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デフレで野良猫も腹を空かしている。

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野村證券のページから。

デフレーション

モノやサービスの値段は、需要と供給のバランスで決められている。
需要と供給のバランスが崩れると、値段は変動する。この動きが、他のモノやサービス全般に広がっていくと、物価(モノやサービスを総合的に表したもの)が変動する。

一般的には、物価が継続して下落する状態をデフレーション略してデフレと呼ぶ。

デフレとは、お金の価値が上がり、相対的にモノの値段が下がることをいう。モノの値段が下がったからといっても、通常、人は必要以上にモノを買わないので、モノが同じ数だけ売れても、販売価格が下がれば企業の売り上げは落ちていく。
企業業績が悪くなると、経済活動全体が元気をなくし、経済が縮小していく。


デフレの場合も、全てのモノの値段が比例して動けば、問題はないが、現実はそうではなく、物価の下落に追いつけないものが出てくる。

例えば賃金などがその1つである。
企業が出荷する製品の価格が下がり、売上が減っても、すぐに賃金がカットされるわけではない。それは、賃金は従業員の生活を支えており、重大な関心事である。それを引き下げれば従業員の労働力を下げるおそれがあり、悪くすれば労使紛争にもつながりかねないからである。

そのため、企業は賃金引き下げに慎重にならざるを得ず、それだけ収益が圧迫されることになる。そして企業は出費を抑えるようになり、新たな設備投資を抑制する。企業業績の不振が雇用不安につながるため、将来を心配した家計は、消費を抑えることになる。住宅のような長期のローンを伴う買い物を控えるようになり、ますますモノは売れなくなり、そしてさらに物価は下がる。


バブル経済崩壊後、日本でもデフレの状況が続いている。これは、好況に慣れきった企業が過大な設備投資を続け、家計も消費ブームにわき返り、モノが世の中に溢れた。
モノが溢れていてもそれを買うだけの消費が続けばよかったのだが、それが崩れ、モノが供給過剰の状態になり、デフレに陥っている。


モノの値段がそのときどきで異なっていたら、いくら需要と供給のバランスで値段が決まるといっても、買い物をする時まで価格の見当がつかないのは困る。
食料品などの生活必需品の場合には、価格が安定していなければ計画的な家計が営めなくなる。

そもそも、モノの値段が変動しても、モノ自体の価値は、短時間ではそれほど変わらない。物価が高騰したり下落したりする場合は、モノの価値自体が変化しているのではなく、お金の価値が変化しているのである。

お金の価値が安定していなければ、日常の買い物に困るだけではなく、経済活動全体が困ることになる。
例えば、翌月あるいは何カ月か先の取引をあらかじめ取り決める際に、金額をいくらに設定すればよいのか決めにくくなる。
家計や企業の経済活動および金融活動を円滑に行うためには、取引の基準となるお金の価値を安定させる必要がある。

このお金の価値(=通貨の価値)を安定させる役割を持っているのが、日本の中央銀行である日本銀行である。日本銀行は、通貨価値の安定を図ることで物価を安定させ、ひいては日本経済を安定的に成長させる土台を作っている。 経済政策を通じて、直接的に金融市場に働きかけることができるのである。



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永井俊哉さんのブログから。

デフレの時代になると、国粋主義が台頭し、戦争が起きやすくなるが、それは、政府が景気対策のために公共投資を増やすのと同じ理由による。

では、戦争をはじめとする無駄な公共事業を回避して、リフレーションをするには、どうすればよいのか。

不況になると、必ず「政府は公共投資を拡大するべきだ」という声があがる。
バブル崩壊後、景気対策・雇用対策として行われた公共投資が、その目的を達していないことが実証されているにもかかわらず、小泉内閣による一般歳出減額に反対する人は少なくない。

積極財政派の人たち曰く
「これまでの公共事業が総需要を喚起する効果を上げていないのは、少し景気がよくなると、すぐ緊縮財政に戻ってしまうからなのであって、切れ目ない財政出動を続けていれば、日本経済は、バブル崩壊後のデフレから脱却できていたはずだ」云々。

