プリンシプルのない原発日本の大人たちによって、結局、アナタの子供たちが犠牲者になる

風評被害だの地元いわき・福島の数々の原発被災差別の話を聞くと、やりきれない思いになる。

一部の心ない人たち、というか、脳のない人たちによって、いわれや根拠はあるがまったく無知な差別を受けるのは、世界有数の高等教育が行き渡っていると言われる日本の実際の国民のレベルの低さを直視するようなものだ。

人間だから、いくら温厚な人でも「やられたらやり返せ」という感情がわいてくるのは当たり前で、そういう感情もまた悲しいものだし、やはりどれだけ冷静でいられるかが人間という理性を持った霊長類の知性レベルになるわけだから、一部の思考能力が著しく低い暴力的な人たちによるまったく無意味な差別は受け流すしかない。

風評被害も頓珍漢な無知な放射能差別も、人間の尊厳を持たない乱暴でかわいそうな人たちとして捉えるればいいだろう。

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原発事故に関する内閣官房参与の東大・小佐古さんが、涙ながらの記者会見で辞任したことに、政府は反論している。

さすが弁護士・ただ弁が立つだけの枝野氏をスポークスマンとして、下記の会見だが、

子供たちの学校校庭も、原発作業の方々の被爆量も、ご都合で基準値がとんでもなく変わってしまうのは、見解の相違とか専門家たちの議論の結果だとかでも、乱暴で凶暴でおかしな話なのは当然だ。

基準値を動かしてしまったら、いままでの基準もこれからも、基準そのものがまったく無意味なものになる。
まったく無意味なものを基準としては、基準値内も超えもない。

復旧作業なら現状が現状だけにある程度は仕方ないかもしれないが、これはこれからの子供たちの健康に関する問題だ。

「それで良い」と議論・審議した専門家と大臣と官僚ともちろん首相は、実名・連名・プロフィール顔写真入りで、良しとした内容を書面で公表報告すべきだ。
なぜなら、責任が発生する。

のちのち健康被害が認められた時、どこのだれがそれを認めたのか明らかにしておかなければ、日本の毎度の事だが、責任は矛先の違うどこか別のところに向かって、決定した政治家・官僚・専門家・有識者たちへの大罪の責任追及には届かなくなってしまう。

こういうことに関しての基準もご都合主義で変わってしまって、最終的には弱者や子供たちが最大の被害を受けて成長することになる。
そんな成長をしていく過程で、上記のような一部の乱暴な無知性な大人になっていってしまう。卑怯な大人やヒステリックな親の姿を見て、模倣しながら、子供たちは成長していく。どうどう巡りだ。

小学校などの校庭利用の安全基準が、

「20ミリ・シーベルトまでの被曝(ひばく)を許容したものではない。明らかに誤解している、この方針で心配ない。」

なら、なぜどうして、いままでの基準値はそうではなかったのか。

だから、場当たり・ご都合主義といわれても当然だ。弁護士だからとて今は裁判しているわけではない。
彼らの言葉はその程度のものでしかないと同時に、そういう反論自体が、政府・関係者の馬鹿さ加減を露呈している。



かつて、白洲次郎氏が「プリンシプルのない日本」といった。
プリンシプルとは、日本語には訳しづらい言葉と言うが、
訳せば、「原理、原則、根本」といったところらしい。

いまだに、日本と日本人には、プリンシプルはない。



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「場当たり的」批判、官房長官は「誤解」強調

小佐古敏荘(こさことしそう)東大教授(放射線安全学)が、東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る政府の対応を「場当たり的だ」などと批判して内閣官房参与を辞任したことは、首相が東日本大震災後に次々と任命した参与を使いこなせていない実態をあらわにした。

首相は30日の衆院予算委員会で、「見解の相違だ。政府は参与の意見も含め、議論の結果に基づく原子力安全委員会の助言で対応している。場当たり的とは考えていない」と強調した。

高木文部科学相は小学校などの校庭利用の安全基準に関し、「この方針で心配ない」と明言。
枝野官房長官も記者会見で「20ミリ・シーベルトまでの被曝(ひばく)を許容したものではない。明
らかに誤解している」と反論した。

ただ、震災後、小佐古氏を含めて6人も参与に起用したのは首相自身だ。今回の事態が新たな痛手となるのは避けられそうにない。
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by greenwich-village | 2011-05-01 10:18 | グリニッチ・ヴィレッジ

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