直観/私的に、今年の時間を象徴する響きと絵/ゼレンカ:エレミアの哀歌

3月11日震災~事故から今クリスマス~年末まで、

私的に、この生涯の中で2011年・今年という日々・時間をあらわすのはこの音楽。

そして、誰の作品なのかは知らないが、エレミア哀歌を探してそれに付けられていた、まさにその通りのこの絵画。


この響きとこの絵が象徴しそこから感じるものが、私が生きた今年の抽象的印象、心像風景。

この命で見て体験したのだから、おそらくこの先も、この深層にある印象は変わることはないだろう。

私は言葉を尽くすことを厭わないが、それは一線のこちら側の範疇内での有用な道具としてであって、

そこから先へ行くほど、その概念の道具は尽きてしまうように感じる。

直観は、

思いつきだとか勘ぐりだとか、超常現象だとか心理試験だとか、反射神経だとか洞察だとかではなくて、

文字の如く、ただ直接に観る、ことだ。

直接に観る“直観”という体験が、深層核心にある抽象的印象になる、ということを生命体として心得た。

哀歌は、

悲しんでいる者が自ら唄う歌なのか、それとも、悲しんでいる者へ向けて他者が唄いかける歌なのか。

おそらく、そのどちらでもあるだろう、ということになる。

両者は、

打ちひしがれる者が天使を求めるのか、天使が打ちひしがれる者を探して舞い降りるのか。

おそらく、そのどちらでもないだろう、ということになる。

善意と悪意は補色しあい、理解と誤解は擁護しあい、安心と不安は裏切り合い、理想と現実は騙し合う。

無事が人をして怠惰に後退させ、恐怖が人をして真摯に進化させる、という不条理、矛盾。

晴れた日に雨傘をさす者は嘲笑し、雨の日に新しい靴を履く者は憤慨する。

土地を耕したが種を失い、薪を拾い集めたが釜戸がない。

構造が部品を作り、部品が構造を作り、日々は、空腹を誤魔化すための新しい香を焚きながら、古くなるために前進している。

瓦礫と汚泥の中を手探りで、確かかもしれないと直接に観えるものは、ただ生の存在に帰結する、瞬時に。

目では見えなかった。


エレミアの哀歌 (1)



エレミアの哀歌 (2)


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Commented by wata at 2011-12-22 17:40 x
用事があって、火曜日にいわきに行きました。お店に寄りましたが、お留守でした。愚痴でもブチマケてこようかなぁ、と思ったのですが残念んでした(笑)
Commented by ほぴ村 at 2011-12-23 08:36 x
善ちゃん、お魚とお酒ありがとう。これで寒い避難先での生活に幾ばくかの希望の灯がともりました。お父様、お母様にもよろしくお伝え下さい。
Commented by greenwich-village at 2011-12-23 10:26
wataさん、大変申し訳ないです。店主、毎度出入りしておりまして、ご来店の皆様にご迷惑をおかけしております。でも、居るときは居るんですけど、居る時に限ってヒマしております、笑。ぜひまた、愚痴をブチマケにお越しくださいね。
Commented by greenwich-village at 2011-12-23 10:31
ほぴ村さん、お世話になっております。酒、魚、兄上皆様共にご賞味くださいませ。
綿入れを着て闊歩する雪国なんて風情満天。温泉で温まって後、雪見酒もまたステキなもの。おそらく大変な寒さ、また雪、お気をつけて。
by greenwich-village | 2011-12-22 00:58 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(4)

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