モノの美/スペシャリスト/ロハス

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古いウランガラス。
紫外線/ブラックライトにあてると美しく蛍光し、それがウランガラスかどうかの証になります。

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萩焼の“萩の七化け”と言われ愛されるように、長い時間愛着を持って接しそれらの時々の様々な変化を楽しみ親しむ精神こそが、“美”であり“価値”です。
アイドルからマスコミ、床屋さんからラーメン屋さん、日曜大工から手習いまで、お手軽に一億総アーティスト時代のようですが、本来の圧倒的な職人の技・意地にように、継がれて普段の思考に響き残っているのを“魂”といいます。

その精神を養っている人が普遍的な“価値組”です。
“モノ”はただひたすら誠実です。高いとか安いとか、珍しいとかありふれているとか、知識とか所有とかではなく、“モノ”の扱い方・接し方・所作だけでその人の“魂”の在り様が見えます。
“消費”と“愛でる”はまったく別物ですし、“食は三代”という諺が伝えています。

「これが美で、これが幾らほどの価値ある高級もので、これが格式伝統あるものです、これが憧れの雰囲気です」といわれてみても、残念ながらそこに美はまったくありません。
多くの人は美を見ません。見ているのは「オープン・ザ・プライス」ばかりです。
オープン・ザ・プライスが美ではありません。オープン・ザ・プライスは各々の収入水準の話にすぎません。
高価であっても、高価だから仕舞っておくのは、単なるガラクタで邪魔なものです。

美は、使われモノとして働く中で生まれます。
美は、自分で見出した人だけにしか存在しません。

どんな暮らしでも、美はその人の普段の生活範囲の中にごくありふれたモノとして無数に存在しています。それらの存在にまったく気がつかないでいるのです。

何を言われなくても、初めから中秋の名月は美しいのです。
高くもなく珍しくもなく所有もなく、値段がない。

そういう本来の日常という美をより美しく引き立て愛でるために、モノはモノとしてあるのです。
愛でられなければ、お金がいくらあっても、その人にはこの世に“美”も“魂”もはまったく存在しません。

そんな時代だから、一億総アーティストが群雄割拠しているのかもしれません。
アーティストやエコノミストが席巻し、スペシャリストが絶滅しているようです。


企業セミナーだとかハウツー本だとか、カタログや雑誌など、流布されたパターンでオリジナリティーが必要とされない時代で、ホームセンターから住宅大工まで単なる既製品のプラモデル施工ですが、規格通りばかりか既製品・既成概念以外のものを何とか創意工夫して作るのが、本来の職人・スペシャリストの技・意地・魂でもあります。

この“モノ”をどう使おうか、どんなふうに活用しようか、どう再利用しようか、というオリジナルな発想が、“ロハス”といわれるものです。
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by greenwich-village | 2012-09-11 11:39 | グリニッチ・ヴィレッジ

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