構造と無力/連帯:ポーランド

私は構造主義ではない。
それどころか、何かの主義など持っていないし、何々主義というものを疑っているくらいだ。
それでもどうしても無理矢理に主義としてカテゴライズしなければならないならば、実存主義者だ。

主義ではない。表づらだけの看板の政策なのでもない。
構造・システムなのだ。
構造そのものが変わらなければ、システム自体を変えなければ、何一つ変わらない。
変わるのは持ち回りか、時の人・話題の人気者たちの顔だけだ。

維新だろうが80歳軍団だろうが第三極であろうが集合・連合であろうが、同じシステム同じ構造の上に乗るだけで、何も変わらない。

旧態の政治家たちが離合集散しても、税金がかかるだけで全く無意味で全く変わらず、状況は悪化していくだけ。
大政奉還ができない現代での構造変革は、ただひとつ。
現在のすべての官僚構造・官僚システムの解体と再編。
二大政党であれ新党であれ表層でしかなく、現実的に、日本は民主主義・資本主義ではなく、官僚構造による共産的一党独裁。
どこを見ても、一党独裁状態が行き詰まるのは言うまでもなく承知の事実。

政府でも与党でも政治家でもなくて、解体再編・再生すべきは現状の官僚構造。


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ポーランド民主化運動(ポーランドみんしゅかうんどう)は、ポーランドの政治改革運動。
最終的に従来のポーランド統一労働者党による政権は下野し、レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。

ポーランドは1919年まで、ロシア帝国の領域下に組み込まれており、元々反ロシア的感情が強い地域であった。
それまでのポーランドでは旧ポーランド・リトアニア共和国のヤギェウォ朝の領域を基準とした多民族主義の思想が主流であり、全体主義的傾向のあるロシアやドイツに対抗してポーランド人が行った自由を求める闘争は、もっぱらこの旧共和国の「多民族連帯」の思想を採用していた。(11月蜂起、1848年革命、1月蜂起など)

ソ連の衛星国に組み込まれると、ピャスト朝の領域を基準とした単民族主義の思想が採用された。

1956年、1970年と反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた。
ポーランド政府はソ連による全面的な介入を防ぎつつ、ある程度彼らの要求を聞き入れる、という事を繰り返してきた。

1971年には、それまで「自由」および「市民」の概念の理論化を進めてきた哲学者レシェク・コワコフスキが、『スターリンの国家群:希望と絶望に関する見解』を著し、その精緻な理論が一般に浸透した。
ここにポーランド伝統の「穏健主義」(16世紀のヤン・ザモイスキの思想)は、現代の状況に対応する素地を獲得したのである。

1978年にポーランド人として初めてのローマ教皇となるヨハネ・パウロ2世が誕生すると、これはポーランド人の西欧自由主義回帰の渇望を大きく鼓舞し、反ソ連・ロシア感情を一層大きくする結果となった。
ポーランドの大衆は自分たちがカトリックすなわち自由主義の西欧文化の一員であり正教会をはじめとする東方文化を持つ専制的で権威主義的なロシア(ソ連)とは違うという直観を常に持ち続けていたのである。

1980年からはレフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が活動を活発化しており、政府は翌1981年に「連帯」を非合法化したものの1983年に戒厳令が解除されたばかりであった。
しかし非合法とされながらも「連帯」は以降も活動を続け、彼らを中心とした勢力は依然として国内改革と民主化を要求し、ポーランド共産党による政権を揺るがし続けた。

いっぽう、時のヴォイチェフ・ヤルゼルスキ政権は連帯の非合法化をし戒厳令を敷いたものの、その後は穏健主義の立場で事態の打開を模索していた。

こうした状況下でのソ連の外交方針の転換は、半信半疑でありながらも、ポーランド共産党政権にとっては渡りに船であり、ヤルゼルスキ政権は「連帯」を含めた民主化勢力との妥協、および政治改革に向けた協議を本格的に開始した。これが有名な「円卓会議」である。

ポーランドでの民主化を模索する動きは先ず1981年に非合法化された「連帯」を合法化する所から始まった。
さらに1989年の2月からはポーランド統一労働者党政権と「連帯」をはじめとする民主化勢力との間で話し合いが行われ(円卓会議)、両者の間で自由選挙[2]の実施をすることで合意がなされた。
この合意は6月に実行に移された。
東欧では先頭を切って自由選挙が実施され、ワレサ率いる「連帯」が圧勝した。
新政権として民主化を求める非労働党勢力が主導権を握りつつも、労働党勢力を政権に取り入れる連立政権が発足し、ヤルゼルスキが暫定的な大統領に就任。
首相以下閣僚に「連帯」などの非労働党勢力出身の人物を任命して、新生ポーランドがスタートした。

新政権は、ポーランド統一労働者党に極めて有利であった憲法の改正、ポーランド人民共和国からポーランド共和国へ国名の改正、国民の直接選挙による大統領選挙の導入などを決定。
この結果を受けた1990年、国民の直接選挙によって選ばれた初めての大統領選挙で「連帯」のワレサが当選。
政権の完全委譲が果たされた。

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独立自主管理労働組合「連帯」(どくりつじしゅかんりろうどうくみあい「れんたい」、通称:連帯は、ポーランドにおいて労働組合から公然たる反共運動へと発展した組織である。
1980年、社会主義国として初の労働者による自主的かつ全国規模の労働組合として結成。

