私たちは“満足”せずに、もっと“困窮”すべきなのです。

「私たちは“満足”せずに、もっと“困窮”すべきなのです」

歴史や事例で例える必要もなく、「困窮が革新を生む」。

困窮だけが新しさを生みます。現状維持からのものは旧然怠惰なだけなのです。
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「面倒だし、できればこのままで、自分の暮らしには問題ないし、でもイヤなところだけは取り除いて、取り除けなければ、しかたないか」

そうでしょ。生活に困窮していなければ、贅沢こそしますが、働かないし、働いていても「金額」だけに終始する内容なのが、人。

多くの国民がドラえもんの「どこでもドア」を欲しがっているようですが、そんなものはどこにもないのです。

「電気が少なくなったらどうしますか、みなさん」という脅しか、「とにかく原発をなくそう」の二極に終始していますが、あってもなくても、その先はある。

町工場や下請けが困る、生活電気が安定供給されずに困る、産業が滞る、景気が悪くなる、そういう話ですが、「そうなりますよ」とか「そうなりませんよ」ではなくて、

「明らかにそうなりますが、それでも生きていかなければならないのだから、なんとかするためになんとかする、電気が少なくなった現実で、なにをどうしようか」

「ないのなら、ないなりに、どうするか」という生活スタイルの革新が生まれるのです。

困窮しなければ、人は、本来備わっている可能性を発揮しようとも思わないのです。
「論」や「激情」や「利権」や「優越」やら何やら、ただの水かけ泥試合を繰り返すばかり。

現実に現実として受け入れて、「さて、それではどうしていこうか」というところに、本来の「新しい姿」があるのです。

電気があってもなくても、自殺者はかわりなく、イジメもかわりなく、交通事故も詐欺も犯罪も戦争も、まったくかわりなく存続するのですから、「電力需要」のせいにするのは旧然体を維持しようということと全く変わりがない。旧体ですから、革新はどこにもない。
革新がどこにもない社会なのに「新しい~」などと言っても空虚なもの。

激動のちょんまげからザンギリ頭になって、着物から洋服になって、鎖国文化から西洋式になって、それで社会はおかしなことになったでしょうか。
もちろんなくなっていった職業や品々はありましたが、抵抗があった人たちも、間もなくそれが当たり前になっていった。新しい職業について生活するようになった。

困窮のなかで、ないならないなりに、なんとかしてなんとかなっていくのが人間で、そこに生まれるのが新しい文化や経済や体制です。

それでも不満がある人の矛先はどこに向かうか、もちろん時の政府与党です。そして旧体制与党の旧感覚としがらみやシステムは倒れるのです。

生活も経済も創造性も、困窮するからこそ新しい道を作り、革新が生まれるのです。もっと見る
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by greenwich-village | 2013-07-19 11:56 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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