この期に及んで丸儲け、放射能産業の猟奇的な密漁者たち/原発説明番組で九州電力やらせ

この場合、「九州電力」ではなくて、「関係会社」が運転再開を指示しているわけだ。

「私たちは原発関連会社で、それを生業として生活しているので再開を望んでいる」
ならば、私としてはひとつの当然な意見だと思うが、

「社員に、一般市民を装って運転再開を支持する意見を寄せるように指示」
というのは、サイコホラーや猟奇のように、何とも欲深いおぞましい姿に見える。

さらにその関係会社の指示が、九州電力からの指示だったのかどうか。
そうまでしても儲かるのが放射能産業というものなのか、お金のあるところに欲の虫はたかってくる。
そうしてまで減益損失を抑えなければ社が傾くのか、社会主義的独占で莫大な交付金をばらまいてもなお社の利を生む、公益という原発事業。

放射能の危険性などと騒いでいるのはお人よしだけで、放射能にどんな害があろうが、どんな苦を生もうが、そんなことは想像力さえ欠如、お構いなしで、つまり結局、ようは、ただただひたすら、ひとえにお金だけの話。

お金を儲けて何が悪い、ごもっとも、ならば電力不足にさせて電力値上げだと脅しも抜かりない。
ほらみろ、年々記録的な猛暑だ、熱中症続出だ。
身を守りたければ電力を使え、工場生産・産業栄えて景気を良くしたければ電気を使え。

地球上で、電気がなければ生きていけないのは人間だけだが、
地球上で、お金がなければ生きていけないのも人間だけだ。

電気もお金もなくて生きているのは、絶海の孤島に漂着した難破者か、南洋のジャングルに逃げ込んだ旧日本兵か、ヒマラヤやアマゾンやニューギニアかアフリカの少数部族か、それら特異な生活形態だけだ。

電気とお金を封じ込んで何が始まる?
原発事故が起きなくとも、放射能が漏れなくても、人心に蔓延するのは不安や苦しみや怒りや猜疑やそれらネガティヴな感情。
余程の阿呆でもなければ、何がしかのネガティヴな感情を感じなかったり、誤魔化したり、ノー天気にクルクルパーっといられるわけがない。

反原発、脱原発、新エネルギー、原発推進、現実の生活を見れば、どれもごもっとも。
それぞれにそれぞれの生活があって、生業があり、家族がいて、友達がいる。

原発に反対しても賛成しても、丸儲けの企業側でも一般市民でも、煽るものも煽られるものも、実のところ、同じ土俵、同じリング、同じ舞台、同じ釜の中でぐつぐつと煮られているだけ。



私個人の経験から考えるのは、危機管理・非常事態時の受け入れ態勢作り。

どこに逃げればいいのか。どこの施設に身を寄せればいいのか。どこの県に行けばいいのか。
誰が何をどこに届け、直し、保護し、守ればいいのか。
その後の検査や調査、行政諸手続き、診療、補償の速やかさ、補償の額。

想定内だろうが、想定外だろうが、起こることは起きるときに起きる。現実に起きた。
起きた後、速やかにどうすればいいのか、ということを具体的に取り決めておかなければ、今回のケースは、再稼働しようがしまいが、同じ混乱を生む。
起きた時に考えればいい、といった結果が今回の私たちだった。

国や法律や市町村や行政や電力各社は、そういった取り決めを作っておかなければならない。
ただ反対だ!推進だ!と仲間割れをしていても、何の備えにもならない。
賛成も反対も、そうしているうちに再び同じことが起こったら、また同じ混乱状態になる。


災害緊急時の国家的・行政的・民間的・国民的なシステムが構築されてはじめて、反原発も推進派も新エネルギーも再稼働も脱原発も省エネもエコも、「血も汗も涙も出る現実的な議論」として有意義になる。

そうでなければ、単なるマスコミのメシの種、で終わる。


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原発説明番組で九電やらせ
2011年7月6日(水)20時29分配信 共同通信 

九州電力は6日、玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働に理解を得るため経済産業省が主催、6月26日にインターネットなどで中継した県民向け「説明番組」で、関係会社が社員らに対し、一般市民を装って運転再開を支持する意見を寄せるよう指示していたことを明らかにした。

公平性が担保されるべき説明会で、当事者である九州電力が偏った意見形成を意図していたことに批判が起こるのは必至だ。

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by greenwich-village | 2011-07-07 01:40 | グリニッチ・ヴィレッジ

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