2013年 01月 29日
大人の教育
教育問題が取り沙汰されているけれど、単純なことだ。
すべての先の世代は、すべての後の世代に、自分たちが踏んだ轍を踏ませないようにさせること、が教育だ。
自分は成績がよくなくて今こうしているから、せめて子供には良い成績で出世してもらいたい、といったところから、
自分は経済的にしたい勉強もままならず進学できなかったから、せめて子供には大学教育まで学んで欲しい、といったところまで、
自分はイジメられたから、子供たちにはイジメがない環境を望む、というものから、
自分は失敗ばかりしてきたから、何をどうすると失敗するのかを教える、というところまで。
学校だけが教育の場ではない。
すべての先の世代は、すべてのその後の世代に対して、自分たち世代が踏んでしまった轍を踏ませないように学ばせればいいだけだ。
現実は、自分たちが踏んだ轍とまったく同じ轍を踏ませてしまう。
まるで、轍こそが伝統文化のように。
個々人の成長はともかく、もしくわ、後の世代がそれを望んでいるのならいざ知らず、再び、再度、再々度、度々、汚染された空気だけは吸わせてはいけない。
大人たちは、前の世代を見ながら、自分で自分を教育するのだ。
暗記や教科勉強や学校教育よりも、これこそ難しい。
アダルト・エデュケーション/ホール&オーツ