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カリスマ嫌い

中学生の頃から、この言葉が苦手で好きになれないのです。
カリスマな人もカリスマ信奉者も、理想的超人も群集心理も、猫も杓子も。

切れば血が出る、腹も減る。ビビりもすれば嘘誤魔化しで見栄も張る。
所詮ただの人間、どうひっくり返したところで、出所も行き着くところも同じ。
違うのは、政治的・暴力的・盲信的・虚構的かどうか。
カリスマも信奉者も、カリスマ性に自己埋没したほうが楽ですから。

カリスマは自身でカリスマになるわけではなくて、社会・群集がその人間をカリスマに仕立て上げる。
そうしたほうが、実は群集にとっても何かと都合がいい。
カリスマは、支配も被支配も、指導者も服従者も、「腹に一物持っている人たち」が形成しているわけです。
言い換えれば、人間社会というのはこの<カリスマ性>によって出来上がっているのかもしれません。

奇跡やら超自然やら神秘やら占いやら力学やら虚勢やら群集心理やら、そんなものに戯れるよりは、
ウンコのついた便器をピカピカに磨き上げて、毎日便所掃除をしたほうがいいと思っているのです。


<カリスマ>       フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カリスマ(χάρισμα charisma)は、元来、古代ギリシア語で「恵み charis」を中性名詞化したもので、「恵み的なもの」を意味した。
この語は、新約聖書の諸書簡(特にパウロの書簡。ただしパウロによる造語ではない)において知られている。
古代キリスト教団の語法では、「カリスマ」は、神から贈られる特殊な能力であった。その例として、パウロは預言や異言(宗教的法悦状態で意味の分からない言葉を発する行為)などを挙げている(コリント人への第1の手紙 12章 8-10節)。邦語訳聖書では、「(霊の)賜物」などと訳されている。

この言葉を学術用語として最初に用いたのは、ドイツの教会法学者ルドルフ・ゾームである。
ゾームは、『教会法』(Kirchenrecht)第1巻(1892年)のなかで、1世紀の原始キリスト教のエクレシア(集会)を説明・分析するために、この語を用いた。
ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバーは、ゾームのこの用法に示唆を受けながら、社会全般に普遍的に妥当する社会学的概念としてのカリスマ(Charisma)を形成した。すなわち、非日常的・超人格的・超自然的な資質を有する者としてのカリスマがこれである。
ヴェーバーは何ゆえに支配は正当化されうるのかという観点から、合法的、伝統的、カリスマ的支配という正当的支配の三類型を構想し、カリスマの同時代的意義を強調した。

カリスマ的支配は、偉大な政治家・軍人・預言者・宗教的教祖など、政治や宗教の領域におけるカリスマ的支配者・指導者に対して用いられ、被支配者・被指導者は支配者・指導者のカリスマ的資質に絶大の信頼を置いて服従・帰依するのである。
歴史上カリスマを持つと評される人物も、イエスやマホメット、カエサルやナポレオンやヒトラーのような、世界史を動かしたスケールの大きい人物が多かった。
なお、ここで注意すべきは、ヴェーバーの言うカリスマは、善悪という価値判断からは自由な(「価値自由(Wertfreiheit)」な)概念ということである。その意味で、前述の四者やスターリン等は一様にカリスマの保持者と見なされるのである。

このようなカリスマ概念から、日本などでは「カリスマ」という言葉は芸能人やある職業において特別な人気や知名度を誇り、ファンから絶大な支持をもつ人物、または業界に大きな変革をもたらすなどした人物について、比喩的に「~のカリスマ…」のように用いられる。
また、ここから派生して「カリスマ美容師」などのように接頭語的にも用いる。

また宗教の領域でも、聖霊の導きで信徒たちが身体を震わせたり、きわめて大きな声で祈りを行ったりするような特徴のある教会を、宗派の名を超え、カリスマ系教会などと呼ばれている。
これらはパウロやゾームの語法はもとより、ヴェーバーのカリスマの語法とも異なる使用法である。
by greenwich-village | 2009-11-16 15:09 | その他

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