復興復旧機能不全の日本国に捧げる添田唖蝉坊~あきらめ節/復興節

明治、大正時代の一世を風靡したあきらめ節より

                        詞:添田唖蝉坊


◆地主金持ちはわがまま者で 役人なんぞは威張るもの ,
こんな浮世へ生まれてきたが 我が身の不運とあきらめる 。

◆お前この世へ何しに来たか 税や利息を払うため ,
こんな浮世へ生まれてきたが 我が身の不運とあきらめる 。

◆米は南京おかずはヒジキ 牛や馬でもあるまいし ,
朝から晩までこき使われて 死ぬよりましだとあきらめる。

◆汗を搾られ油を取られ 血を吸い取られてその上に ,
放り出されて踏んづけられて これも不運とあきらめる。

◆苦しかろうが 又辛かろうが 義務は尽くさにゃならぬもの ,
権利なんぞを欲しがることは 出来ぬものだとあきらめる。

◆たとえ姑が鬼でも蛇でも 嫁は素直にせにゃならぬ ,
どうせ懲役するよなものと 何も言わずにあきらめる 。

◆借りたお金は催促されて 貸したお金は取れぬもの ,
どうせ浮世はこうしたものと わたしゃいつでもあきらめる 。

◆オラが一票でうかった議員 今じゃ汚職の代弁者 ,
オラどうしよう困ったなぁ これも不運とあきらめる 。

◆長いものには巻かれてしまえ 泣く子と資本家にゃ勝たれない ,
貧乏は不運で 病気は不幸 時世時節とあきらめる 。

◆あきらめなされよ あきらめなされ あきらめなさるが無事であろう ,
わたしゃ自由の動物だから あきらめきれぬとあきらめる。




詞:添田唖蝉坊   曲:高田渡 アメリカントラディショナル




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(ネットからの転載)


添田唖蝉坊(明治五年=1872~1944)



神奈川県大磯町に(1872年=明治五年)生まれ。添田利平、つなの次男・本名=添田平吉。添田家は中農の家柄であった。
1944年(昭和19年)唖蝉坊は、東京馬込の長男・知道宅で死去。享年72歳。
親子二代も演歌師、明治、大正時代の演歌師
唖蝉坊は明治23年、横須賀で見た壮士の街頭演歌に感動し、演歌壮士の団体から 印刷物を取り寄せ、ひとりで演歌を始めた。

【引用図書】

「添田唖蝉坊・知道」演歌二代目風狂伝・木村聖哉著
歌を通して特権階級(義員、地主財閥など)を俎上に載せ、鋭い風刺の矢をはなった。(同上268頁)。

政府批判の壮士(歌うジャーナリスト)でもある。

唖蝉坊、知道の親子はいわゆる思想家・知識人ではなかった。学歴もない。それ故書物主義に陥らず舶来の思想や新知識に振り回されることもなく己を持すことができた。
(同上268頁)

唖蝉坊と子の知道はたしかに演歌者であったが、ただの演歌者ではない。本質は警世家、啓蒙家だつたと思う(同上269頁)

高踏に陥らず、卑猥に流れず、歌に志操があるというか、風俗性制と音楽性と思想性が統一されている。
勃興する資本主義。金がすべてを支配する世の中。それに対して唖蝉坊は満身の怨嗟の声を発した。
その精華は「あぁ金の世」に余すところなく示されている。(同上・57頁)

【その他参考図書】「演歌の明治大正史」添田知道著・発行=刀木書房・昭和57年


唖蝉坊は「金々節」「ノンキ節」「ラツパ節」「ストライキ節」「あきらめ節」など生涯で二百近い歌を残している。

レコードやラジオが普及する以前、自ら歌をつくり、街頭で歌い、歌本を売って生計をたてた。
いわばストリート・ミユージシアンの元祖である。


なかなかの美声の持ち主と言われているが、残念ながら自分自身はレコードの吹き込みはしていない。
唖蝉坊の歌は榎本健一(エノケン)、小沢昭一、リバイバル版として高田渡などがレコードに吹き込み。唖蝉坊の作品は各節とも歌詞は非常に長い。
例えば、次ぎの「金々節」などは21番まである。
ここでは各節とも多くの歌詞を割愛した。




明治、大正時代の一世を風靡した「金々節(大正十四年)」より


「金だ金々、金々金だ。金だ金々、この世は金だ。
金だ金だよ、誰がなんと言おうと金だ金々 黄金万能。
金だ 力だ。力だ金だ。金だ金々、その金欲しや、
欲しや欲しやの顔色目色、
見やれ血眼(まなこ) くまたか眼(まなこ)」
 「学者、議員も政治も金だ。」「神も仏も坊主も金だ。」
「金だ教育、学校も金だ。 」



明治、大正時代の一世を風靡した「あぁ金の世」より


あぁ金の世や金の世や 地獄の沙汰も金次第
笑ふも金よ泣くも金 一にも二にも金三も金
親子の中を割くも金 夫婦の縁を切るも金
強欲非道と譏(そし)ろうが 我利我利亡者と罵(ののし)ろが
痛くも痒くもあるものか 金になりさえすればよい
人の難儀や迷惑に 遠慮してゐちゃ身がたたぬ

あぁ金の世や金の世や 希望(ねがい)は聖(きよ)き労働の
我に手足はありながら 見えぬ鎖に繋がれて
朝から晩まで絶え間なく こき使われて疲れ果て
人生(ひとよ)の味よむ暇もない これが自由の動物か

あぁ金の世や金の世や この寒空にこの薄着
こらえ切れない空腹(すきばら)も なまじ命のあるからと
思ひ切ってはみたものの 歳とる親や病める妻
飢えて泣く子にすがられて 死ぬにも死なれぬ切なさよ

あぁ金の世や金の世や 互いに血眼皿眼
喰い合い奪(とり)り合い むしりあい
のたれて死ぬか土左衛門 鉄道往生生首くくり
死ぬより外に道はない あぁ金の世や金の世や



明治、大正時代の一世を風靡した「ノンキ節(大正7年)」より


※この歌は石田一松の持ち歌である。「ノンキ節の石田一松」で、
すっかり有名になった彼は、戦後四度も衆議院議員に当選した。

学校の先生はえらいもんじゃさうな
えらいから何でも教えるさうな
教えりゃ生徒は無邪気なもので
それもさうかと思ふげな
ア、ノンキだね。
貧乏であれこそ日本人はエライ。
それに第一辛抱強い。
天井知らずに物価はあがっても
湯なり粥(かゆ)なりすすって生きている
ア、ノンキだね。
南京米くらって 南京虫にくはれ
豚小屋みたいな家に住み
選挙権さえ持たないくせに 日本の国民だと威張ってる
ア、ノンキだね。

※当時一般国民は選挙権を持つていなかった。普通選挙権が交付されたのは大正14年、
この法律改正でも婦人の参政権は認めていない



復興節


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by greenwich-village | 2011-06-11 09:58 | グリニッチ・ヴィレッジ | Comments(0)

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