3月のオギャー/サマー・スノウ

お医者さんとか警察とか、弁護士とか自衛隊員とか、そういうお仕事をする方が少ないほうが、世の中としてはイイ世の中だということは、誰でも分かっていること。
病気になる人も少なければ、犯罪を犯す人も少なくて、争いごとも少ない世の中の方が住みやすいのは当然のこと。

すべての人間は、もともと「オギャー」と生まれてきた何もできない何の思惑もない赤ん坊で、その赤ん坊が、生きている間に「あーだ、こーだ」といろんなことを身に着けて、お互いに身に着けているものが違うから、比べたり争ったりして、ただ100年もない命を誤魔化すための生業仕事でこれが人生だと我を張り合う。

赤ん坊は「オギャー」と泣いていただけなのに、いまやお偉い政治家だとか大そうな人物だとか社長だとか、お金のモノサシだけで人生をまったく無駄にする。
赤ん坊は「オギャー」と泣いていただけなのに、いまや知識人だとか評論家だとか物知りだとか芸術家だとかでご満悦で、生きている時間をまったく無駄にする。
多くの人が、世の中に沢山のモノサシを作ったり身に着けたりして、自分はどのあたりにいるのかなどということばかりに気をとられて、100年もない命をまったく無駄にする。

立場の違いとか、職業の違いとか、自分の位置だとか、そんな話は、すぐに簡単に入れ替わってしまうし、単なる職業や状況であってあまり重要なものではない。万年野党も与党になれば叩かれる。

そういう世の中に生まれても、誰一人として、それぞれの今の立場をするために生まれてきたわけではない。選択や巡りあわせや、生業がいいからとかこれしかなかったからとか、それだけの話。
就職/新社会人も転職者も退職者も私たちみんな、その仕事をするために生まれてきたわけではなくて、そういう世の中の、それぞれのめぐり合わせや身に着けたモノサシで、100年足らずを誤魔化すための現金を得るために労働という行為を課している。
もちろんそれが、生きがいでもあれば、きっと世の中はもっとスムーズに回っていくだろうが、トラブルが多いということは、生きがいと思い労働をする人が少ないということだろう。

赤ん坊が「オギャー」と泣くような生きがい、それだけでもう少しは住みやすい世の中になる。
世の中みんな「オギャー」だったわけだから、それを思えば少しは腹も角も立たなくなるし、モノサシの思い上がりも減るし、やわらかい気持ちになれるというもの。
悪も正義も、お金も思考も、世の中の大方は、「オギャー」と生まれた後に身に着けた硬直したヨロイのようなもの。
ヨロイは重いから、身に着け続けていると疲れるわけだ。それで、年を取っていくごとに、人生は疲れたものになっていってしまうわけだ。

ヨロイのない子供たちやヨロイを脱いだお爺さんお婆さんたちは、なんとも溌剌としている。



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by greenwich-village | 2012-03-01 10:24 | グリニッチ・ヴィレッジ

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