誰も責任をとらない/未来の差別主義/無責任テーマソング

映画「宮廷画家ゴヤは見た/ゴヤズ・ゴースツ」。

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私たちの昨今の事情となんら変わりがない。

古今東西、いつの世も今も、人と人の世は同じで、まったく進化しない。


悲しむのは、いつも名もなき民衆。

愚かなものほど、高いところに登りたがり、降りることもできない。


政治家ほど国を愛していない者はいない。


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感情的・経済的にではなくて、論理的・整合性的・合理的に。


原発再稼働。

賛成推進派、与党・野党・官僚・経団連・学者・評論家・電力会社各位、誰一人として無責任で一切責任をとらない。
「責任は私がとります」などといくら言葉で言っても、それで辞職しようとも、問題は何一つまったく解決しない。

「あれは地震と津波があったからで、そうでなければほぼ安全です」と相も変わらず繰り返すが、今後地震がおきない津波が来ないということではない。

放射能汚染は、家のまわり程度の値を下げるだけの除染で、飛び広がった広大な山川海生態系を確実に侵食している。
こうなってしまうと100%まったく不可能だ。

こうなってしまった現実を棚の上にあげての再稼働。

再稼働派の諸氏は、弁論大会のようにくだらない口での四の五のではなく、誓約公文書書面に「責任は私がとる」と書くべきだ。
その責任はとうぜん期間限定ではなく、再稼働派の孫子はもちろん、末代まで有効になるようなものを作る。

本人たちは40年もないうちにボケて死んでしまう。日本人がお得意のやり逃げの典型。
だから一族郎党末代まで、その責任を負わせる。

それで推進だ再稼働だ、というのなら、それらの議論決定は有効なものになるだろう。

それがないのに「政治判断」もへったくれもあるわけがない。プロも専門家もあったものではない。
それらの言葉はカス以下のものだ。

主義主張・利権権力、そんなものは政治家だろうが東大出だろうがイワシの頭だろうが何でも構わない。

お金が欲しいだけで政治家になり、東大に入り官僚になり、お抱え学者になっただけだ。

そこに「責任」は一切ないというのが、問題が一向に進まない理由だ。

政治家も官僚も学者も経団連も、数年程度で変わっていく。自分がいるときだけ「ことなかれ」であればいいわけだから、責任などどこにも生まれない。

だから公文書で末代までの責任のうえで判断させるのが、合理的だ。

未来将来、規模の大小にかかわらず同じことが起きた時、彼らの一族郎党は責任を負う。責任を負って差別される。
事が起きなければ、たんまり稼いで成り上がった血筋でこの世の春を謳歌すればいい。

その前提に立って「再稼働」を決断すればいい。

けれど、そんなことは一切しない。
責任を負いたくない。無責任でいたい。無責任のまま、稼ぎたいし権力を振り回したい。
ベンツに乗りたいし、ビフテキを食べてワインを飲みたいし、ゴルフもしたいしブランド服も着たい。

ただそれだけのことだ。無駄に言葉と税金と時間をこねくり回して、責任など一切どこにもない。

職業としてではなく、人間として、自分が責任をとらなくていいことを知っているから、政治家も官僚も電力会社も、脳内メーカー表示の「金」しかない頭で、再稼働かどうか、などと真面目な間抜けな雁首で議論している。


野山動物・自然は壊れた。残念ながら除染など生活範囲だけで事で、まったく意味がない。もとに戻らない。

そうなった現実を目の当たりにしてもなお、再稼働というのなら、しかたない。

それも我々国民の責任だ。

原発を止めて電力供給が減り、電気不足・節電しなければならなくなれば、それも国民の責任だ。


決して頭のよくない政治家、お金が欲しくてなった政治家、何かのはずみで神輿に乗った政治家、それに集る後援者、バカボケでしかない官僚、欲ボケ電力会社。

彼らの無責任が、われわれの責任になる。なんとも矛盾した皮肉な民主主義・資本主義・貨幣経済という構造・システムだ。


無責任のテーマソングはコチラ↓

http://www.youtube.com/watch?v=nHXVDVuVbXU
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by greenwich-village | 2012-04-15 10:55 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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