雲を掴む

「雲を掴む」

つまり、問題はそういうことではない。

決して平和的ではないけれど、トルコで民衆デモ、ブラジルで民衆デモ。
... でも・デモ・DEMO。
日本のデモは民衆も権力側も実に穏やかで、血を流すようなことはない。
血を流せばいいってことは絶対にないけれど、歴史的な爆発があっても、血を流すほどの怒りはなかなか爆発しない。
権力者や官僚・関係者は熟知している。
日本人は世界中の過激なデモのようなことを起こすような民族ではないということを。
だから時間を稼ぐ、金をばらまく。
そうしている間に全国的な見解として風化沈静化させる、沈静化する。
この国の歴史上、歴史的な出来事はすべからくこの手法でこの慣例でものの見事に、実に表面表層的に、収束させている。

問題はそういうことではない。
投票率が50%にも満たないことなど言うまでもなく、私たち民衆は、たった一度たりとも民衆の力で「民衆の、民衆による、民衆のための生活」を「勝ち得た」ことはない。
革命とまでは言わなくとも、民衆が民衆だったことは、この国の歴史ではたった一度も実現したことはない。
私も当然日本人だが、私が子供の頃から忌み嫌うこの国の体質と自分のそういう血の民族性が、この期に及んでもなお、歴然と立ちはだかっている。

権力者も官僚も民衆も、つまりはただの人間で、国家的プロジェクトだの利権だの宣っていても、雲を掴むような未来・将来の展望よりも株価・為替・給付金・賠償・サラリー・経済構造で「人間的な時間」を費やし、時間とともに事の本質は希薄になり日常化し、我関せず、消費とマスコミ娯楽によってトイレの蓋を閉めるように、やがて国家的・民衆的な忘却の彼方へ追いやられる。

フェイスブックで誇示する数の人間関係と「いいね!」で、意思・意識・発言・行動は煙たがられ、その程度のヴァーチャル世間にキョロキョロ一喜一憂一楽一哀する。
「ほどけたままの靴紐のオピニオン」が「ポン引き」と闊歩する。

雲を掴む。
雲を掴もうとすること。
雲を掴もうとせず、溺れる者は藁をも掴むどころか、掴めもしないものを掴んだつもりになって、掴んだ掴まないと流布伝播見せかけて、まことしやかに「勝てば官軍」の現実として成立している。
この期に及んでしまったこの国の生活・民衆体質の問題はそういうことだ。

もう二度と花は咲かないだろう、ということを知ることは決して誰にも知るとは出来ない。



JAGATARA - でも・デモ・Demo
www.youtube.com
Nanban Torai' 「南蛮渡来」(1982).
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by greenwich-village | 2013-06-22 10:56 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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