47歳の梯子

「47歳の梯子」


子供ネタ・写真には無条件で反応してしまう私。


とにかく日々当たり前のように、テレビや新聞では、人を襲ったり殺したりするようなニュースが飛び交う。

47歳といえば私と同じ年だ。
頭のイカれた男が、小学一年生を襲った。犯罪者だから頭がイカれているのか、頭がイカれているから犯罪を犯すのか知らないが、子供や老人や女性など、肉体的に弱い者を襲う暴漢ほど卑怯な男はいない。
私の家族にも友達にも子供たちがいる。だからそういう事件を見ると心配になるというか腹が立って眠れない。
表向きはどうであれ、そういう子供や赤ん坊の命を奪おうとするような卑怯な奴らが潜在的にどれほどいるのか。
疑うだけでは世界はひどく悲しく息苦しいものになるけれど、ただ目に見えることだけでは心の中までは計り知れない。
そんな世の中になってしまったんだろう。

つまらないほど当たり前のこと、人間が人間であって社会が社会であること、世間の原初には、起用も不器用も凸も凹も許容する共同体があって、そういうものが高度経済と共に消滅したところに見えないエゴが膨らんでいって、イカれた頭の持ち主が増殖していく。

病気ならば入院治療すればいいが、そうでもあるまい。
膨らみ続ける満たされないエゴとコンプレックスが、その解消の矛先を解消しやすい弱者他者に向けて吐き出されているだけ。
言葉に語弊はあるけれど、弱者ではなくて一人で強者・権力者を襲うくらいの頭がイカれた犯罪者は見たことがない。

仏陀もキリストもすべての犯罪者も、生まれた時はただの赤ん坊。
47歳のあの男も、自分の卑怯さにあぐらをかいて成れの果てに流れ着いた。
自分が身にまとっているもの、自分が持っているものが、とどのつまりは単なるエゴでしかないということをどれだけ自覚しているかで頭のイカれ方が分かれる。
普通の私たちは、にっちもさっちもどうにもこうにも言いながら、充分に承知している。

ノーベル賞のiPSでもエゴで構築されたイカれた頭を治療できない。
特効薬は「初期衝動」。
人が人であった、社会が社会であった時の「初期衝動」。
起用も不器用も凸も凹も許容した共同体の「初期衝動」。
自分の仕事や趣向や感動の「初期衝動」。
目新しくない、ごくありふれた当たり前の「初期衝動」。

すべての「新しさ」には気をつけたほうがいい。ハシゴを外される。
私たち世代が生まれ育った時代よりも当世は新しいが、この新しい当世が、どれほど行き止まりで、どれほど閉鎖的で、これほど殺伐とした事件が多い世の中で見るも無残なこの期に及んでしまった社会なのだから。
どんなに古くて馬鹿にされても、ハシゴや階段は残しておくべきだ。
そのハシゴは「初期衝動」へ続いている。

新しさに身を置いても、次の瞬間から古びるのだから、新しさはない。
初期衝動を忘れないでいることが、新しさというものだ。

私は47歳だが、痴呆にはまだ少し早いので自分が子供だった頃の「初期衝動」を覚えている。
幼稚園、小学校、中学校、高校のころ、何に夢中だった?

そこから、新しさも未来も見えてくる。
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by greenwich-village | 2013-06-29 03:20 | グリニッチ・ヴィレッジ

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