「連帯」は、ポーランドにおける民主化運動において、主導的な役割を担った。

同労働組合は、自由な組合活動が認められていない中で成立したもので、成立当時、ポーランドの労働組合といえば政府主導の「労働組合中央評議会」であった。
ポーランド政府によって一度非合法化されたものの、非合法化された後も活動を続けた。
その後、ミハイル・ゴルバチョフによってペレストロイカが始まると、その流れの中でポーランド政府は「連帯」等の勢力との妥協を模索し、「連帯」運動は合法的地位を獲得する。

円卓会議が開催されると、政権維持を模索するポーランド統一労働者党に対し、「連帯」は民主化を求める民衆勢力を背景として強気の姿勢で交渉に臨み、最終的には、民主的手続きによる政権奪取に成功した。

1980年
9月17日 グダニスクで自由労働組合の全国代表者会議が開催。独立自主管理労働組合「連帯」を結成。
1981年
12月13日 戒厳令が公布され、関係者の多くが拘束される。
1982年
4月22日 戒厳令下の労働者の全国的な抵抗組織として「連帯」暫定調整委員会(TKR)を結成。
5月1日 ワルシャワで10万人参加の抗議集会を開催。
5月3日 憲法記念日に全国で抗議集会を開催。多数の参加者が拘束される。
11月11日 レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)釈放。
12月31日 戒厳令停止。
1986年
9月 「連帯」暫定評議会を結成。
10月 「連帯」全国執行委員会を結成。
1987年
8月31日 内相・キシチャクと「連帯」委員長・ワレサが公式会談、円卓会議の開催などで合意。
歴代議長 [編集]レフ・ヴァウェンサ(レフ・ワレサ) ( - 1990年12月12日)
マリアン・クシャクレフスキ (1990年2月23日 - 2002年9月27日)
ヤヌシュ・シニャデク (2002年9月27日 - )
「連帯」選挙行動 [編集]「連帯」選挙行動(「れんたい」せんきょこうどう、Akcja Wyborcza "Solidarność"、略称:"AWS")は、ポーランドの政党連合。

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レフ・ヴァウェンサは、ポーランドの政治家、労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国の第三共和制初代大統領。ノーベル平和賞受賞者。

「ヴァウェンサ」は原語での発音に基づいたカタカナ転写で、比較的新しい表記法。
日本では一般に「ワレサ」という表記の方が多く用いられているが、これはポーランド語アルファベットに対する誤認識から生じた不正確なものであり、発音もポーランド語の原音から著しく乖離している。

ポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県リプノ郡にあるポポヴォという小さな村で生まれる。
高校を卒業したのち、1967年グダニスク造船所(旧レーニン造船所)で電気技師となる。

ソルトレイクシティオリンピックの開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。

1970年12月、ストライキ委員会に参加していた。
1980年の独立自主管理労働組合「連帯」創設メンバー。
当時の政策を批判したため、戒厳令により身柄を拘束された。
その後1990年の大統領選挙で当選し、次々と自由化・民営化を行っていく。

再選をかけた1995年の大統領選では、クファシニェフスキに僅差で敗れた。

「連帯」の組織化に伴い、既存の共産主義要綱の再編成を求め、マルクス主義者ルイ・アルチュセールの見識を参考にすべく、フランスの各大学を訪問。

また中国やカンボジアのようなアジアにおいて見られた社会主義国の状況を知るべく、旧労働者インターナショナルのネットワークを伝い、各国の知識人層と交流を持つ。

大統領在任時の1994年には国賓として来日している。

日本において、最も交流を得たのはマルクス主義研究の領袖であった明治大学である。
後に同大学より名誉博士、教授の称号を与えられ、時折来日し教壇に立っている。
政界から去った後、再び労働者として活動し、各大学や教育機関にも参与している。

アイルランドのロックバンド「U2」の最初期の大ヒットシングル「ニュー・イヤーズ・ディ」は独立自主管理労働組合「連帯」を歌ったもので、ヴァウェンサが描写されている。


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Commented by sunra-cloudy at 2012-11-01 14:44
原発事故以降、明らかになったのは、
政治の実権は、政治家ではなく官僚にある、ということですね。
選挙で選ばれる(落とされる)こともなく、我々が名前も知らない人たち。
政治家は官僚政治の責任を取るために存在しているのか、
とさえ思ってしまいます。
さらに言えば、官僚とマスコミの一体化も酷い。
Commented by greenwich-village at 2012-11-05 09:39
私ら音楽や映画や本や絵や写真や、そういうものを楽しみながら普通に暮らしていたいわけですが、いやがおうでも政治が気になってしまいますね。堕ちるのに底なし。
整合性のない気が狂った屁理屈で復興費が湯水と使われていますね。片や、市役所職員などは夜中まで働いている人たちもいる。
こういう文脈でよく誤解されるのは公務員全員だと思われること。あくまで官僚・霞ヶ関のピラミッドに関してです。その中にも良心を持った方々もいるわけですが、官僚システムによって自身が失われてしまう。既得権益や外郭団体とか天下りだとかばかりの保身だけ。東大まで出て秀吉ばりのただの守銭奴に成り下がる。成り下がった人達が実務を握っていますから、国も成り下がる。人生の仕事としての誇りや名誉を失ってお金にだけ集ってますね。
マスコミはまさに広告塔、電気の無駄遣い。はじめから「公共の電波」「論説」なんてないわけで、彼らの電波・新聞ですね。視聴者なんてお金出してませんから。スポンサーありきが当然。一生懸命見るだけ読むだけ語るだけ無駄ですね。
by greenwich-village | 2012-10-31 22:43 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(2)

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