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百年の娯楽/概念の海に溺れない国境の楽しいおっさん、普通に変なフレディ・フェンダー

多人種・多習慣・多風土と国境のある国のローカルヒーローの音楽。

地方分権もそうですし暮らしや文化や音楽にとっても、地方的独自性というのはとても重要なものですが、第二次大戦時からいままで我が国と私たちの意識は、DNAレベルか無意識のまま平均的統一性ばかりを追い求めて、それが生活のモダニズム・先進化だと思い込んでしまったのですな。
発想も感覚も意識も価値もシステムもスタイルも楽しみも、実は選択式唯一帰結型
普通に違っているものは少ないですし、こねくり回して単に奇をてらっているものはお里が見える。
どのジャンルの仕事でも、私たちはちゃんと偏差値教育で育っていますからね。
そのぶんオカシな人も少ないほうで、社会としてわりと安心して暮らせますが、こと創造性においては、人の暮らしから文化性を取ったら、同一システム内のただの同一既成ツールになってしまう。

鈍感なシステムVS敏感なワタシたち、と概念するほど、社会システムは旧態然ではないし現実ワタシたちは俊敏ではない。
自分にとって自分が生きていること自体が娯楽、もしくは実験として、そうあることが、昨今の非現実的な現実を有意義にさせる。

こういう娯楽は、ヒゲが濃い人はヒゲを深剃りすればちゃんと血が出ますし痛みも感じる、ということ。それでもサッパリして男前になれば気持ちいい。余計な荷物は背負うより降ろしたほうが楽か、背負う喜びを感じる人もいる。
実は、何がしかの苦悩というのもちゃんと娯楽や楽しみになるもので、人を自滅させるのは苦悩や悲しみではなくて、何がしかの過度の欲望。
対象と照らし合わせて照合しない何がしかの過度の欲望があるから、言い訳上手になったり楽しめなくなったりする。
現実はつつましくとも、概念は欲深いものです。

楽しめない、楽しませろ、ではなくて、自らを楽しむこと、ですな。


話を元に戻して。
たとえばアメリカは、只でさえひとつの州が日本国の大きさですから、他国の国民諸事情と此国の国民事情が異なるように、あの国のことはこの国とは何一つ比べようもありませんが。


見よ!国境のオッサンの人生を楽しむお姿。
メキシカン、カントリー、R&B、なんでもござれのテックス・メックス、国境の大ミュージシャン、普通に変なフレディ・フェンダー。

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by greenwich-village | 2011-06-17 12:00 | グリニッチ・ヴィレッジ

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