しかし、こうした議論は、公共事業に効果がないことを自白しているに等しい。
伝統的なケインジアンの理論によれば、公共事業は、その乗数効果により、終了後も波及効果を残すはずなのに、彼らが暗に認めているとおり、今の日本の財政出動はその場限りの効果しかなく(政府支出乗数は、現在1.25)、結果として、景気の下支えをするために、「切れ目ない財政出動」が際限なく必要になる。

マンデル・フレミング・モデルによれば、為替相場が変動相場制に移行した1973年以降、財政政策の有効性は減少している。
現在の日本経済のような、変動相場制に基づく開放経済では、財政出動は、金利を上昇させて民間設備投資をクラウディング・アウトする(締め出す)のみならず、金利の上昇によってもたらされる円高が輸出を減少させてしまうので、結果として財政拡大はGDPを抑制してしまう。

もっとも、政府が民間から資金を奪ったとしても、そして為替レートが円高になったとしても、政府が資金を有効に活用し、内需主導の成長を促進するのならば、公共投資は有効といえる。
しかし、実際には、当事者意識の欠如から、公共投資の効率は、民間投資に比べて、著しく低い。

しかしながら、政府が効率を上げようとする強い当事者意識を持ち、内需主導で完全雇用を実現し、デフレを克服する実績を持つ公共事業が一つある。それは戦争である。

ルーズベルト大統領は、ニューディールという平和的な公共事業で、アメリカ経済を世界大恐慌から救うことができたという神話をいまだに信じている人もいるが、実際には、ニューディールは失敗に終わっており、アメリカ経済を世界大恐慌から救ったのは、第二次世界大戦の特需である。

戦争は、民族・宗教・イデオロギーの対立が原因で起きるわけではない。
それらはたんに戦争主体を区別するのに役立つ徴標に過ぎない。戦争、とりわけ大規模な戦争の原因はデフレである。資本主義成立以前でも、気候悪化に伴う資源デフレーションの時期の戦争が起きている。

デフレは、バブルの崩壊によって起きるが、戦争には、バブル的な過剰投資によって生まれた過剰設備と過剰人員を潰し合いと殺し合いによって、バブル以前の水準に戻す機能がある。
平和的な公共事業は、需要を増やすことで需給ギャップを埋めようとするが、需要をバブル時の過剰供給にまで引き上げることは困難であり、通常失敗する。
これに対して、戦争という公共事業は、供給を削減することで、つまり供給を削減する需要を増やすことで需給ギャップを埋めようとする。
不況になると、転職産業(という名の首切り産業)は、逆に繁盛するのとよく似ている。


デフレにおいては、労働価値に対して貨幣価値が高まる。
貨幣とは、経済的交換における媒介的第三者であり、権力的交換における国家の地位に相当する。
だから、デフレは、国民に対する国家の価値を高め、全体主義を台頭させ、人命軽視の戦争を惹き起こす。ナチスが結党したのは1920年だが、1923年のハイパーインフレの時には、ナチスは支持されなかった。ナチスが熱烈に支持されたのは、1929年に世界大恐慌の波がドイツに押し寄せて、デフレが深刻になってからである。

現在の日本でも、デフレが深刻になるにつれて、国粋主義的傾向が強くなり、歴史修正主義が台頭するようになってきている。
小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』や西尾幹二の『国民の歴史』がよく売れ、"私"に対する"公"の優位という国家主義的イデオロギーが支持されているのも、デフレのおかげである。

戦争をはじめとする無駄な公共事業を回避して、デフレから脱却するには、どうすればよいのだろうか。

ここで、もう一度マンデル・フレミング・モデルに戻ろう。マンデル・フレミング・モデルによれば、変動相場制では、財政政策は景気対策としては有効でないが、金融政策は有効である。
もしそうだとするならば、バブル崩壊後のデフレを解消するには、日銀が量的金融緩和によってインフレを起こし、不良債権をインフレによって一掃するべきだということになる。インフレそれ自体は、決して望ましいものではないが、戦争と比べればまだましである。


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by greenwich-village | 2009-11-20 12:44 | その他

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