サクセスよりもハッピー

友達のブログで「サクセスよりもハッピー」という言葉を見つけた。
かの矢沢永吉が語る幸福論からなのだけれど、まさしくその通りだと思う。

人生の場面場面には、それぞれの時期で小さくても各々のサクセスがあるけれど、生涯をトータルで見たとき、サクセス以上にハッピーであることのほうが有意義な人生だと思える。

サクセス、つまり経済的・金銭的な十分すぎるほどの安定も大切なことだけれど、それだけを追いかけて一向にハッピーを感じない・楽しくない人生ほど空虚なものはない。

サクセスを望む経済優先の政策・社会・教育が行きついた現状は、毎日のニュースを見るまでもなく明らかで、その社会・環境・心理にハッピーである充足感を見出すのはなかなか困難なのが、私たちが暮らす大方の今の日本の姿だ。

サクセスとハッピーが必ずしもイコールにならないというのは、ある程度生きてきている人ならご承知だろう。
とどのつまり、サクセスとは物質・貨幣であり、ハッピーは精神・充足・安堵である。
どちらが良い悪いではなくて、かたや唯物論、かたや唯心論、それらのバランス・割合の話だ。

過去を覗けば、少なくとも戦後からサクセスを追い求めて、バブル期に絶頂を迎え、下降線をたどり、ここ一連の流れで最大の山場を迎えている。
社会全体がサクセスだけに傾いた結果がいまだに社会心理に横たわっていて、自動反射的・宗教的ともいえるサクセス信仰に、その実、多くの人々が多くの場面・側面で溺れかけている。
かろうじて免れているサクセス者も、ハッピーなのかハッピーだったのかは人生の終焉を迎えるまでは片時も目が離せない。その手の数多の事例は数え上げる必要がないほど、サクセス者でさえ絶えずストレスにさらされハッピーからはほど遠い。

「サクセスよりもハッピー」というときの情感は、サクセスもないがしろにはできないがどちらかといえばハッピーを優先したい、といったところだ。

幻想だということさえ分からなくなっている幻想がある。
ハッピーはサクセスでは得られない、ということだ。それは大いなる幻想にすぎないのに、口々に「幸せは買える」と流布・通念化されている。

残念ながら、幸せは買えない。あくまでサクセスはサクセス、ハッピーはハッピーで、社会通念による洗脳以外には、サクセスとハッピーに交換性は認められない。


サクセスは、より多く、より高く、より広く、数限りなく手に入れることだ。
ハッピーは、空っぽの手のままでも、いま、ここで、自らがハッピーになる、といことだ。

サクセスによってハッピーは何も左右されないし、ハッピーになるのにサクセスは必要ない。


音楽は、ハッピーを増幅する装置でもあるのだ。



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by greenwich-village | 2012-05-09 00:37 | グリニッチ・ヴィレッジ

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