およそすべての物事の本質・真理は、“未来”でしか発見されない

変わっていないのか、進化していないのか知らないけれど、未だに旧態然とした体質と意識が蔓延っているのは永田町と霞が関。
古い時代の内容で、事柄も今回関連とは異なるものだけれど、まるで最近の一連を語っているみたいだ。
表面の事象は違っていても、本質そのものを叩いているから、古いも新しいもない。だから変わっていないのか、進化していないのか、永田町と霞が関。日本で最も遅れた古びた地域のひとつだと言える。

およそすべての物事は、大衆意識として、認識として、価値として、同時代では発見されない。どのようなものであれ、同時代での評価は単なる都合のいい表層にすぎない。

すべての物事それぞれの本質・真理は、いつも未来で発見される。

40年前のかつての繁栄幻想から出発して、いま、未来に位置して、私たちは発見した。

エネルギー、電気、原子力、放射能、政治、民主主義、産業、経済、文化、芸術、

そういうものが繁栄幻想と共に何をもたらすのか、という本質・真理を。

新しいとか古いとかという物差しは、幻想妄想以外に存在しない。

時間を経過した後の、“未来”でしか評価発見はされない。


また人は、潜在的に、その“未来”に自分個人が存在している可能性が低いという根拠のない妄想的感覚から、

目の前の都合のいい理屈で無責任になる。


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度々々、白洲次郎「プリンシプルのない日本」から。


―中略

議員は人々の意思を独断で判定する自由は全然無いのだということを私は強調したいのだ。議員はみんなヒモ付きということを強調したいのだ。日本の近代のことはみんなこうだ。何時でも幼稚な根本のことにお構いなしだ。
いくら暗愚な国民大衆でも余り無視されたり馬鹿にされたりすることが度重なると、その時は本当に怒りますよ。本当に怒った時には、お相撲さんじゃないがワビ無効のクビとは昔からの決まり相場。
新党が出来るか出来ないかまで雲をつかむ様な話なのに、みんなが一番関心を持っていることの一つはその総裁が誰になるかということらしい。主役如何で各自の配役が違ってくること位は誰にでもわかる

―中略

その意のある処を外務省は国民にかんで含める様に説明してやるべきだ。外交は一種特殊の技術で素人の国民には説明してもわからんという独りぎめをしている様な感じを受けるが、そんな態度は言語道断である。
外交が特殊の技術と言ったが、実際そう思い込んでいる外務省関係の人の多いのは今迄たびたび驚いたことだ。

一例をとっていうと最近のビキニ水爆実験による被害の問題である。
漁船は被害を被るし船員は瀕死の重傷を負うし、以来放射能の魚云々で家庭の台所までビクビクするという大騒ぎまで発展した。殊に人命までに関することだから大騒ぎになるのは当然である。
外務省がどういう方法でどういう言辞で米国側に抗議を提出したか、どういう文書の交換があったか、国民には何も知らされていない。米国大使が東京の病院に負傷者を見舞いに行って玄関払いをくって、外務省にその非礼の抗議をしたという様なデマみたいな話は聞いたことがあるが、両国間にどんな交渉があったかは国民が全然知らされていないということは不思議なことだと考える。ここら辺が外務省の秘密外交と悪口を云う人が益々ふえる原因ではないだろうか。

これは私の邪推かもしれないが、外務当局の幹部連が何かの失敗によって自分の地位に影響してくることを極度に恐れる余り、何事も事勿れ主義を信条とし将来の日米関係がどうなろうと、米国民が日本の国情をわかろうがわかるまいが、日本国民が納得しようがしまいが、ただ自分の出世第一に行動している結果というのは言い過ぎか。

―中略

ビキニの水爆実験で私は特に二つのことを感じた。一つは負傷して東京の病院につれていかれた漁夫たちのことである。余程の重傷で前途を危ぶまれていることは何としても悲惨なことである。
この病人の取り扱いについて東大病院系だとか国立病院系とか色々の「系」が縄張り争い的のことがあったと聞いたが、聞くも不愉快であった。
また米国側からの協力の申し出があったことについては絶対拒否という様な態度に出た日本のお医者さん連中の態度も何だか変な気がする。

一番大事なことは怪我をした人々の生命であり治療であって、外のことは何も問題ではない筈だ。
殊に外務省が米国側と補償の問題を協議交渉していた間、生活の柱石を病院に送りこんだ漁夫達の家族が非常な不安を感じたのは当然だが、収入が停止したことについては何の処遇もとってやらなかったことは事実らしい。その日暮らしにも困る様な状態にあれだけの精神的の打撃を受けた家族を追い込んだ不始末さというか、冷淡さというものに対しては私は本当に心の底から憤りを感じた。外務省はそんな予算はないと言って逃げるだろが、政府として早速何等かの手が打てなかった筈はない。

それに引きかえ海員組合が早速カンパを断行して家族に慰問金を贈ったという事実を新聞で読んで、私は目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。この海員組合の見舞に対しては私は最高の敬意を払っておく。

他の一つはビキニ海域の放射能調査のために南洋の海に出かけて行った俊鶻丸のことである。魚が食物の重大部分である日本人はどんな魚が、どこの魚がこの放射能を受けているのかを科学的に知ることは絶対必要なことで、この俊鶻丸の出帆となったのだろうが、いくら原子科学向上の必要からとはいえ南洋で世紀の人工大爆発を実行し、そのおかげで安心して太平洋の魚が喰えるかどうかを調査しに行かなければならないとは(殊に実験しなかったこの国が)この地球に生を享けた人間として実に悲しいことだと思う。宇宙は神様が創ったというのなら、人間のやることはそろそろ人間の縄張りを脱しかけているのではないだろうか。


1954年 文芸春秋
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by greenwich-village | 2011-06-05 12:34 | グリニッチ・ヴィレッジ

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