神様がいなくても人は救われる/素晴らしきこの世界

最近、あちらこちらでひどい事件が多発していて、各地で殺人事件/強姦/いじめ/親殺し子殺しなど毎日で、世界中でも対立、いたるところにネガティヴな空気が蔓延しているように感じます。

これだけ社会が安定して世界でも裕福な国の今の時代の大概の犯罪は、不幸な生い立ち・環境からではなくて、単なる自分のワガママや強欲からのものが多く情状酌量にもならない話ばかりです。

生きているのだから大変なのは誰でも同じですから、そこでなんとかやりくりして大変さを乗り越えていくのが人生であって、社会とか絆とか人間とか生活とか、そういったものなのは当然です。

自分の人生なのですから自分が責任をもって生きるのが当たり前。
まわりの誰のせいでもなく、環境や社会のせいでもない。職業や居場所を変えても、自分が変わらなければ何も変わらない。
だらしなければ大きな豪華な家に住んでいても散らかし放題ですし、整理ができれば四畳半でも六畳分になる。
自分が居る「服・入れ物」を変えても、何一つ変わらない。

自分の外側の世界は、自分の中にあるネガティヴなものとは一切関係がない。
むしろ、外の、この素晴らしい世界が自分を救ってくれる。

神様がいなくても人は救われる。
神様が救うのは、その神様を求めている人だけ。
その神様を求めている人は、自分の利益だけのために求めている。


人間を救うのは人間で、救われた人間がまた誰かを救う。


アイドルやTVタレントはともかく、たとえば音楽をやる人たちには大きく分けて2種類のタイプがあります。
音楽に救われた人と、人気者になりたくて何かやりたくて手短に音楽を選んだ人。

音楽に救われた人がやる音楽には、悲しみやネガティヴな感情・生い立ちを乗り越えた強さ・確信があります。
音楽に救われた人は、自分を表出する手段が絶対に音楽でなければならないのです。音楽に救われたわけですから。
小芝居をしたりバラエティでおどけたりタレント本を出したりといったものではないのです。
自分をどん底から救ってくれたものが音楽だったからこそ、音楽でなければ表現できないのです。

同じように、それが演劇であったりダンスであったり、絵であったりスポーツであったり、医療であったり科学であったり、何かに救われて力を与えてくれるもの、希望を与えてくれるもの、そういったものに出会って各々の辛い状況を乗り越えて行って、それぞれの仕事を目指して、それぞれの仕事に精進していく。

ただ有名になりたいだとか人前に出たいだとか金持ちになって楽したいだとか、それだけのものには根本的な強さ・確信は希薄です。

音楽に救われたからこそ音楽をやる。絵に救われたからこそ絵を描く。ダンスに救われたからこそ踊る。演劇に救われたからこそ役者になる。
聴衆として、そういうものに触れた者たちもまた救われていく。

かっこいいだとか憧れだとかとは、実際どうでもいい作り物でしかありません。

「ほら、ごらんよ、この世界はなんて素晴らしいんだよ」と歌うとき、「あぁ、俺もひどい生き方をしていたけどな、この素晴らしい世界の音楽に救われて、今はこうして暮らしてるよ」と語っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アームストロングが生まれ育ったのは、ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区であった。
子供の頃に祭りで浮かれ、ピストルを発砲して少年院に送られた。
その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが、楽器との最初の出会いとなった。
その後、町のパレードなどで演奏するようになり人気者となる。


ルイ・アームストロングの名曲「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。そしてこの満面の笑み。


[PR]
by greenwich-village | 2012-10-22 11:53 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

CD レコード 楽器 書籍 家具 器 インテリア ヴィンテージアイテム


by グリニッチ・ヴィレッジ