
「ナショナリズム(国粋主義)=コンプレックスとしてのグローバリズム」
なわけだ。
「西洋コンプレックスのインターナショナル=単一純粋幻想と村社会の愛国心」
なわけだ。

... むかし、ビートたけしのギャグで、
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」
というのがあったけれど、
あれは単なるギャグではなくて、日本と日本人の質を言い当てているからこその皮肉なブラックジョークだった。

村社会には村八分がある。
誰が言い出すわけでもなく、日本人特有の情念的な暗黙の了解/コンセンサスで、
逆に言えば
「長いものには巻かれろ」なり
「出る杭は打たれる」なり、
ほかにもいろいろあるが、つまり島国で村社会感覚が顕著な日本社会での処世術のキャッチコピーだ。

産業なり文化なりマテリアルなりはこれからもどんどん変わっていくが、これらの感覚は変わらない。

ひとりの個人が、ある程度柔軟性がある年齢のうちに外国で一定の期間を過ごせば、その個人の感覚は変わるだろうが、一般的な日本人=つまりほとんど多くの日本人の感覚は、あくまで日本人同士でしか育まれないから、グローバル性の高く可能性が溢れているネット社会であろうが、それを扱う人間そのものの感覚は変わらない。

よく個人主義と利己主義を混同している論張を見ることがあるが、
「利己は己の利益だけを求めるもの=他者の利己を認めないもの」
だ。
国家で言えば、歳入の再分配が偏った状況を指す。

個人主義は、
「異なった状況の相手を認め、また、異なった状態の自身も認めてもらうこと」
だ。
「均衡のとれた対等の関係で、異なる部分も異なるものとして認め合うもの」
だ。

子供たちの夢や可能性を封じ込めて、つまりはできる限り有名な会社に就職させたいと望むのなら偏差値こそが最重要なものだ。
企業にとって、採用の手がかりになるのは、そこでの学歴しかないのが現実だから。
が、その後、それらの受験知識がほぼ無用で、多くの場合とっくに忘れていることを、私たち大人は充分に承知している。
とりあえず高校なり大学なりを出ることができればそれでいい。
世の中は多くは、そこで学ぶことをやめ、急激に怠惰になる。
12年間なり16年間なりの時間は、知性や好奇心を求めているのではなくて、偏差値に興味があるのだ。
大人たちが子供たちに望む理想として、想像性は必要悪程度のものだ。

幸とよぶべきか不幸とよぶべきか、
いまの日本の社会は、偏差値によって構成され、生成され、構築され、運営され、カテゴライズされ、限定され、了解され、発想されている。

お金というのは、あくまでただ単なる道具でしかない。
幸福感にも満足感にも尊敬・尊重の基準にもまったくならない。
道具は道具でしかない。

腕の悪い使い方が巧みではない大工が、名工の道具を一式揃えても、酷いものしか作れない。
絵心も技術もない絵かきが、貴重な画材を山ほど集めても、子供の落書きにも勝らない。

競争社会の資本主義でも、教学的なマルクス主義でも、優雅な官僚主義でも、何主義でも構わないが、「経済」というものの正体はその程度のものだ。
使い方がうまくなければ、なんの価値もない。
お金という道具は量ではないのはもちろんのことだが、稼ぎ方ではなくて使い方で、はじめてお金になる。

言うまでもなく、尊重・尊敬されるのは、少ない道具で最大の成果・効果・完成度をほこれる者だ。

およそ物事・事象には必ず、仕組みなりカラクリなりシステムなりがある。
仕組みやカラクリやシステムがあるから、物事・事象として立ち現れる。
謎とよばれるものは、表層にとらわれて仕組みを見ようとしない者の自己露呈でしかない。
当たり前のことだが、学び知り得た物事には謎はない。
だから、謎は両刃で、好奇心をくすぐりもすれば、狂信の芽を育みもする。

現実を現実として、分からないのなら学ぶ必要があるし、分かるのならそれ以上学ぶ必要はない。
分かってしまえば、たわいのないものが多い。
整理ができない部屋や引き出しの中のようなもので、単純な物事をこねくり回して権威という幻想のスパイスをふりかけて、難しいものとして提示しているだけだ。
整理ができないのは、その管理者本人の問題であって、難しい事象が難しいものとしてあるわけではない。
それを混同すると、世界が難しいことだけで構成されているように誤解してしまう。難しい世界だと誤解したまま、面倒なので逃避してシンプルになろうと思ってしまう。シンプルさに付随する原理性に至って狂信を芽生えさせる。
その類のシンプルさはシンプルなのではなくて、自ら好んで入り込んだ行き止まりの迷路で、自暴自棄になっているだけのことだ。

この国とこの国の現代社会状況と我々住民の多くが、経済・文化のまな板の上で、そんなマゾヒスティックな深層を享受謳歌している。
この国と政治家と管理者官僚は、この国の市民住民庶民に対して、歴史的にも、未だにそういうマゾヒズムだけを再分配している。
それが、野心欲望によってそういう生業仕事に就いた人たちの本質であって、彼らのような性癖を生成してきた哀れな自惚れであり、奇妙に屈折した自己顕示という誤解だ。

真に複雑難解な物事をシンプルにするのは、知恵の力だ。
知恵が幸せを生み、知恵を再分配することが尊敬になる。
知恵は仕組みを見出しシステムを見破り、お互いの尊重を促す。

口々に経済だとか、景気だとか、お金に固執するのは、それを失ってしまったらという恐怖心からであって、しかし残念ながら恐怖心から固執しているそれらは、確実に失われる。
使い方を知らない道具や恐怖心を集めて、恐怖の代価を払いながら、深層に虚しさを蓄えて人は死ぬ。

知恵は誰にも奪うことはできないもの、失われないもの、ゆえに恐怖はなく、学ぶ者に再分配されて受け継がれ、生き続ける。

虚しさや恐怖がないものが、充足感・幸福感だ。
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by greenwich-village | 2013-08-07 03:07 | グリニッチ・ヴィレッジ

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